クォーター・ライフ・クライシス。それは、人生の4分の1を過ぎた20代後半〜30代前半のころに訪れがちな、幸福の低迷期を表す言葉だ。25歳の家入レオさんもそれを実感し、揺らいでいる。「自分をごまかさないで、正直に生きたい」家入さん自身が今感じる心の内面を丁寧にすくった連載エッセイ。前回は vol.14 美容室のシャンプー
家入レオ「言葉は目に見えないファッション」vol.15 運ばれる場所まで
vol.15 運ばれる場所まで
毎年、肌寒くなると必ず読む本がある。
江國香織さんの「神様のボート」
隙間なくぎっちり本を収納してしまっている我が家の本棚。
指先に力を入れ上下に動かしながら取り出すのが、ちょっとしたコツだ。
上手くいく時は良いけれど、ヘマをすると、背表紙の一番上の辺りを傷めてしまう。
おまけに私は、読書の途中、好きな考え方に出会うと、ドッグイアをする癖があるので、所有している本たちは皆、可哀想に、大体が分厚く不格好だ。
だけど、どんなに大きな書店にも、町の小さな本屋さんにも、私が持っているこの「神様のボート」は売っていない。
そう思うと、なんだかとても嬉しくて、やっぱり今日も鞄に入れて出掛けてしまう。
本は私のお守りだ。
そして今年も「神様のボート」を手に取った。
喫茶店の扉を開けると、マスターが顔を上げて程よく微笑んでくれる。
私もそれに倣い、いつもの席に座った。
儀礼的なやり取りはとても大切だと思う。
近づき過ぎたりしない為の、やわらかな意思表示。
ホットコーヒーを頼み、ページを捲りはじめる。
本から目を離さずソーサーからカップを取り、コーヒーをひと口飲んだ時、私はその冷たさにハッとした。
窓の外に目をやると、辺りがすっかり暗くなっている。
いつの間にか混んできた店内。
僅かな苛立ちを感じそうになり、でもすぐに、「いや」と取り消した。
「もう少しであの場面だから、これくらい賑やかな方が良いかもしれない」
人はずっと同じものに感動できるようには、作られていない。
だからこそ、新しい何かを知っていくのだし、それは寂しいけれど仕方のないことだ。
「今年も変わらず、あの言葉は私に響くだろうか」
主人公のママ(葉子)は、必ず戻ると言って消えたパパを、娘の草子と引越しを繰り返しながら待ち続けている。
静かな狂気の物語の中で、「一度出会ったら、人は人をうしなわない」という言葉にはじめて出会った時。
私は小さく息を吸い込み、本を開いた状態のまま机にゆっくりと伏せた。
「泣いてはいけない」
そう思った。
悲しかったわけじゃない。
寧ろその逆だ。
だけど、まだそれを「幸せ」と呼べる程、強くもなかった。
私たちは、皆、出会い続けて、失い続ける。
立ち止まれない時間の中で、変わって欲しくないものに出会うと、いつも、途方に暮れる。
いくつかの友情や、今度の恋や、出会って好きになれた人たちのことを、私はどれくらいの間、ちゃんと好きでいられるのだろう。
そして、好きでいてもらえるのだろう。
沸騰したケトル。
それはゆるやかに、でも確かに熱を失っていく。
温度が高ければ高い程良いって訳でもきっと、ないけれど。
でも、全てのものが、今在る形で目の前に在るのは、やっぱり「今だけ」なのだ。
葉子はとても、勇敢な女性だと思う。
巡り合いの時を人は選べない。
突然愛を与えられたり、突然それを奪われたり。
大きな流れの中をただ泳いでいくことしかできない。
だけど、愛に溢れた瞬間が人生の中に誕生したことが祝福だ。
怖いのは、ずっと一緒にいられないことじゃない。
そういう相手に出会えないことだ。
出会ってしまえば、もう怖がる必要なんてきっとない。
だって、「一度出会ったら、人は人をうしなわない」と思うから。
困り果てたその時に、その人がそばにいなくても。
「あの人だったらなんて言うかな」って守られ方は。
誰にも、もう神様にだって、私から奪えない。
一番好きだった人とは、結婚しなかったって人、言わないだけで、実は少なくない気がする。
人生との折り合いの付け方は人の数だけある。
愛を知るって、恋の形だけじゃないし。
身体のコミュニケーションを持たない繋がり方だってある。
家族、友達、何かを師事した存在、音楽、映画、本。
上手に言えない。
でも愛は溢れている。
まだ出会っていないものに、出会うために、私は生きる。
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家入 レオ
16thシングル『未完成』(フジテレビ系月9ドラマ『絶対零度〜未然犯罪潜入捜査〜』主題歌)のginzamagでのインタビュー:
家入レオ、愛と憎しみの区別がつかなくなった「未完成」
leo-ieiri.com
@leoieiri
Cover Illustration: Yui Horiuchi Edit:Karin Ohira