映画『20センチュリー・ウーマン』監督マイク・ミルズにインタビュー【前編】「やさしすぎるのは 僕の欠点かもしれない」自身に影響を与えた20世紀の女性たち、ママのことお姉さんたちのこと、ミランダ・ジュライのこと。

マイク・ミルズ

厄介な20世紀の女たちへラブソングを贈るキセキの男

INTERVIEW

自身の母をテーマにした自伝的映画『20センチュリー・ウーマン』。マイク・ミルズはどんな思いで本作品を撮ったのか。放送作家の町山広美さんがインタビュー。自身に影響を与えた20世紀の女性たち、ママのことお姉さんたちのこと、ミランダ・ジュライのこと。


白い日傘問題、というものを私は提唱している。「いいのよ」となんでもゆるし受け入れ、柔らかく微笑んでくれる女性。男性の妄想の中にしか存在しない、若き日の母であり、理想の女性であるこの物体は、映画やドラマ、アニメによく登場し、白いワンピースを着て白い日傘を持っていることが多い。特に日本は、そんな白い日傘濃度の高い国だ。

男性の作り手が、母親を描くと、白い日傘的なものが現れがちである。女性は素晴らしい、母親は偉大だ、などと口では言うがその実は、人間として当たり前の欠点を抱えることを認めない。全部わかっていてくれて当然だと思っている。白い日傘の汚れやシミを好まない。女神なんて言葉でごまかそうと、人間扱いをしないのだから、それは女性蔑視だ。

さて、マイク・ミルズである。

自身の母親をテーマに、「自分」ができていく手助けをしてくれた女性たちを思い浮かべながらミルズ監督が書いた脚本、撮った映画に白い日傘は現れない。

白い日傘の下でじっと見守るどころか、「私の時代はこれが粋だったのよ」とタバコを吸い続ける母ドロシアは、常に解決策を求めて、頭をぐるぐる動かし、試行し迷走する。間違えながら、正解を求める人だ。

ミルズ監督の分身である主人公、15歳のジェイミーの心を成長させるためドロシアが奇妙な協力を依頼した、間借り人のアビーも、幼なじみでジェイミーより2歳年上のジュリーも、フェミニズムや個の確立についてあれこれ意見がある。本やパンクミュージックからのエッセンスと自身の体験から、混乱しながら自分たちの方向を探している。

白い日傘に守られず、太陽の下に身をさらして、自分で考えて動く、だからときどき迷走も。そんな厄介な20世紀の女たちを、ちゃんと見て、その魅力的な瞬間を見つけ出すことができているミルズ監督は、どんな人だろう。

女性差別を助長するトランプ政権のニュースが響く最中での日本公開となったこの映画では、1979年のカーター大統領の緊急テレビ会見が引用される。「利己主義に陥らない真の自由を」と、アメリカをアメリカたらしめている理想を説いたが、当時のアメリカでは笑いものになった。だが時を経た現在、笑いごとではない。その今のタイミングで、20世紀の女たちへのラブソングをこんなかたちでかき鳴らすなんて。

ましてや、ジュリーに「オーガズムは感じないけど、そのときの男のカッコ悪さが愛おしいのよ」と、男が知らないはずの女の真実を言わせているのだ。こんなことがわかってるなんて、アビーからジェイミーへの言葉を借用すれば「そんな男はキセキよ!」だ。

分身を映画の中でホメる程度のナルシシズムは優しく受け入れてさしあげたいし、彼にいま一番影響をもたらしているだろう20世紀の女、パートナーのミランダ・ジュライとの関係ももちろん聞きたい。

キセキの男は、ふんわり現れた。

母親を含めて女性たちも、男性と同じように心の中にいつまでも10代の自分を住まわせている、そういう危うさと愛おしさがあるのだと描いたその人には、やっぱり男の子が見え隠れしていた。

図々しく最後にツーショット写真をお願いしたとき、肩にまわってきた手もふんわり。少しもこちらをおびやかさない人だと会えばすぐわかるのに、それでも私が緊張しながらインタビューを始めたのは、「デビュー作にもこの映画にも、ヤラせてくんない女子が登場するのはやっぱりそんな甘美な体験が?」という下世話な質問を腹にかかえていたからで。(文: 町山広美)

 

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「やさしすぎるのは 僕の欠点かもしれない」

 

複数の人生が複数の時間軸で響く ポリフォニックな映画

町山 アビーがジェイミーに「女性に何か聞かれたらできるだけ言葉少なに答えて。謎めいた表情で」って教えるシーンがありましたけれど、今日はたくさん話してくださいね。

ミルズ もちろん(笑)。

町山 今回の発想の始まりからお聞きします。ミルズ監督自身のお父さんについて描いた前作『人生はビギナーズ』(10)でもすでにお母さんは登場していました。そのときから、次はお母さんでと決めていたんですか?

ミルズ 「ビギナーズ」を書いてるときは全然考えてなかったんです。でも撮影が始まって、自分の母のことについて出演者やスタッフに説明していたとき、「ああ、そうだ」と。「次はママのことを描こう」と。

町山 私が今回の映画を観て、まず思い浮かべたのは『フェリーニのアマルコルド』(73)だったんです。

ミルズ いいところをついてますねえ(笑)。「アマルコルド」はぼくもすごく好きな映画なんです。今回の物語がなんとなく見え始めたとき、「アマルコルド」のような映画にしたいなとは思ってたんです。自分や家族、その周辺の人々のポートレイトや自分が育った街を描き、登場人物の関係性や歴史、複数の人々の視点でナレーションをする。そういう点ではすごく影響を受けていると思います。

町山 「母親」というテーマから「20世紀の女たち」へ広がっていったのはどうして?

ミルズ ハッキリとした理由はないんです。ただ、母を太陽とすれば、太陽の周りを回る惑星にはいろいろな人たちがいる、なんだかちょっと凸凹のある人たちがいる。それを、1970年代後半のカルチャーも含めたポートレイトにしたいなと。すごくボンヤリとだけど、そういったことは最初から考えていました。

町山 70年代後半のカルチャーでも、とりわけ79年という年を選んだ理由は何ですか?

ミルズ カーター大統領の任期最後の年だったということと、パンクがぼくの住んでいたサンタバーバラに到達した年、というのが非常に大きいんです。パンクは76年くらいに生まれた音楽カルチャーだけど、アメリカの田舎のティーンエイジャーの耳にまで届くようになったのが79年だった。そして、イランで革命が起こり、スリーマイル島の原発事故が起こり、アップルコンピュータが生まれ、その前年には試験管ベビーが生まれ、ティーンエイジャーも親の許可なく避妊具や妊娠検査薬が買えるようになった。つまり、「いま」につながる現代社会のスタート地点、それが79年という年だったと思うんです。

町山 いまから思えば、あの時だった。そういえば、登場人物自身のナレーションで、少し未来から過去を振り返るように語る部分がありますね。人も時間もポリフォニーになっているのがとても面白くて。

ミルズ チェコ出身の作家ミラン・クンデラが書いた「存在の耐えられない軽さ」という小説がぼくは好きで、あの話も時間軸が同一線上ではなく、ポリフォニックなんです。少し進んだところで未来になって、また戻ってきて、普通の時間の流れを打ち破る。そういう構造がぼくは好きなんです。2〜3年かけて脚本は書いているんだけど、アイデアだったり、ものだったり、歴史の参照点であったり、それらをゆっくりと積み上げながら書き進める作業をしていきました。

町山 ポリフォニックな視点の中でも、主人公のドロシアが、自分は21世紀を知らずに死ぬんだということを、映画の最後ではなく中盤に、彼女自身のナレーションで語るところが印象的でした。そうすることで、そこから先が神話めいて感じられるというか、喪失の色みを帯びてきて。

ミルズ ぼくはどうしてあのナレーションを中盤に入れたんだろう(笑)。たぶん、そこまで意識はしてなかったと思う。でも結果、おっしゃるように効果的になった。「死」を、途中で語ったがために、その後の彼女のシーンに死の影がまとわりつくことになりますから。だから、神話というのもその通り。死者がしゃべっているというかゴーストがしゃべっているというか(笑)。それまでの時間軸がそこで壊れるんです。アラン・レネの『二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)』(59)もそう。現在と過去がいったりきたりして時間軸が壊れる、という意味ではね。

 

ヒーローに愛されたいんじゃなく
ヒーローになりたい20世紀の女性

町山 そして、映画『カサブランカ』(42)が重要な役割を果たしています。ドロシアの好きな俳優がハンフリー・ボガートだったり、「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」が流れたり。

ミルズ ボガートは母のお気に入りだったんです。だから、脚本を書くとき、ボガートの映画をたくさん観直して。母はもう亡くなっているのであらためて話を聞くことができない。母を理解するためには、ボガートの映画を観るのがいちばんだと思ったんです。

町山 ボガートの大ファンだったんですね?

ミルズ 「生まれ変わったらボガートと結婚したい」ってよく言ってた(笑)。ボガートって、いつも闘う姿勢でいるんです。巨大な権力に立ち向かっていき、そして敗れる。でもその負けっぷりは、セクシーで品がある。批判精神とともに、謙虚さや悲しみ、哀愁があるんです。そんなボガートの姿を観ていてぼくは気づいたんです。「そうか。ママはボガートに愛されたかったんじゃない。ボガートになりたかったんだ」と。ボガートの世界観や言葉のセンス、それはママそのもの。実際、母は、アメリア・イアハートのような空軍パイロットになることを夢見ていたし、そもそも男性のようなパワーを手にしたかった人。だから、ドロシアのセリフは、ボガートに言わせてもピッタリくると思うんです。

町山 「アマルコルド」にはハリウッドスターに恋する女性が登場するからそういうことかなと思って観ていて、でも途中で、ドロシアはそうじゃないぞって気づきました。私は監督と同世代なんですが、子どもの頃から、映画に出てくる「ヒーローに守られる女の子」じゃなく「私が戦う!」と思ってましたし(笑)。そういう、往年の西部劇の女性の役回りとは違う、女性のヒーロー願望を監督はよくわかってらっしゃるなあと。

ミルズ それが“20センチュリー・ウーマン”なんじゃないかとぼくも思いますから(笑)。

【後編】につづく・・・

 

『20センチュリー・ウーマン』

監督・脚本:マイク・ミルズ
6/3(土)丸の内ピカデリー/新宿ピカデリーほか 全国公開

1979年、CA州サンタバーバラ。シングルマザーのドロシア(アネット・ベニング)が、15歳の息子ジェイミー(ルーカス・ジェイド・ズマン)について、間借り人のアビー(グレタ・ガーウィグ)、ジェイミーの幼なじみジュリー(エル・ファニング)に相談したことから物語がはじまる。

提供:バップ、ロングライド/配給:ロングライド
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Mike Mills

マイク・ミルズ≫1966年CA州バークレー生まれ。映画の舞台でもあるサンタバーバラで2人の姉とともに育つ。グラフィックデザイン、CM・MVの監督など幅広く活動したのち、2005年『サムサッカー』で初めて長編映画を監督。2010年には自らの父をモデルにした映画『人生はビギナーズ』を制作。本作が3作目の長編劇映画となる。


 

町山広美

まちやま・ひろみ≫ 東京都生まれ。放送作家。数多くのテレビ番組の企画・構成を手がけ、雑誌・新聞でも連載コラムを執筆。ナレーターとしても活躍。


Photo: Kento Mori
Text&Edit: Izumi Karashima

 

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GINZA2017年6月号掲載