「シルビアのいる街で」のホセ・ルイス・ゲリン監督による新作「ミューズ・アカデミー」が東京都写真美術館にて上映されている。男性と女性、本意と不本意、フィクションとドキュメタリーの境目を漂う本作は、知的なにどこかユーモラスだ。 境界の絶妙な均衡の中に潜む、ゲリンの思惑をどのように見るか。文筆家・五所純子さんのレビュー。

 

ピント教授のぶちあげる新しい女子教育がとんでもない。テーマはミューズ。ギリシア神話に語り継がれた学芸をつかさどる女神であり、古代より西欧の文化を支えた概念である。ダンテに『新生』を着想させた少女ベアトリーチェ、ペトラルカが恋心をうたった謎の女ラウラ、往復書簡でも有名な神学教師アベラールと22歳年下の教え子エロイーズなど、かずかずの“ミューズ”が参照される。さて教授いわく、“女性諸君、ミューズたれ”。男性にインスピレーションをあたえる存在として輝け。それこそが女性美であり、女の生きる道である。ひいては社会を活性化させる術となるのだ。——古式ゆかしいというか、旧態依然というか。アート版家父長制ともいうべき教授の主張に、「黙ってろよ、アカデミアバカ」と口を突いて出そうになるが、学生たちは意欲的に論難をしかける。ここは学問の域、バルセロナ大学。教壇に立つ熱血漢と階段教室に並んだ学生たちの間で、言葉がはつらつと交わされる。多勢に無勢のようではあるが、教授はなかなかに難攻不落だ。しだいに議論の内容よりも、女学生たちの顔に目を奪われる。これが教室とカメラの共犯関係だった。ここで、ドキュメンタリーともフィクションともつかない本作の、配役と構図が決まっていたのだ。まるで教授が愛人たちを選んだように、といったら下品すぎるか。

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教授と女学生たちの姿は教室からあふれ出し、ひとりの男とそれぞれの女の関係を見せる。アカデミーでは座学編、シャバでは実技編とばかりに、恋愛をもちこまずして教育をおこなえない幼稚な男の行動があばかれていく。たちまち教授の言い分は陳腐な誘い文句に聞こえ、むしろ女たちの個性がいよいよ際立ってくる。彼女たちは教授のミューズ指南を多かれ少なかれ受け入れ、あるいは反問として立ち向かったりするのだが、このミューズに紐づけられた関係から切り離すようにして、カメラが一人ひとりの女をとらえるからだ。なかでもピント教授の妻が異彩を放つ。妻は夫の主張を冷ややかに容赦なくこき下ろす。彼女だけが、ピント教授と恋愛関係にありながら、彼の好敵手たりえているのだ。

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ぼろぼろと瓦解していく知的権威というストーリーをとれば、皮肉なコメディである。ただ本作はそこにとどまることなく、なりゆきとして現したものが目映い。アカデミーだって、教授だけでは成立せず、縦横無尽に意見をくり出す学生の精気がなければ成立しない。それと似ていて、映画はストーリー展開だけでなく、たとえば、フロントガラスの乱反射のなかで映し出される女たちの表情、本棚をめぐる夫のなにげない行動に破綻の種を感じた妻の告白、カフェテリアにおける恋人と妻との駆け引きなどが、かえって饒舌な映画だ。聞いた話によると、本作にシナリオはなく、プロの俳優を使ってもいない。自身の講義“ミューズ・アカデミー”を映画化しないかとピント教授から相談され、しばらくしてホセ・ルイス・ゲリンは撮影を開始したそうだ。監督自身、話がどのように転がるのかわからなかった。だから妻と恋人のシーンなど、カメラを向けながら戦慄したという。

あらかじめ作為性が遠ざけられていた本作だが、ゲリン監督の特徴的な手法が多用されている。前述したガラス越しに人物をとらえる手法だが、これがミューズ論と一体化して活かされているのだ。女が、街角と、木々や水面と、溶けて映される。女と事物の境界は分かちがたく、幻影として揺れ動く。女のいるところが、たしかに美しい。はたして自分が見ているのは、女なのか、彼女なのか、何なのか。——これこそが本作の、出来ばえのよいアンビバレンスだろう。『ミューズ・アカデミー』は、女たちの存在によってピント教授のミューズ論に批評性を構じながら、女たちがいかに映像作家ゲリンのミューズたりえたかを証明した作品なのだ。

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こうして大上段にふりかざされたミューズ論に鼻白み、ありきたりの女たちに個性的な美しさを見せつけられるからこそ、伝説的“ミューズ”たちの再解釈にのりだしたくもなる。女性が読み書きなおせば、ありし日の“ミューズの実相があらわせるのではないか。そのことが、女性が読み書くことの歴史につうじるのではないか。ベアトリーチェ、ラウラ、エロイーズ、ほかにも数々の“恋人”の名が登場する。女の名前たちに耳を澄ませるのも、本作がもつ糸口のひとつだ。

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映画『ミューズ・アカデミー』
監督|ホセ・ルイス・ゲリン
2017年1月7日(土)東京都写真美術館ほか全国順次上映

バルセロナ大学哲学科。イタリア人のラファエレ・ピント教授が、ダンテ「神曲」における女神の役割を皮切りに、文学、詩、そして現実社会における「女神 論」を講義する。社会人の受講生たちも積極的に参加し、議論は熱を帯びる。生の授業撮影と思わせる導入部を経て、教授と妻の激しい口論へと移る。やがて名の受講生の個性も前景化し、次第に教授の行動の倫理が問題となってくる……。

出演|ラファエレ・ピント、エマヌエラ・フォルゲッタ、ロサ・デロール・ムンス、ミレイア・イエニスタ、パトリシア・ヒル
原題|
La academia de las musas/2015年/スペイン/92分
配給|
コピアポア・フィルム

『ミューズ・アカデミー』
ホセ・ルイス・ゲリン監督特集上映『ミューズとゲリン』
2017年1月7日(土)〜1月29日(日)
東京都写真美術館ホール他全国順次公開
mermaidfilms.co.jp/muse/

 ©P.C. GUERIN & ORFEO FILMS

 


 

五所純子 Junko Gosho

1979年生まれ。文筆家。著書に『スカトロジー・フルーツ』など。日めくり日記「ツンベルギアの揮発する夜」をboidマガジンにて連載中。