クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。26歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回はvol.47 祈祷の後で
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.48 車椅子のおじいさん
vol.48 車椅子のおじいさん
先日坂道を下っていたら、車椅子のおじいさんが坂の向こう側からやって来た。どうやらスーパーの帰り道らしく重そうな荷物を積みながら、車輪を手で押していた。「お嬢さん反対でしょう?大丈夫、大丈夫」と恐縮されるおじいさんに「手伝いますよ!」と努めて明るく申し出て、背中を預けて頂いたのは良いものの…見るのとやるのは100倍違う!とは正にこのこと。坂道で車椅子を押しながらその重さに驚き、重心の難しさに戸惑い、きゃー!ひゃー!と笑いながらご教授していただきなんとかご自宅までご一緒することができた。
来た道を戻りながら、おじいさんに言われた「ありがとう」に泣きそうになっている自分に気がついた。坂道の向こう側から車椅子のおじいさんが見えた時、お手伝いしたいと思った後、私は一瞬、躊躇った。断られるかなと身構えたからだ。
実は学生の頃に同じようなシチュエーションに立ち合ったことがあった。「余計なお世話かな」自分の中で散々迷った後、身体中の勇気をかき集め「あの…!」とやっと声になった申し出を、角ばった雰囲気で断られたことがあったのだった。「どうしたら良かったんだろう」と考えを巡らしながら帰ったあの日。声をかけるか、かけないか。自分の中にあった「傷つけないだろうか」という迷いがそのきっかけを作ってしまったような気がしてハッとした。困っている人がいたら、シンプルに手伝おうか?と声をかける。断られても、その人1人出来ることだったんだな、とオーケー!がんばれ!ってその場をさっぱりした心で去れるのに。相手の方が車椅子や杖を使っていたら声がけを躊躇して、その申し出を辞退されたらなぜだろう?と勝手に不安になる。あれ?私外側で物を見てしまっていたのでは?とそんな自分にガッカリしたのだった。だからもし今度そういう場面に遭遇した時はシンプルに明るく。そう決めていた。
坂道で出会ったおじいさんは自宅マンションの下で、私に「顔をよく見せて」と言った。「あなたの顔をよーく覚えておこうね」って笑った。マスクをしていて良かった。泣きそうになったからだ。「自己満?」ともう1人の自分が囁くのを今日はミュートする。違う。ありがとうって言われて、こちらこそ、って言うことがこんなにも難しくなっている今の世の中が悲しかった。そしてそんなその中を生きているみんなの心と私の心がもっと柔らかくなれば良いと思ったからだ。
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家入 レオ
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