カズオ・イシグロ原作の映画『遠い山なみの光』が9月5日(金)に公開される。1950年代の長崎と1980年代のイギリスを舞台にしたヒューマンミステリーにて未来を夢見る女性を演じた二階堂ふみが、作品について語る。
『遠い山なみの光』二階堂ふみにインタビュー。狭間でまたたく生を体現

英国が誇る小説家カズオ・イシグロには、原点と言える作品がある。5歳で長崎から移住した自身の半生を着想源とする『遠い山なみの光』だ。1982年に作家初の長編として発表され、王立文学協会賞を受賞。それから40年以上の時を経て、『ある男』(22)などで知られる石川慶が監督・脚本・編集を担って映画化を実現した。
物語は、1950年代に渡英した悦子が、イギリスで生まれ育った次女に日本の記憶を打ち明ける形で展開される。戦後の長崎では、原爆の傷跡も癒えきらぬまま、社会が目まぐるしく変化していた。欧米文化が押し寄せ、戦前の思想も一転批判に晒された。そんな時代を生きた悦子の回想に登場するのが、二階堂ふみ演じる佐知子である。
「すごく自立心があり、外に目を向けている女性だと思いました。終戦から数年を経てもなお過去と現在の狭間で揺れ動く人が多いなかで、佐知子だけは過去にとらわれていないと感じました」
役柄への第一印象をそう振り返る。佐知子は、広瀬すず扮する若かりし悦子が近所で出会った女性。川岸に立つあばら家に住み着き、万里子という娘を一人で育てている。謎めいた雰囲気の持ち主だが凛としていて、「近いうちにアメリカに行くの」と繰り返す。かたや悦子は会社員の夫と団地で暮らし、第一子を妊娠中。その視点から語られる佐知子は、奔放で開明的で、それゆえ異質でもある。東京に住んでいたこともあって標準語を使う彼女の物言いは、どこか遠くから聞こえてくるような、不思議な強い響きを持っている。
「演じる上で、長崎に住んではいるけれど地元育ちではないという意味での異質さは意識していたかもしれません。ただ、こういう発声や口調にしようと特に計算していたわけではないんです。佐知子は、基本的には狭間にいる人。作品内でよく『橋の向こう』というワードが出てきますが、佐知子が住んでいるのは川のそばで、橋のたもと。実際に非常に不安定な場所に家があります。完全なる〝向こう側〟の人間でもないし、〝こちら側〟の者でもない。意志ある女性ではありますが、そうした不安定さがキーとなった役だとも感じます」
役作りにおいて二階堂が大事にしていたのも、悦子と対峙する存在としての佐知子を作り上げていくことだったという。
「物語が進むにつれて、佐知子の描かれ方は少しずつ変わっていく。その描写が映画全体の仕掛けにもつながっていきます。キャラクターの一貫性は保つようにしていましたが、〝悦子あっての佐知子〟というところを、主に考えていました。広瀬さんの動きやテンションに反応するようなお芝居をしていけたらいいな、と思いながら撮影に臨んでいましたね。本番でOKをもらっても、手応えをすごく感じるというよりは、『監督がOKと言うのだからこれでいいんだ』と納得していく。探り探りの感覚はいつもありますが、この現場ではそれが少し強かったかもしれません」
作中、悦子と佐知子は合わせ鏡のように、互いの異なる価値観を映し出す。海外へ行くことを夢見る佐知子は、英語も巧みに操る。
「好奇心の赴くまま動こうとする姿には、共感するところがありました。けれど、ある程度環境が整っていて自由度の高い今に生まれた我々世代が好きなことをするのとは大きく違う。あの時代を生きる人にとっては、それは全くたやすいことではなかった。好奇心以上に、精神力や体力のいることだったのではないでしょうか。生きていくために、興味の広がりにリミットを設けなくてはいけない。でも、佐知子は外に出ていく可能性を自分で自分に与え続けている。私も、その心持ちに刺激を受けながら演じていました」

それぞれが痛みを抱えながらもがき、希望を育てようとしていた時代。撮影が始まる前、二階堂は社会背景や史実を入念にリサーチした。
「この作品は、戦争、そして原爆のことを一つの大きな軸としています。長崎には行ったこともあり、とても美しい街だという印象を持っていましたが、あらためて50年代の様子について調べました。ドキュメンタリーや、体験者のインタビューを読ませていただいたりして。主観で演じることももちろん重要ですが、今回は当時の状況を感じることが、私にとっていちばん大事だった気がします」
あからさまな形では示されないものの、被曝や戦災の爪痕は、画面の端々に表れている。
「私自身含め、この映画に関わっている人のほとんどは戦争を経験していません。だからこそ、こういうテーマを扱うことの責任のようなものを持ちながら演じる必要があると考えました。ただ、戦争の話は、出身に関係なく、また、戦後80年という節目にも関係なく、私たち全員が義務として語り継いでいくべきこと。長崎では原爆で7万人以上の人が亡くなり、後障害で苦しむ人たちもたくさんいた。そんな社会で、自分の過去とどう向き合っていくのか。その問いが、佐知子だけでなく悦子のうちにもある。映画を観る方にはエンターテイメントとして楽しんでほしい気持ちもありつつ、やはり、我々は過去を背負っているのだと感じてもらえたらうれしい。作品内でも当時の偏見が少し描かれていますが、差別とは無知から来るもの。だから、『知る』ということが非常に大切だと思います」
真摯に役柄と作品の意味に向き合う。その切実さが、二階堂の俳優としての深みを作っているのだ。最後に、撮影期間中の思い出をたずねると、小さな共演者たちについて教えてくれた。
「万里子役の鈴木碧桜ちゃんがとても素敵で。大人たちの言葉を一生懸命に自分のなかに落とし込もうとするんです。その姿に胸を打たれました。あとは、万里子が飼っている猫たちにも注目してほしいです。保護猫の活動をしているアニマルコーディネーターの方が連れてきた子たちで、みんなとても〝演技〟上手でした。現場では、私が一匹一匹に名前をつけていたんですよ」
Photo_Sodai Yokoyama Hair&Make-up_Aiko Tokashiki Text_Motoko Kuroki






