30 Mar 2019
恋愛部長「大人の恋の歩き方」vol.16 私がかりそめ暮らししてた頃

もともと私は、家を片付けるのが苦手なダメダメ女子なんですけど。20代で一人暮らししてるころ、本当に部屋が殺風景で、今思っても、「まったくモテそうにない!」生活をしていました。
恥ずかしい話ですが、引っ越し後の段ボールをいつまでも出しっぱなしにしてて、テーブルもまだないころは、段ボールの上で食事してたり。(うわ、文字にするとダメさが際立つ・・・)
そんな頃の私の発想ってなんだったかというと、「これは所詮かりそめの暮らしだから・・・」だったんですね。
つまり、どうせすぐに、結婚して誰かと出て行くんだから、この家にそんなに手をかけたり、金かけたりしてもしょうがないじゃん!って。(あ、笑わないで〜!)
いや、まさかその頃は、自分が40になるまで結婚できないとは知りませんでしたから!普通に20代後半で結婚する気でおりました。(笑)
いや、脳天気なもんですね。20代の私。今だったら、過去の私の首根っこをつかまえて、目の前に座らせて、とっくりと説教しますね。間違いなく。
何がダメって、要するに、「人まかせ」なのがだめ。ホント、だめ。
誰かとここを出て行くときがいつか来る、と妄想するのは勝手だけど、なぜ!それまでの間も、快適に暮らそうと思わないんだ!なんか、誰かにそのワンルームから連れ出してもらうって思ってないか!他力本願もいいとこじゃないのか!
その頃の私って、ホントに、恋愛で人生逆転、って思ってた。疑うこともなく。
好きになった人によって、たとえば海外に行けるとか、金持ちになれるとか、知的な好奇心が満たされる生活が送れるとか、なんかそういう妄想ばっか描いてた。だから、いつも自分にはないものを持ったキラキラ輝く素敵な人を好きになって、あこがれて、あこがれて、片思いして、妄想ばっかたくましくして、・・・最後は振られた。
そりゃそうだ、と今は思う。
男だって、慈善事業で生きてるわけじゃないんだし、何が楽しくて、私のような取り立てて美人でもない平凡な女を、そんな段ボールが積まれたワンルームから救い出すのかっていう話。
恋は、別に、あっと驚くドリームストーリーではない。
自分のレベルに合ってない人がいきなり好きになってくれることはない。
偶然幸せになるなんてことはあり得ない。
自分が重ねてきた暮らしの、その一歩先。延長線上に、ほいっと置いてあるような、そんな出会いが、正しい出会いだったりする。
そんなことに気づかないまま、かりそめ暮らしをしてた私でしたが、さすがに、30過ぎた頃に、ようやく気づきました。
このまま待っていても、誰も救い出しには来てくれない。だから、このワンルームからは、自力で出るしかない。って。
そこからは、自分一人でも幸せな暮らしが送れるよう、あれやこれや考えて、試行錯誤して、もっと大きな部屋に引っ越したし、パソコンも買ったし(それまではパソコンすら持ってなかった)、新しい趣味も見つけた。
自分一人でも楽しいことが見つかり始めた頃、ようやく恋の話が舞い込むようになってきて、趣味を通じてできた仲間から告白されたりもするようになった。
あの、かりそめの暮らしを自力で脱出して、自分らしい暮らしをちょっとずつ作り始めた頃から風向きが変わりだしたんです。
それでも、今振り返っても、私はずいぶん長い間、「恋とは素敵な誰かに引っ張り上げてもらうもの」という固定概念にとらわれていたと思う。多分、夫と付き合い出す直前まで。
ちょっと背伸びした相手でなければ、こっちも好きになったりできないんだって思い込んでいた。それは、本当の意味で、自分に自信がなかったからだと思う。
自分のことが好きじゃないと、自分の決めたことや、自分の選ぶものに、自信が持てない。
誰か、もっと明らかに「立派な」他人の価値観に寄っかかって、その人の尺度でものを見て、楽をしたくなる。その人を支えるというお題目さえあれば、自分は自分自身として何も勝負しないでもいられる。「内助の功」なんて言えばかっこいいけど、結局自分が周りに評価されるのを避けたいだけ。誰かに100%自分を捧げて生きていくって、要するに、「盲信」ですからね。宗教ですよ、ある意味。自分で決断をしなくていいから、楽なんです。
私は、そういう「一歩下がって影を踏まず」的な昔の女性の価値観を、いやだなあと思っていたくせに、心のどこかでは、誰かにくっついていって、自分もいっしょに評価される人生を、何の疑いもなく望んでいたんだと思うんです。
旦那さんの海外赴任にくっついて海外暮らしをする友人がうらやましかったね。そういうのが、価値観の底の方にこびりついてたんだと思う。
でも、いまでも覚えているんですが、ある朝、鏡を見ていて、唐突に気づいちゃったんですね。
「自分の人生をガラッと変えるような人とではなく、自分が自分で切り開く人生に、付き添ってくれる人と結婚すべきなんじゃないか」って。そう思ったら、いろいろなことがスーッと霧が晴れるようにクリアに見えてきて、自分が向かう道や、その時出会ったばかりの、夫になる人の顔が浮かんできたんですよね。
夫と出会う直前は、私は外国人とか外国在住の人にばかり恋をしていて(笑)要するに、ここじゃないどこかに、連れ出してほしかったんですよね。自分の力では出られなくせに。
そういう、自分の他力本願さに、ようやくはっきり気づいたんです。
恋って、自分がレベルアップしなくても、相手がすごい人だと、一緒にいるだけで自分もレベルアップしたように錯覚してしまうものですよね。
金持ちと付き合ったらセレブな気持ちになってしまうのもそう。
才能のある人と付き合ったら、自分まですごい人間になったように思ったり。
でも、やっぱり人間は、一人一人が単位で、自分を幸せにするのは自分しかいないのです。
誰かの力を借りた幸せは、かりそめの幸せなんだと思う。
本当の幸せって言うのは、自分の力で切り開いた人生のその先に置いてあるものだし、誰かといっしょに、うんうん悩みながら、作り上げたその先に置いてあるもの。
決して、ある日突然降ってくるものではないし、誰かが贈ってくれるものでもない。
そう気づいた時、私はようやく自分の人生を自分の手で背負っていかなきゃって思えた。
そしたら、急に、夢や幻のように見えていた人生のこの先が、現実的な色彩で見えてきたのです。
今は、毎日非常にささやかですが、愛おしく幸せな暮らしを送っています。
贅沢できないし、おしゃれでもない、他人から見て「素敵」でもない。でも、自分自身が作り上げた、自分の人生の先にある幸せだから、自信を持って、幸せだといえる。
自分の思うように生き、悩み、それを共有してくれる家族がいる。それが、とても幸せ。
恋愛とは、自分を愛することが、最終目的なんじゃないかな、と思う今日この頃。
結婚して、子どもができると、自分のことを、無条件で受け入れてくれて愛してくれる者の存在を知る。人生とは、人が見失っていた絶対的な愛を知る過程なのかもしれませんね。
皆さんも、どうかまずは自分自身を、丁寧に愛してあげてくださいね。
好きじゃない自分の埋め合わせに、誰かを好きになったとしても、その溝は、決して埋められることはないんだと思います。
そんなことを言っても、自分の中に好きになる部分がないんです!と思ったあなた、それはまだ「その他大勢の他人」の価値観に振り回されているからです。その他大勢が「素敵」と思わなくたっていい。自分自身が、自分の「ここが好き!」と思える場所を見つけてあげればいいのです。
その好きな場所を、同じように好きだと言ってくれるたった一人の人は、きっとどこかにいるはずですから。
恋愛部長 れんあいぶちょう
20代に恋愛で失敗を繰り返したことから、様々な独自の恋愛理論を編み出し、2008年から恋愛ブログ「恋はいばら道」をスタート。過去の失敗談を披露したり、多くの人の恋愛相談に乗ったりしている。私生活では、38歳で留学を機に当時結婚を考えていた彼氏と別れ、40歳で知り合った現在の夫と結婚、出産。現在は、広告代理店で働くかたわら、1男1女を子育て中。著書に、『28歳からの必勝ルール~恋愛部長の恋のムチ』『にっちもさっちもいかない恋がうまくいく本』(大和出版)。
HP: http://renaibucho.com
NOTE(恋愛相談): https://note.mu/renaibucho
カシワイ
装画や挿絵などのイラストレーションや漫画を描く。リイド社より単行本『107号室通信』を刊行。
HP: sankakukeixyz.wixsite.com/kfkx
instagram: @kfkx_
twitter: @kfkx_
Text: Renaibucho Cover Illustration: KASHIWAI