試写室を出て電車に乗って、それでもまだ涙がつきあげてくる。最後の歌のせいだ。マリア・カラスが歌う、プッチーニの「私のお父さん」。オペラを知らなくても、耳なじみのある曲。でも特別だった。恋をしている。結ばれたいと願ってる。カラスの歌声に、胸を握られて。絞られて出てきた液体が目からあふれ出るような感覚に、驚いた。
『私は、マリア・カラス』の監督が課したのは、カラス本人の発した書いた言葉、歌声だけでドキュメンタリーをつくること。大スターとはいえ、1923年に生まれた人を描くには困難な試みだ。実際、前半は映画がなかなかうねりをつくれない。
けれど、初公開の映像が半分以上だし、50年代に世界でもっとも華やかな存在だったカラスを飾る服やメイクを見るだけでも楽しい。生まれはニューヨークだが、ギリシャからの移民で、派手な目鼻立ちに、太く長くひいたアイラインがよく似合う。空港に降り立てば、毎回そこはランウェイのよう。
一方、その美しい人に突きつけられる言葉は汚い。率直に堂々と発言すればするほどマスコミは彼女を攻撃し、スキャンダルを書きたてた。父親と早くに別れ、母親とうまく愛情を結ぶことができず。キャリアの入口で結婚、28歳年上の夫は妻のプロモーターとなり、たくさんの練習と大幅な減量を経て、カラスはスターに。妻の成功は、夫を実業家として大物にした。傲慢にもした。
そしてキャリアも絶頂の30代半ば、出会ってしまう。戦後復興ですさまじい富を得たギリシャの海運王、アリストテレス・オナシスに。「気前よく見せるのが上手」で「誰でも夢中にさせる人たらし」の「いたずらっ子のような魅力には逆らえない」。
この映画では、今回ついに発見された未完成の自伝や残された手紙から彼女の思いを、女優ファニー・アルダンが声で演じるのだが、その演出もこの恋愛がはじまるとぐっと生きてくる。
最高級の俺様クルーザーの船上、サングラスに葉巻、白い水着が際立たせる褐色のたくましい身体。成功者の匂いをこれでもかと匂い立たせる男に「お姫様のように扱ってくれた」、と惚れ抜いて。
大金持ちの有名人同士の不倫の恋は当然、スキャンダルとして騒がれ、さらに彼からは手ひどく裏切られる。それでもカラスは公然と「私は真実を言うから彼にとって必要なのよ」と胸を張った。そして、願いは「運命の男を幸せにすること」、「彼に言わせると、本当の真心は高価で贅沢」「私は払えるわ」。この「払えるわ」に震えた。なんて強い。
笛を吹いて(!)戻って来た彼を受け入れるが、ついに結ばれない。カラスが家政婦に死因不明の死体として発見されたときは、53歳。全盛期は実は10年ほどと短く、再起を期して果てた。
彼との蜜月の頃、メイクも顔つきもまるで変わってしまう。強さを必要としない、別人のような顔のカラスが歌う「私のお父さん」で、映画は幕を閉じる。「あの人が好き」「指輪を買いたいの」「この夢が叶わないなら」「アルノ河に身を投げます」