『アデル、ブルーは熱い色』(13)などで知られ、フランスを代表する女優レア・セドゥ。彼女が、ある恋愛関係において何が嘘で何が本当か分からない、複雑な魅力をもった女性を演じたのが、新作映画『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』です。メガホンを取ったのはハンガリー出身で、30年以上、各国映画祭で高い評価を受けてきたイルディコー・エニェディ監督。この心揺さぶる予測不能なラブストーリーで、監督は何を伝えたかったのでしょう。
映画『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』監督インタビュー。レア・セドゥが体現した、人生で大切なあるレッスン
──この映画では1920年代のヨーロッパを舞台に、商船の船長をしているヤコブ(ハイス・ナバー)と、その美しいフランス人の妻リジー(レア・セドゥ)の、風変わりなラブロマンスが描かれています。監督は以前、二人のことを「同じ人間の男性的な部分と女性的な部分だったのかもしれない」と語っていましたが、それはどういう意味でしょうか?
実はこの視点は、映画が完成した後で私の中に生まれました。というのも、夫婦を演じたレアとハイスは、よく見るとすごく似ていて。青白い肌、高い頬骨、そしてヨーロッパ人には少しアジア的に感じられる切れ長の目。だから、なんとなく兄と妹のような雰囲気があるんです。実は原作小説(※ハンガリーの作家、ミラン・フストが1942年に発表した同名小説)では、二人の外見はまるきり異なっていました。がっしりした骨格でヒゲの濃い船長と、フランス人らしいブルネット(※フランス語でいう栗色の髪)の妻。でも映画では、俳優たちの外見が似ていることで、かえってジェンダーによる違いを強調できた。つまり、ある人が特定の経験をどう捉えるかにおいて、いかにジェンダーが強い影響を及ぼしているかを描くことができたと思ったんです。
──ヤコブは根は繊細ですが、海の男として無骨でロジカルな世界に生きてきました。妻のリジーはとても現代的な女性で、ヤコブはその自由奔放な行動に苛立ちや不安を募らせていきますね。
余談ですが、私の夫はオランダとの国境近くのノルトライン・ヴェストファーレン州出身のドイツ人で、身長が2メートルもあるがっしりした大男。一方の私は小柄です。でもどういうわけか内面は、私が男性的で、彼は女性的なんです。この映画には、そうした私の個人的な背景もたくさん反映しています。
──リジーとヤコブの関係は、まるでゲームのように始まりますよね。映画の冒頭で、ヤコブは船が泊まった先のマルタ共和国のカフェで、「最初に店内に入ってきた女性と結婚する」という賭けを友人として、初対面のリジーにプロポーズします。
二人の関係は、最初はある種の協定に過ぎず、一目惚れなどではありません。ヤコブはリジーに上品な女性だという印象を持ちましたが、実際は勇敢で自信に満ちています。自信がある人はより魅力的に映るものですよね? それでヤコブは「わあ、思ったよりずっとスパイシーで自由な人なんだ」と驚いたんです。リジーからすると、ヤコブは少し不器用な船乗りで、それまで彼女の周りにいた、洗練された紳士とは全然違っていた。だからお互いに「これは面白い。やってみよう」となったんですね。
──二人は結婚して、まずリジーの祖国であるフランス・パリに住居を構えますが、関係性は少しずつ変わっていきますね。
初めの頃、リジーはヤコブの不在中におそらくちょっとした不倫をして、それを隠すために嘘をつきます。嘘はすぐにバレますが、ヤコブはリジーを許すことにして、しかも恥をかかせないように機転を利かせました。その直後のシーンで、二人はタンゴを踊ります。私にとってはそれが、二人が相手を理解し、恋に落ちた瞬間なんです。つまり二人の関係がただのゲームから、より繊細で尊く、そしてより危険なものへと変化したということです。そういうわけで振付師には、いわば「会話としての振付」をお願いしました。二人が、言葉はなくとも心を通わせる、珍しい瞬間です。
──その後の二人には争いや駆け引きが絶えません。監督から見て、彼らの関係はどこでボタンを掛け違ったと思いますか?
私はボタンを掛け違った瞬間はないと考えています。今回、小さいけど重要な役が、リジーとヤコブがパリから引っ越した先のオランダ・ハンブルグで住むアパートの大家でした。この役を演じたのは、オーストリアの名スタンダップ・コメディアンであり、俳優でも監督でもあるヨーゼフ・ハーダーです。完成した映画を観た彼は、こんなメッセージをくれました。「二つの惑星が引き合いながら、互いの周りを回っているようだった。それぞれ魅力に引き寄せられていながら、反発力が働いて近寄れない」。そうやって揺らいでいるからこそ、お互いを理解するチャンスは常にあったと思います。
──どんなに絶望的な瞬間でも、心を通わすチャンスは失われなかったと。
ヤコブにとってリジーとの出会いは、それによって彼がいくら苦しんだとしても、人生のチャンスだったと思うんです。世界をもっと理解し、より大きな器で受け入れるためのチャンス。彼女と出会わなければ、彼は安全だけど狭い世界にとどまっていたでしょうから。
──先ほど挙がったタンゴのシーンなど、視覚的に美しく、それでいて意味深い絵作りも印象的でした。撮影監督のマルツェル・レーヴさんは、監督と同じくハンガリー出身で、ゼンデイヤ主演・ドレイク製作総指揮のHBOシリーズ『ユーフォリア/EUPHORIA』などを手掛けた注目の若手です。
マルツェルとはもともと仲のいい友人でした。優秀な撮影監督であるだけでなく、深い考えを持った人です。ハンガリー・ブダペストにあるスタジオでの撮影では、私たち二人の共通の知り合いである、高齢ながら素晴らしい技術を持った照明監督にも来てもらいました。何気ないのに効果的な照明を考え出してくれる人なんです。
──たしかに照明使いが巧みでした。ヤコブとリジーが住む2軒のアパートでのシーンは、スタジオに美術セットを建てて撮影したそうですね。
照明はドラマツルギーの秘密兵器です。視覚的な美学を作るというよりも、特定の考えを強調するためのものだと考えています。アパートについては美術監督のイモラ(・ラング)とマルツェルと3人で、細部まで作り込みました。パリのアパートでは、リジーのくつろいだ雰囲気が出る照明が狙いでした。ミニマルでエレガントな透明感があり、窓から光が自由に降り注ぎ、人の姿にパッと目がいく空間。一方でハンブルグのアパートでは、天井が狭く複雑な間取りによって、カメラはあらゆる空間を、ドア枠や窓枠を通してのぞき見できます。全体に濃い色で統一され、壁紙の攻撃的ともいえるパターンや、必要最低限の光を取り入れる細長い窓が特徴です。ここで、二人の問題はますます深まっていきます。
──照明と美術は物語の動きに応じて、セットで設計されているんですね。
ええ。ハンブルグのアパートでは、二人がドア枠の向こう側で、どこか荘厳な雰囲気でセックスをするシーンがありますよね。最初はベッドにいるヤコブだけが見えて、リジーがバスルームのドアが開けると、ベッドに細い光の筋が届きます。一方で前景の薄暗い部屋には、通りから入る光が当たっています。2種類のなんでもない光で、束の間の神聖な愛のイメージを作り出しているんです。
──ロジカルな海の世界で生きてきたヤコブは、結婚生活を通して、コントロールを手放すことを学んでいきます。監督の前作『心と体と』(17)の主人公・マーリアも、超が付くほどロジカルな生き方をしている女性で、そんな自分を、夢を通して解放していきました。この、「ロジックから抜け出す」「コントロールを手放す」というモチーフに惹かれるのはどうしてでしょうか?
自分もそれを勉強している最中だからですかね(笑)。私の父も80歳を過ぎてから、人生のまったく新しい官能的な部分を発見しています。自分自身にオープンでいるのを許すこと、それは終わりのない物語なんです。
──自分自身にオープンでいるのを許すこと、ですか。
私はむしろ、マーリアとリジーに共通点を感じます。二人とも、ある意味で“強者”なんです。マーリアは社会的な役割をうまく演じることができず、周りから馬鹿にされています。でも彼女自身も自覚していないことですが、本当は常に自分自身でいるという、穏やかで自然な権威を持っているんです。
リジーも表面的には弱者ですよね。1920年代のことですから仕事は持たず、夫の帰りを家で待っているだけの妻です。でも実際は、人を魅了する振る舞い方など、世の中の道理をよく知っています。リジーがただ自分自身でいることが、ヤコブにとっては生きたレッスンとなる。ずっと後になって、彼はそのことを理解するんです。
──マーリアもリジーも社会的な常識を超えて、どうしようもなく自分らしく生きている点が共通しているんですね。
ヨーロッパのある国でこの映画を上映したとき、感動的な経験をしました。上映後にある中年男性が私のところにやってきて、こう言ったんです。「私は10年間、リジーのような女性と一緒に暮らしていました。毎朝、目が覚めるたびに『今日が別れの日かもしれない』と思っていた。それは純粋な苦しみだった。でも今では、彼女はただ自由に生きていただけなんだと分かったんです」。この気付きこそが、彼の武器になると思いました。
──女性が自由になることは、男性も自由になるということなんだなと感じさせるようなエピソードですね。
そのとおりだと思います。女性の権利を守るのは、みんなにとっていいことですよ! リジーはジェンダーの規範に対してこれ見よがしに反乱を起こすわけではないけど、もはやそれ以上の存在です。私はそんなふうに彼女を見ています。
『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』
1920年のマルタ共和国。船長のヤコブは、カフェに最初に入ってきた女性と結婚するという賭けを友人とする。そこにリジーという美しい女性が入ってくる。ヤコブは初対面のリジーに結婚を申し込む。その週末、二人だけの結婚の儀式を行う。幸せなひとときを過ごしていたが、リジーの友人デダンの登場によりヤコブは二人の仲を怪しみ嫉妬を覚えるようになる……。
原作: ミラン・フスト
監督・脚本: イルディコー・エニェディ
出演: レア・セドゥ、ハイス・ナバー、ルイ・ガレル、セルジオ・ルビーニ、ルナ・ウェドラー
配給: 彩プロ
2021/ハンガリー・ドイツ・フランス・イタリア/英語・フランス語・オランダ語・ドイツ語・イタリア語/シネマスコープ/169分/原題:A feleségem története
8月12日(金)より新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座、ユーロスペースほか全国公開
© 2021 Inforg-M&M Film – Komplizen Film – Palosanto Films – Pyramide Productions – RAI Cinema – ARTE France Cinéma – WDR/Arte
🗣️
イルディコー・エニェディ
1955年、ハンガリー・ブダペスト生まれ。アーティストとして自身のキャリアをスタートさせた後、映画監督兼脚本家にシフトチェンジ。第1作『私の20世紀』(89)はカンヌ国際映画祭でカメラドール賞(最優秀新人賞)を受賞し、ニューヨーク・タイムズ紙の年間映画ベスト10映画に選出された。2017年には、前作『心と体と』がベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。ヨーロピアン・フィルム・アカデミーのメンバーであり、ハンガリーの功労大十字勲章を受勲。現在はブダペストと、ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州で2拠点生活を送っている。
Text&Edit: Milli Kawaguchi