いつもとは違う、モードなニットポンチョでカメラの前に立つムロツヨシさん。
「僕がこれ着ていいんですか? 大丈夫ですか? 似合ってますか?」
はい。嵐みたいにカッコいいっすよ。
「松潤にからかわれる、絶対(笑)」。
瑛太、小泉孝太郎、小栗旬、山田孝之、松本潤……。ムロさんといえばよく話題になるのが〝華麗なる交遊録〟。大阪の飲み屋のオジサンから元首相まで、ムロさんの人懐っこさに心を許し、ついつい友だちになっちゃう人が続出してます。
「自慢してるわけじゃないんです。ただ、『友だちは誰ですか?』って聞かれるんで、そのたびに正直に答えるんですけど、数年前までは『ウソつくな。1回会っただけで友だちって言うな』ってよく言われました(笑)。そもそもの始まりは瑛太君なんです。僕は本広克行監督の映画『サマータイムマシン・ブルース』(05)が映像デビュー作で、主演は瑛太でした。僕は彼より学年で7個上。でもそれまでずっと演劇界にいたので、映像では瑛太が先輩。一緒に過ごして、いろいろ教わったんです。だから、瑛太が友だちを呼ぶと、必然とその世代になっちゃう。森山未來も松田龍平も新井浩文もみんな瑛太の紹介。瑛太君に友だちが多いというのがキッカケなんです」
ムロさんが役者になることを決心したのは19歳のとき。〝根拠のない自信〟により2〜3年でテレビに出られると思ったものの、オーディションに落ちまくる日々。自分で発信するため自作の一人芝居で打って出るも大失敗。やがて〝根拠のない自信〟をすべて使い切り、それでも役者を続けたいと思ったのが26歳のとき。捨て身で売り込みを開始し、本広監督との出会いを機に、少しずつ道が開けていく。それから10余年。いまやドラマに映画にひっぱりだこ。話題作にはかならずムロツヨシがいるといわれるまでに。
「応援し続けてくれた仲間がいてくれたからです。たくさんの友だちと出会ったからこそ、いまの僕がある。小泉孝太郎は瑛太と知り合った直後に仲良くなって。彼の家の合鍵を持つ間柄になりましたから(笑)。恥ずかしながら、ごはんをよく食べさせてくれて、横須賀の実家も我が家のように入り浸らせてくれました」
そして、わらしべ長者的に小泉純一郎氏とも仲良くなったムロさん。友だちをたくさんつくるコツって何ですか?
「僕は、仲良くなりたい気持ちを表に出すんです。飲み屋さんでも、隣の人の佇まいがいいなと思ったら仲良くなりたいオーラを出します。無言で(笑)。だからたまに、知らない人の連絡先が携帯に入ってるんです。『昨日はごちそうさまでした!』ってメールも来るんだけど、酔っぱらってて全然覚えてないから、これ誰? オレおごった?って(笑)」
幼い頃に両親が離婚。母は出て行き、父は再婚。ムロさんは親戚の家で育てられた。少々複雑な環境だったことも、人懐っこさの一因だったりするのだろうか。
「複雑というのも、大多数に比べると、というだけの話。複雑=負のイメージは一切ないんです。逆にこんなユニークな家庭に生まれてよかったと思うし、また生まれ変わったとしてもこの家族がいいんです。だからこそ、この世界を選んだし、表現欲が出たと思うから。基本的に、僕は人が好きです。人に興味がある。僕の知らないことを知りたいし、教えてほしいんです。だから、八方美人じゃなく、十六方、三十二方美人(笑)。ありとあらゆる人に好かれたい。八方美人は嫌われるけど、三十二方になると、仕方がないやつと受け入れざるを得ない。あきらめてくれるんですよ(笑)」
そんなムロさんも今年40歳に。これからの目標などはあったりしますか?
「やっと食べていけるようになったのが2〜3年前。役者になりたい、知ってもらいたい、そういった野心がいままでの僕を支えていたんです。それを達成したいま、野心に代わるものがまだ見つかっていないのが正直なところ。いま必死に探してる最中の40歳だなと思います」