黒木華さんには、どこか文学の香りが漂う。その名を全国に知らしめたのが、中島京子原作の『小さいおうち』(山田洋次監督)だったせいか、石井岳龍監督や岩井俊二監督など、文学的な作風の映画に多数出演しているせいか。はたまた、ドラマ『重版出来!』の新人漫画編集者役がとびきりキュートだったせいか?現在公開中の『散り椿』(木村大作監督)は葉室麟原作の美しい時代劇だし、11月に公開される『ビブリア古書堂の事件手帖』(三島有紀子監督)の原作は大人気ミステリー。真相を究明する主人公の古書店主・栞子を演じた。極度の人見知りなのに、大好きな本のことになると途端に饒舌になる栞子。黒木さんもこんな感じの人?と想像してしまうくらいはまり役だった。
「ありがとうございます(笑)。うれしいです。本好き、太宰(治)好きなところは、栞子さんと共通していますね。三島監督もものすごく本がお好きで、ビブリア古書堂のセットでも本の並べ方までこだわっておられました。古本の匂いに包まれているのは幸せでしたし、空き時間に書棚を眺めるのも楽しかったです!」
ちなみに黒木さんが一番好きな太宰の小説は『人間失格』。中学生のときに初めて触れ、その後も繰り返し読んでいるという。
「再読するたびに、主人公のダメなところが人間らしくていいなと思うようになりました。太宰の文体もすごく好きです。日本語が本当に美しいですよね」
10月に公開する映画『日日是好日』は、20歳からお茶を習い続けた森下典子の24年間を綴ったエッセイが原作。数多くの時代劇で、美しい所作を見せている黒木さんのこと、茶道はとうに経験済みと思ったら、実は初めて。撮影にあたり、約1カ月間猛特訓を受けた。
「お茶を習う前は、堅苦しいものというイメージがありました。ところが、お稽古を重ねていくと次第に、お点前の時間が自分と向き合う時間になっていったんです。せわしない時代だからこそ、こういう時間は尊いなと感じました」
お点前を習得する過程とともに、典子(黒木華)という人間のゆるやかな成長を描く本作。茶道が、五感を使って季節のうつろいを感じられる豊かなものであることを鮮やかに伝えている。この映画で“ただものではない”お茶の師匠・武田先生役を演じたのが樹木希林さんだった(*本取材は、逝去前に行われた)。樹木さんは、黒木さんが主演と聞き、本作の出演を決めたのだそうだ。
「あとからそれをうかがい、本当に光栄だと思いました。今回初めて、ご一緒させていただいたのですが、樹木さんはお芝居の計算をしていらっしゃるようにまったく見えないのです。気張らず、自然にすっと作品世界のなかに存在されているその佇まいにはとても憧れました」
樹木さんからたくさんのことを吸収したいと共演しながら、見入っていた。
「すごい方なのに、樹木さんは、人に緊張をさせないのです。雑談で『なぜあの映画に出たの?』と率直に質問されたり(笑)、言葉に嘘がなく、かっこいい方でした。ご自身で責任を持って選択をされてきた生き方が刻まれて、深い魅力になられているんだと思いました」
樹木さんに限らず、黒木さんは芸能界のなかでも、錚々たる人たちと仕事をしてきている。なにしろ、本格的なデビューが故・中村勘三郎と野田秀樹との三人芝居『表に出ろいっ!』(2010年)である。中堅俳優でも気後れしそうな相手、黒木さんは緊張しないのだろうか。
「それが……お芝居のときはあまり緊張しないんです。ただ、それは、先輩方がそうさせてくださるのだと思います。私に無駄な緊張をさせず、『何をやってもいいんだよ』という空気を作ってくださいます。懐が広く、どんな芝居も受け止めてくださる安心感があるんです」
勘三郎さんも野田さんも、その世界に新しい風を吹き込んだ革命児たち。当時20歳の黒木さんは、大御所たちの、子どものように純真な側面を目の当たりにして興奮した。
「『表に出ろいっ!』はいかにくだらないことをやり尽くすかという舞台だったので、50歳を過ぎた大人の方々が真剣に遊んでいる様子は、見ていて楽しくてしかたありませんでした。チャーミングで、最高な大人ですよね!」
自由な芝居ができるのは、歌舞伎という反復練習を積み、基礎を身につけているからこそ。そのことを勘三郎さんに教えられ、博識で好奇心旺盛な野田さんには、教養に裏付けられた遊びの面白さを教わった。
大御所といえば、70代の木村大作監督、80代の山田洋次監督にも黒木さんは愛されている。木村さんは日本映画を代表する名キャメラマンであり、黒澤明の撮影助手も務めてきた人。
「木村大作監督は、黒澤さんの撮影現場の自由で破天荒なエピソードをたくさん話してくださいましたし、山田洋次監督は、戦争体験を伝える大切さを常にお話しされています」
レジェンドたちが歩んできた真の歴史に触れるとともに、パワフルなものづくり精神にも驚かされてきた。
「みなさん、すごい方々なのに、いまなおとどまることなく、挑戦する心をお持ちなんです。山田監督は常に役者を動かしながら、貪欲に画づくりを追求されます。木村監督は『次は砂漠で撮りたい!』とおっしゃっていました。いつまでも楽しそうにされている大先輩方をみると、はやくあんなふうになりたい、年をとりたいと思います。みなさん『失敗していいんだよ』と言ってくださるので、失敗を恐れず、私もチャレンジャーでありたいです」
黒木さんの経歴を聞くと、十分チャレンジャーなことがわかる。演技にめざめたのは高校時代。中学時代は合唱部の幽霊部員だったが、高校では演劇をやりたいと、演劇に強い学校を選択。そこから人生が大きく変わっていった。
「その高校の演劇部は、基礎練習に走り込みをしたりする体育会系だったんです。部員みんなが、いい舞台を作るという同じ目的に向かって頑張る、まさに青春でした(笑)」
全国大会に全力で挑む高校演劇部を描いた『幕が上がる』という映画に黒木さんは出演しているが、まさにあの物語のような日々だった。そこで、いい仲間に出会い、野田秀樹の芝居に出合ってしまったのである。
「1年生のときに野田さんの『赤鬼』を上演しました。それで野田さんのお芝居が大好きになったんです!」
大学は俳優学科を専攻。野田秀樹のワークショップが大阪で開催されるという話を聞き、迷わず飛び込んだ。ワークショップには、日本全国から年齢もキャリアもさまざまな人が参加していた。そこで、NODA・MAPの新作『ザ・キャラクター』のアンサンブル(役名のない役)のオーディションに誘いがかかり、人生初のオーディションを受け合格。19歳だった。
「そのとき、プロの俳優さんというのを初めて目にしたんです。学校という狭いコミュニティから、一気に社会を見たようでした。それまで、テレビや映画に出るなど、私は夢にも思っていませんでしたから、まさに夢の世界にいるようでした」
その数カ月後には、オーディションでNODA・MAP番外公演『表に出ろいっ!』の役を射止める。当時はまだ大学生とはいえ、東京に出てプロの演劇に足を踏み入れることに不安はなかったのだろうか。
「それはありませんでした。何も知らなかったので、ただお芝居が好き、舞台に出られるのが楽しいという一心だったんです」
とにかく舞台が好き。映像のほうがいまだ緊張するという。
「舞台に出る魅力は、観に来てくださる方との一体感でしょうか。劇場全体がひとつの空気に包まれる瞬間がときどきあるんです。それは本当に心地いい瞬間です!」
頬を上気させ、幸せそうに舞台の話をする黒木さん。本について熱弁する『ビブリア〜』の栞子さんとどこか重なって見えてくる。
「けれども、蜷川幸雄さんの演出を受けたときには『もっと心を開け』と言われました。自分では閉じているつもりはまったくないんです。きっと心のどこかで、蜷川さんによく思われたいという、邪念のようなものがあったのだと思います。舞台でよく見られたいと思うなんてカッコ悪い、と本気で思っているのですが、難しいです……心を開いた芝居をすることが、私の永遠のテーマです」
ワークショップに参加した19歳のときは、「野田さんに会えた、嬉しい!」「一緒にお芝居ができる、楽しい!」という純粋な気持ちだけで演じることができた。しかし、プロの俳優として経験を積んでいくと、邪念なく演じる難しさにも改めて気づかされていった。
気負うことなく、その作品世界にすっと佇むことができる樹木希林さんのように、多くの本物たちと仕事をしてきた黒木さんは、俳優として、ものすごい高みを目指している。それは、若さや人気を重要視する世界とは別次元にある高みである。