後のデザインやファッションにも影響を与えた「民藝運動」。創始者・柳宗悦が自らつくった小さなミュージアムは、隅々にまで手仕事が行き渡る、優しくも骨太な空間です。#東京ケンチク物語
柳宗悦の息遣いを感じる「日本民藝館」:東京ケンチク物語 vol.19
日本民藝館
THE JAPAN FOLK CRAFTS MUSEUM
地方のおみやげ屋などで目にする「民芸」という言葉。素朴で、手の温もりがあって、昔からある感じ……。ざっくりとはわかる一般的な言葉だけど、その歴史は案外浅いのを知っているだろうか?
大正の終わりの1925年。思想家で優れた目利きだった柳宗悦と陶芸家の濱田庄司ら仲間たちが、普通の人々が普段の生活に使う道具に宿る美を見出し、「民衆的工藝」を略して「民藝」と呼ぶようになる。柳たちは日本各地を訪ね歩き、土地の風土や伝統に根ざした、手しごとでつくられる生活用具を集めては見定め、新しい美の概念を打ち立てるのだ。
駒場の静かな住宅街のなかにある「日本民藝館」は、民藝運動の本拠地としてつくられた、約1万7千点の蒐集品をもつ私設ミュージアムだ。向かいにある旧柳宗悦自邸(現在の西館)ともども柳自身が設計し、自邸完成の翌年の1936年に開館している。白っぽい大谷石の塀の向こうに、どしんとかまえる木造のお屋敷は、漆喰の白壁の上に銀色に光る瓦屋根。
深い飴色をした木の引き戸を開けて中へ入ると、大階段を正面にした堂々たる広間が出迎える。この吹き抜けになった階段室を中心に据えた空間構成は、古い洋館によくある様式。それを昔ながらの日本の家の要素でつくっているのだが、そのどちらでもない独自のスタイルに仕上げているのが、目利き・柳の真骨頂だ。
柔らかな風合いの大谷石を貼った床、踊り場で左右へ分かれて上がっていく階段の木の手すり、太すぎず細すぎずの柱や梁がアクセントになった白い漆喰壁と天井。どっしりとした立派なお屋敷なのに、格式張らない優しい空気感があるのは、ディテールの仕上げの効果も大きい。柱や梁、格子など、木材のすべての角を手作業で削り取って丸くしているのだ。
階段室の左右と上階にある展示室に順路はなく、どこから巡ってもかまわないのも面白い。既成の概念にとらわれず、自由にものを眺めることで、見逃されていた美を新たに発見した柳の思想そのものが形になったような空間だ。
築80年以上を経たこの建物は、今もぴかぴか。聞けば館のスタッフたちが毎朝隅々まで磨き上げるのだそう。大切に毎日使い込むことも美の秘訣。「民藝」の創始者のそんな声が聞こえてくるようだ。