「綾野です、よろしくお願いします」。顔を合わせるや自ら名乗り、挨拶をしてくれた綾野剛。今回、脚本家・映画監督として一時代を築いた荒井晴彦監督の新作映画『花腐し』で扮した主人公を、「感じ方を忘れた」人物だと捉え、彼がそれをわずかでも思い出せたらいいなと思いながら演じたという。芝居も人生も、些細なことこそ丁寧に。そんな哲学が窺えるインタビューとなった。
綾野剛が「How are you?」を大切にする理由
「そこに自分じゃない誰かがちゃんといて、しゃべりかけてもらえるのは、今生きていることの証」|映画『花腐し』インタビュー

──荒井晴彦監督とは今回初タッグとのことですが、どういう経緯で出演が決まったんでしょう?
オファーをいただき、脚本も読ませていただきました。その後荒井さんとお会いして「ぜひよろしくお願いします」とお返事しました。
──荒井監督は、若松孝二監督主宰の若松プロダクションの助監督を経て、日活ロマンポルノで脚本家デビュー。以降、『赫い髪の女』(79)、『Wの悲劇』(84)、『共喰い』(14)などで数々の脚本賞を受賞してきた方です。これまで荒井作品はどんなふうに観てきましたか?
荒井さんが脚本を書かれた映画『ヴァイブレータ』(03)がとても好きで。そこから、(柄本)佑くん主演の『火口のふたり』(19)などの監督作にも触れ、ロマンを感じました。今はムード自体が、映像化されることが少なくなってきたような気がしているのですが、生っぽい映像や脚本から、香り立つ匂いが伝わってくる、そんな印象を荒井さんの映画からは受けてきました。
『火口のふたり』も映画人が集まった作品で、芸術だと思えるようなカットがあったりして。荒井さんや映画人のみなさんが見てきた、切り取ってきた世界は、本当に素敵だと感じていました。今回ご一緒できたことはものすごく光栄でしたし、ご褒美でもありました。
──最初に脚本を読んだ感想を教えてください。
「台本」や「シナリオ」、「演出本」など、いろいろな“ホン”の呼び方がありますが、久々に「脚本」と出合いました。作家性が強く、脚本を読むとはこういうことかと。(役を)どのように生きればいいかは、そこには書かれていないのです。
──最初に読んだ時と、撮影稿とでは、脚本は変わりましたか?
変わっていないと思います。最初に読んだ時から一回も描きたいビジョンがブレていない。そのプロ意識が本当にすごいですし、丁寧だと思いました。
初見の段階で「これです」というものを見せ切っている潔さ、かっこよさが脚本そのものにも宿っていました。すごく筋肉質でストイック、なおかつ繊細。脚本が完成されているから、役者が会話を読んでいるだけで成立するのです。
──極論、誰がどうセリフを言っても一応成立はしてしまうと。
はい。どうやっても成立してしまうからこそ、朗読にもなりうるという難しさがありました。きちんと「彼ら」の心音が鳴っているかどうかが、すごく大事で、逆に言えば、そこだけに集中できたというのは、脚本力の強さの証拠ですね。
──綾野さんが演じたのは、ピンク映画業界で活動する映画監督の栩谷です。どういう人物だと捉えていましたか?
表層的に見たら情報が少ないですし、サービス精神がなく、感情の起伏があまり表現されない人ですが、そういう自分の気持ちを表現することが不得意な人だってたくさんいると思います。
彼の内省においては、常に何かくすぶっているものがある。雨が降っても消えないそのくすぶりに、もう一回火を灯したい。そして栩谷に、きちんと作品の中で生きてほしいという想いがありましたので、彼の時間が、鼓動が止まらないように努めました。
──栩谷は傍観者めいたところがあります。たとえば冒頭のお葬式で映画人たちが業界の不況をめぐって口論になる時も、あるいは終盤で柄本佑さん演じる伊関が二人の女性と体を交える時も、画面の隅でずっと一人タバコを吸っています。栩谷の、いつもどこか「俺は関係ない」って顔をしている、独特な存在感はどう意識されていましたか?
逆説ですが、一番目立つ行動をしていますね。
──たしかに。隅にいながらも、一番目立つ。
映画人のみなさんがあれだけ暴れているのに、黙ってタバコを吸っている。目の前で起きている3人の交わりも意に介さない、微動だにしない。栩谷としては地蔵のようにずっとそこにいるのに、自分の存在を証明してくれる人がいない。その目立ち方は、栩谷なりのメッセージかもしれません。
──栩谷はスランプ状態に陥っていて、映画を5年間撮れておらず、また恋人の祥子(さとうほなみ)を亡くしたばかりです。
そこで出会ったのが、伊関。ちょっと話をすれば、「一筋縄ではいかない男」とわかる。かといって引き下がるわけにもいかず、そうこうしているうちに、会話が始まり、対話に変わり、体温を交わし合っていくと、気づいたら笑い合っていた。「何年ぶりだったんだろう、この二人が笑ったのは」と思えまして。そこに自分じゃない誰かがちゃんといて、しゃべりかけてもらえるのは、今生きていることの証。
伊関と栩谷は、写し鏡のような関係性です。二人とも世間からは幽霊のような存在。誰にも気づかれず誰とも交わらない。お互いに「俺たちは幽霊じゃないよね」と生きていることを確認し合っているような。伊関の部屋でともに過ごして、でも、目を覚ませば一人。その時に、「やっぱり俺は幽霊だ」と思うか、「さあ飯食って帰ろう」と思うかは、ものすごく大きな違いですよね。
──荒井監督はどういうふうに演出をする方ですか?
ただ静かに、じっくりと見つめていました。具体的な指示は、芝居に関してはありませんでした。一方で、性的描写や食事など、肉体的行動の理由をとても丁寧に説明してくださいました。脚本でも、そういったシーンはト書きがものすごくしっかり書かれています。しゃべってはいないけれど、ちゃんと「会話」しているんです。
──言葉ではない、言語の交換があるんですね。柄本佑さん、さとうほなみさんとの掛け合いはいかがでしたか?
佑くんは大好きな役者さんで、僕は彼のファンなんです。声も芳醇で、終始うっとりしていました。共演したことは何度かありますが、こんなにしっかりタッグを組むのは今回が初めてでした。でもそんな気が全くしなくて、もう何年も前から知り合いだったかのように、お互いをリスペクトし合えている。そんな時間を過ごすことができました。それも佑くんの受け皿の広さのおかげです。
ほなみさんはとにかくエンジンが大きい方で、おおらか。直感に耳を傾けながらも、しっかりと地に足がついている。二人とも、とにかくかっこよかったです。
衣装全て(サンローラン|サンローラン クライアントサービス tel_0120-95-2746)
Photo_Eri Morikawa Styling_Hiromi Shintani (Bipost) Hair & Make-up_Mayu Ishimura Text & Edit_Milli Kawaguchi