クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。25歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は vol.2 トレンチコートが教えてくれたこと
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.3 三つ下の彼女
vol.3 三つ下の彼女
わたしのお母さんと彼女のママは同じ高校の同級生だ。
友達の友達からスタートした二人は、そこからよく遊ぶようになり、気づいたらなんでも相談し合う仲になっていたらしい。
二人を出逢わせてくれた神様にもし会うことができたら、わたしは飛びついてキスしたいくらい感謝している。
だってそうじゃなかったら、わたしに幼馴染はいなかっただろうし、いたとしても「彼女」じゃなかった。
「彼女」じゃなきゃ駄目なのだ。
こんな風にわたし達の仲を説明すると、よっぽど気が合うんだね、と笑われるけど、わたしはその度、ちょっと返答に困ってしまう。
どうして一緒にいるのか、自分たちでも不思議に思うことがよくあるからだ。
水系で言うなら、湖と海。
本当のところの気持ちを表に出すのが苦手なわたしと、感情が分かりやすく表に出る三つ下の彼女。
地球で言うと、北極と南極くらい違っている二人。
もし、わたしと彼女が同じ年に生まれ、わたし達の母親と同じように高校の同級生として出会っていたら?と想像してみる。
ちょっと合わないかも、とやんわり適度な距離をとって教室でたまに話す、いちクラスメイトだった可能性は十分にありえた気がする。
運命がこの流れで今に辿り着いてくれて、本当に良かった。
大人になって思うことは、全部、自分次第だってこと。
一緒にいたいならそうすればいいし、もう無理だと思うのなら顔を合わせない環境を作っていけばいい。
別れのタイミングも、家族とは違って進む道に何のガードレールもないんだから、好きに選べてしまう。
だけどそれが本当に良いことなのか、わたしには分からない。
小さなことで一々、目くじらを立てていたらきりがなくなってしまうし、
お互い様、と黙って片目を瞑ることも時には必要だと思う。
わたしと彼女は子供の頃、一生分喧嘩した。
子供だったからお互い力加減が分からなかっただけで、あれは毎回が真剣勝負の意見交換だったのだと今は思う。
真逆で気が強い二人の衝突は、大人を困惑させてしまうこともあったけど、わたし達はずっと一緒にいる為にその過程を飛ばさなかった。
何が不快で、何を心地良いと思うのか、黙ったり、つねったり、叫んだりしながら、チューニングしていった。
だから、わたしは彼女の代わりを見つけられないし、見つけようとも思わないのだろう。
どの人間関係にも通じることだけど、本物が欲しいなら、自分を剝き出すしかないのだと思う。
途中でひよったり、納得のいかない衝突を繰り返すのなら、遅かれ早かれそれはいつか破綻してしまう関係で。
でも、意味のない出逢いなんて一つもなくて、人と出逢って、何かを共有した後に選ぶ別れは、お互いを必ず豊かにする。
わたしの周りには魂の色がヴィヴィットな人が多いから、チューニングの仕方が情熱的だけど、それぞれのペースとやり方がそれぞれにあって。
それは、わたしにも、あなたにも、君にもある。
だから面白くて、知りたくて、伝えることですれ違ったり、傷付いたり、もう誰とも関わりたくないと思ったりする。
するけど、その寂しさを味わうからこそ、とびきりの出逢いの時、これはいつものとは違うかもなぁ、って嬉しくて、誰かと分かり合えた時も、くすぐったく泣けるのだ。
世界は広くて、まだまだまだ、出逢いが待っている。
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家入 レオ
16thシングル『未完成』(フジテレビ系月9ドラマ『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』主題歌)のginzamagでのインタビュー:
家入レオ、愛と憎しみの区別がつかなくなった「未完成」。
leo-ieiri.com
@leoieiri