『へレディタリー/継承』や『ミッドサマー』で知られるアリ・アスター監督が、新作『エディントンへようこそ』を引っ提げて来日したのは、東京国際映画祭。そんな監督と対談すべく大量のメモを用意して現れたのは、俳優の河合優実。かねてアリ作品の大ファンだという彼女と監督は、何を語り合うのか?
アリ・アスター監督 × 俳優・河合優実
時代を牽引する二人の映画談議


『エディントンへようこそ』は、ニューメキシコ州にある小さな町エディントンが舞台。2020年、コロナ禍によって隔離生活を余儀なくされた住人たちが、インターネットに渦巻く陰謀論に翻弄されながら分断されていく姿を、ブラックユーモアたっぷりに描いた群像劇だ。アリ・アスター監督と対談相手の河合優実は、この日が初対面。しかし、監督は彼女が主演を務めた『ナミビアの砂漠』を高く評価しているらしく、出会い頭に「あの演技は素晴らしかったです!」と絶賛するひと幕も。恐縮そうに感謝を告げる河合が、『エディントンへようこそ』への感想を語ることから対談は始まった。
アメリカの全体像を描くことで
今の世界が抱える問題に迫る
河合優実(以下、河合) 試写会で拝見したのですが、今の世界に対してすごく率直な視線を投げかけられていることに驚きました。私自身も、世界は言い訳できないくらい悪いほうに向かっているという実感があるので、アリ・アスターさんみたいな監督が、こういうテーマで映画を作ってくれたことがうれしかったし、共感もしました。
アリ・アスター(以下、アスター) 光栄です。この映画から多くのものを受け取ってくれて、ありがとうございます。僕らの世界が悪いほうに向かっているという意見には、同意しかありません。そして、映画の舞台である2020年から5年という歳月が流れましたが、僕たちが変わることができたかといえば、答えはノー。むしろ悪化の一途をたどっているように感じます。でも、この状況から抜け出すための答えを僕らは持っていません。
河合 それは映画を観ながら私も感じました。『エディントンへようこそ』の終わりには、安易な答えや希望が描かれてなかったからだと思います。だからこそ、私にとってはすごく胸が痛む体験でした。
アスター 確かに、まだ答えは見つかっていません。だけど、作品を通して何かを問いかけることはできると思っています。「今、僕たちが歩んでいるのはこんな道ですよ?ここに留まりたいんですか?」と。
河合 私は日本でも話題になった『ミッドサマー』で監督の作品を知りました。そしてその次の『ボーはおそれている』が大好きなのですが、これまでの監督の作品は、個人的でありながらとても独特な世界観を、他の誰にもできないやり方で表現していた印象があります。ですが、今回の映画では、キャラクターだったり、ひとつひとつのエピソードに、作り手の視線がグッと深く入りそうになったりするところをちょっと抑制して、全体を捉えようとしている手触りがあって、新鮮でした。自分自身とではなく、現実の世界と向き合っているというか。
アスター 今回目指していたのはまさにそこでした。この作品では、できるだけ俯瞰して、今のアメリカの全体像を広い視野で捉えつつ、登場人物たちがそれぞれの課題と直面する物語を描きたかったのです。社会や文化がバラバラになってしまっているという事態を、それでもなおひとつのまとまりとして語り切るというのは挑戦でした。

盲目的な現状の追認ではなく
別の未来に向けたビジョンを
河合 以前のインタビューで、「『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』『ボーはおそれている』は、ある種の三部作である」とおっしゃっていたのを読みました。その意味でいうと、『エディントンへようこそ』は新しい試みだったのですか?
アスター 現実社会を捉えようとしたという意味では、そうかもしれません。それは僕が考えうるどんなフィクションよりも、現実が奇妙になってしまったからです。現代を舞台にした映画はいくつも作られていますが、僕たちの置かれている状況の奇妙さ、とりわけインターネットに呑み込まれつつある世界で暮らす恐怖に肉薄した作品はほとんどありません。今、僕たちはインターネットによって歪められた現実の中で生きています。そしてAIの台頭によって、さらに危険な領域に足を踏み入れつつある気がします。今の僕が考えているそういったことが、この映画では表現されているのです。だから、その意味でなら、本作もまた個人的な映画と言えるでしょう。
『ヘレディタリー/継承』は僕の家族から着想を得ていますし、『ミッドサマー』は恋人との別れの最中で脚本を書きました。『ボーはおそれている』も、僕自身のプライベートな物語です。僕はいつも、自分がそのときどきで考えていることを映画にしているのです。
河合 AIやディープフェイクの影響で間違った情報が氾濫するようになったこと、そしてコロナ禍以降さらに加速したように感じられる分断の流れ、そういった全部の歯車が最悪な方向に嚙み合っていってしまっている気がしています。だけど、現代の映画は「それでも希望を持って頑張っていこうよ」って訴える作品が多い。そこから勇気をもらうことがあるのも確かですが、『エディントンへようこそ』では今の私たちの世界がぶっ壊れているんだってことをそのまま見せつけられている気がして、とても面白かったし、とても落ち込みました。
アスター 希望は重要です。ただし、盲目的な楽観主義は、今の状況にふさわしくない。必要なのは、現状を追認することではなく、別の未来に向けた具体的なビジョン。ただ「大丈夫、乗り越えられる」と目を閉じてつぶやくだけでは、もはや立ちゆかない局面に僕らは差し掛かっているのだと思います。壊滅的な今の状況を直視した上で、「どうすれば僕らは一致団結できるのか」と問い続けること。それが大事なのではないでしょうか。

孤独な者たちがつながり合える
それこそが芸術の最大の価値
河合 ちょっと大きい質問になってしまうのですけど、そういう世界で映画を作ること、芸術に携わることに対して、無力さや孤独を感じたりすることはありますか。
アスター 今の僕が映画を作れているということ自体は、幸運だと思います。ただ、ほとんどの人がそうであるように、孤独を感じない日はありません。それはこの世界のシステムが、僕たちに孤独を感じさせるように、少なくとも分断を煽り、孤立させるように設計されているからではないでしょうか。僕は映画だけでなく、芸術全般について楽観的とは言えません。特にAIは、芸術の価値を貶め、人間の創造性や努力を過小評価するために使われていると感じています。しかし、だからこそこれまで以上に、芸術が重要だとも思うのです。それが希望の表現であっても、絶望の表現であっても。
河合 なるほど。
アスター 『エディントンへようこそ』を虚無的だと評する意見がありますが、そうは思いません。僕としては、2020年という過去において僕たちがいた場所を、ただ見てほしかった。そうやってかつての自分たちと向き合う必要があると思うし、それによって議論を巻き起こしたかったのです。賛否両論あるでしょう。それでも、うまくいけば、僕と同じように現状に不安や恐怖を感じている誰かに、共感をもたらしてくれるはず。それは連帯感として機能し、孤独感を和らげるかもしれません。実際、『ナミビアの砂漠』を観たとき、河合さんの演じたキャラクターにはとても感銘を受けました。そして、僕はまだ見ぬあなたや山中瑶子監督とずっと知り合いだったような気持ちになれたのです。あなたと他者をつなげること。それこそが芸術の最大の価値だと思います。
河合 とってもうれしいです。ちなみに、次の映画の構想はありますか?
アスター いくつかアイデアはありますが、まだどれに取り組むか決めていません。可能であれば、もう少し僕たちの世界に留まりたい。
河合 それはつまり、ファンタジーとかではなく、今回と同じように現実社会に根ざした映画ということですか?
アスター その通りです。僕は今という時代の迷子になってしまったと感じています。『エディントンへようこそ』では僕が世界に対して感じている“痒み”に対処しようと試みましたが、作り終えた今もなお、まだ“痒み”が消え去ってはくれていないので。

河合 お会いしたのは初めてでしたが、監督は想像していた通りの人でした。日本の狭い市場で映画作りに携わっている私にとって、ハリウッドはやはりとても遠い世界に感じます。だけど、今日話してみて、“仲間”と言ったら言い過ぎかもしれませんが、私たちは同じ時代を生きているんだなと感じることができました。そんな監督の考えていることに、直接触れることができてすごくうれしかったです。
アスター 僕たちは仲間じゃないですか。僕の印象としては、河合さんはとても聡明で、思慮深い人だなと思いました。今回、質問してくれた全てのことからも、それは感じられました。『ナミビアの砂漠』の河合さんは、複雑で矛盾した意識の持ち主を、きちっと研究された上で演じていましたが、今日お会いしてその表現力の源がどこにあるのかわかった気がします。これからもあなたの作品を観るのがとても楽しみです。
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『エディントンへようこそ』
舞台はコロナ禍の田舎町。保安官ジョーは市長テッドとの些細な諍いが引き金となり、次期市長選への立候補を決意。彼を中心に、ネットの陰謀論やブラック・ライブズ・マター運動などで騒然となる住人たちの姿が描かれる。ジョーはホアキン・フェニックス、テッドはペドロ・パスカルが演じている。その他、エマ・ストーンやオースティン・バトラーなど脇を固める役者陣も超豪華。公開中。
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アリ・アスター
アリ・アスター>> 映画監督。1986年生まれ、アメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク出身。アメリカン・フィルム・インスティチュートで映画を学んだ後、いくつかの短編を経て、2018年にA24製作の『ヘレディタリー/継承』で長編監督デビュー。新感覚ホラーとして絶賛される。その他の作品に『ミッドサマー』『ボーはおそれている』。
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河合優実
かわい・ゆうみ>> 俳優。2000年生まれ、東京都出身。2021年公開の映画『由宇子の天秤』で注目を集める。その他の出演映画に『サマーフィルムにのって』『少女は卒業しない』『あんのこと』『ナミビアの砂漠』『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』など。現在公開中の三宅唱監督作『旅と日々』に出演している。
Photo_Reiko Toyama Styling_Hiromi Shintani (kawai) Hair&Make-up_Takae Kamikawa (mod’s hair_kawai) Text_Keisuke Kagiwada



