「オーケイ、レイディーズ、さあ組むよ Formation」。 ビヨンセが女性たちに呼びかける。オーケイのケイ、 レイディーズのレイ、Formationのメイ。畳みかける韻、がっちり聴き手の心に食い込む声。この曲、「Formation」は、大胆なPVで2016年の各種ビデオ賞を総なめにした。スーパーボウルでのブルーノ・マーズとの共演ではボディスーツに身を固めたビヨンセ率いるダンサー・チームがアメフトさながらの一糸乱れぬフォーメーションで踊り歓声に包まれた。
でも、ちょっと待って。この曲にはちょっと別の「フォーメーション」が響いていないだろうか。何度も繰り返される「I slay(私ヤバい)」をよく聴いてみよう。文字づらだけだと、まるでビヨンセが自分のヤバさを自画自賛しているようだけれど、歌声はそうではない。最初に「I slay」と歌うとき、ビヨンセは1人で自分に言い聞かせるように歌い、バックコーラスが “オーケイ”と応じる。ここではまだ「ヤバい」のはビヨンセだけだ。でも、サビに入ると関係は逆転する。「オーケイ、レイディーズ」と呼びかけるのはビヨンセで、「I slay」と歌うのはコーラスの方。つまり、ビヨンセの独り言で始まった「私ヤバい」はビヨンセからコーラスへと手渡され、複数のレイディーズたちがそれぞれに唱える呪文へと変わるのだ。しかもコーラスは「We」ではなく単数形で「 I 」と歌っている。複数で歌っていても「ヤバい」のはWeのカタマリではなく、あくまでそれぞれ単数のレイディーだ。
ソロとコーラスがお互いを入れ替える。ソロのヤバさがコーラスのヤバさになり、私のヤバさが別の私のヤバさになる。聴いている私もヤバくなる。こうして人々を巻き込み感情を高ぶらせていくのは、実はゴスペルの大きな特徴だ。ゴスペルのソロとコーラスの関係は、シティ・ポップスからファンクに至るまで、現在のポピュラー音楽にしっかり根付いている。そしてゴスペルはビヨンセになじみの文化だ。子どもの頃から教会で育ち、聖歌隊にも2年間入っていた。2015年のグラミー賞授賞式ではマヘリア・ジャクソンやプレスリーの名唱で知られるゴスペル「プレシャス・ロード」を歌って観客を驚かせた。
歌の形式だけじゃない。「Formation」の歌詞もまた、ビヨンセのルーツをはっきり主張している。アフリカン・アメリカンの父とクレオールの母との間に生まれた誇り高き自分を、「テキサス・バマ」という造語で表す。PVの1シーンでは、サザンベル(南部)風のドレスをまとったビヨンセとレイディーズがソファで優雅にポーズを決めている。そこに重なるコーラスが歌う。「私ヤバい」。
私たちが1人1人の私となって、互いのヤバさを称え合う。レイディーズの優雅な身構えはビヨンセがゴスペルの形で訴えるもう1つの「フォーメーション」なのである。