すべての道はローマに通ずるが、すべてのクローゼットは異界に通ずる。
映画『ナルニア国物語』ではクローゼットの扉の先に一面の雪景色が広がっていて、少年少女たちはその異世界に春を取り戻すべく冒険活劇を描く。それから映画『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』では暗い衣装箪笥の中で想いを念じると時間をさかのぼる旅が始まり、主人公は過去の世界で恋愛模様を描く。このようにして衣類の収納空間は、時折に異界へのワープゾーンとしての役割を担わされることがある。
クローゼットのクワイエットな異界 文・ワクサカソウヘイ
すべての道はローマに通ずるが、すべてのクローゼットは異界に通ずる。
映画『ナルニア国物語』ではクローゼットの扉の先に一面の雪景色が広がっていて、少年少女たちはその異世界に春を取り戻すべく冒険活劇を描く。それから映画『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』では暗い衣装箪笥の中で想いを念じると時間をさかのぼる旅が始まり、主人公は過去の世界で恋愛模様を描く。このようにして衣類の収納空間は、時折に異界へのワープゾーンとしての役割を担わされることがある。
なぜクローゼットは「ここではないどこか」と親密になってしまうのだろう。それは、そこに詰められた衣服たちが奏でる魔力によるもの、というような気がしてならない。
「衣替え」という風物詩が語るように、服は季節の境目に箪笥を往来する。つまりクローゼットの中には、四季が満ちている。現実が春を迎えていても、部屋のその一角の闇には夏と秋と冬とが眠っている。それはコットンやリネンが彩るパラレルワールド。次の出番を待つセーターたちは、雪景色の記憶を静かに抱いている。
そう、衣服たちは、四季だけではなく過去の記憶をもまとっている。クローゼットから古いTシャツを取り出した時、私たちは若き日に仲間と楽しんだ海への旅行を思い出す。ソースの小さな染みが胸元に目立つカーディガンを手にした時、初めての恋人とのぎこちないディナーを蘇らせる。袖に付着する乾いた米粒を見つけて、いったい何年前のものなのかと、そのライス・タイムトリップに想いを馳せる。
「ここではないどこか」の情景や記憶を、うっすらと宿している衣服たち。それがクローゼットの中にはびっしりと詰まっている。一枚の力は微々たるものでも、数が集まればそれは魔力を得る。魔法陣として、異界への扉を召喚できるようになる。
押し入れに詰められた、衣服たちの集合的無意識。それが、やがてナルニア王国や時間旅行へと接続されていくのかもしれない。靴下がたまに片方なくなるのは、もしや異界へ吸い込まれたからなのか。
文筆家。主な著書に『出セイカツ記: 衣食住という不安からの逃避行』(河出書房新社)、『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫)などがある。
『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』 Blu-ray ¥2,075、DVD ¥1,572/発売元_NBCユニバーサル・エンターテイメント ©2015 Universal Studios. All Rights Reserved.