信じられないほど大きな帽子を被ると、あなたの中で何かが起こる。
おしゃれには、一定の勇気がいる。今まで試したことのない派手さ。今まで着たことのない色。今まで履いたことのないヒールの高さ……。ともかくそういう未体験のおしゃれに対して、人はむやみに気弱になるから。知らず知らず、自分の基準を作っていて、それを超えるものには、いちいち尻込みするからなのだ。
でも基準なんて、所詮自分だけのもの。それを超えたからって、誰に咎められるというのだろう。だいたいが、「これ派手ではないかしら」とぐずぐずしていると、家族にこんなことを言われる。大丈夫よ、誰も見ていないから。
そうなのだ。ちょっと派手だからと躊躇しているなんて、ただひたすらもったいないだけ。なぜならば、自分の中の基準を壊し、おしゃれのレベルを上げることによって、女はある意味、体の中から変われるから。何かが覚醒する。覚醒して見違える。女が劇的にキレイになる時ってやはりそうした自分の中の基準を壊した時なのだ。
いつもそれを、一瞬で実に効率よくやってのけるのが、”信じられないほど大きな帽子”。いや信じられないほど、と言ったって、帽子屋さんに行ったら中くらいの大きさかもしれない。自分にとっての基準は、帽子の場合、とりわけ大きなハードルになってくるから。つまり今まで被ったことのある帽子より、半径5センチずつ大きかったら、もはや信じられないほど大きさ。でもだから、挑んでほしいのだ。勇気がいる分だけ効果的にあなたを変える道具だから。
今やもうラブストーリーの古典になってしまったけれど、そのファッションは古さを感じさせない「プリティーウーマン」で、もともとコールガールだったヒロインを、いきなりエレガントに見せたのが競馬場でのキャプリーヌだった。
欧米の競馬場は戸外の社交場。女性たちが思い思いの華やかな帽子を被ることでも有名だが、スーパーエリートの”雇い主”にエスコートされた、ジュリア・ロバーツ扮するヒロインは、淡いモカ色に白い水玉のワンピース、共布のリボンを巻いた白いキャプリーヌ、を被っていた。
まさに貴婦人。女は大きな帽子をかぶると、なぜこんなに高級な女に見えるのだろう。ひょっとすると、大きなキャプリーヌが特別にハードルが高いのも、いきなり自分が高級になりすぎて気が引けるからかもしれないが、肩先が隠れるほどの巨大なキャプリーヌもあるくらいだから、あなたが躊躇している大きさなど、それこそ大したことは無い。たまたまあなたが被ったことがないだけ。だから、思い切って大きな帽子を選ぼう。勇気を持って。
でも不思議なことに、一度被ってしまうと、帽子は途端に癖になる。もう少し大きくてもいいかもと思ったりするほど。それが「覚醒」である。
言うならばそれは、脱皮のようなもの。昇華といってもいい。街を歩いていて多くの人に振り向かれる女性は、そういう意味で覚醒している人。蕾が一気に大輪の花を咲かせた人。もっと言うなら、何か”放つもの”が違うのだ。オーラのようなものが生まれたと考えてもいいし、発光している状態と言ってもいい。いずれにせよ、女性としても、ワンランク、ツーランクランクアップしたことを意味してる。
もちろん、おしゃれは女性のランクをあげる要素の1つに過ぎないけれど、でも外側から内面的な女のランクを上げていくと言う意味では、やっぱりおしゃれに勝るものはない。だからこそ、おしゃれにはいつも少しづつ背伸びをし続けるべきなのである。そういう背伸びの法則から言っても、今まで被ったことのない大きさの帽子は、最も効果的なアイテム。
ちなみにその時、服をできるだけシンプルにして、帽子を主役にすること。でも服と帽子はあまり合わせすぎないこと。大振りのキャプリーヌはやっぱりそれなりに正装度が高いから、おしゃれのしすぎ、決めすぎになるのは、ちょっと野暮なこと。どこかに抜けが欲しいのだ。だから合わせすぎない。さりげなく、自然に。
そしてまたとても大切なのは、日差しをちゃんと遮るべき、お天気の良い夏の日に帽子をかぶること。そうした必然性が、帽子の大きさに対しての抵抗感、気後れ感を減らしてくれるはず。だから夏の間に。帽子が一大トレンドであるうちに。
被ってしまえば、こっちのもの。あなたは、もうファッショニスタへと開花している。