22 Aug 2020
松田聖子の80年代伝説 Vol.3 地味だった日本の冬をおしゃれな季節に変えた2ndアルバム『North Wind』

昭和から令和へと変わってもトップアイドルとして輝き続ける松田聖子さん。カセットテープ1本から彼女を発見し育てた名プロデューサー・若松宗雄さんが、24曲連続チャート1位という輝かしい伝説を残した80年代の松田聖子さんのシングルと名作アルバムを語る連載。80年代カルチャーで育ったライター・水原空気がインタビュー。
第3回目は日本の冬のイメージを一気に明るく変えた2ndアルバム『North Wind』について。前回の記事「Vol.2 力強いキュートな声で『裸足の季節』『青い珊瑚礁』が大ヒット!」も合わせてチェック。
文学的な琥珀色の世界に
アイコニックな聖子ちゃんカットが!
ライター水原(以下M) 松田聖子さんの2ndアルバム『North Wind』が発売されたのは1980年12月1日。1曲目の『白い恋人』には「シュプール」と言うフレーズが使われていて、当時聞きなれずに辞書で調べたのをよく覚えています。
若松宗雄さん(以下W) 作詞家の三浦徳子(よしこ)さんが新しい言葉、時代を先取りしたキーワードを常に意識してくださっていたので。
M アルバムを通して冬の魅力が全開で、『Winter Garden』という曲があったり、楽しい冬のコンセプトアルバムとなっています。
W 冬だけど、カラッと明るい雰囲気は1stアルバムの『SQUALL』と通じていますよね。それも作曲家の小田裕一郎さんが一緒に音の方向性を考えてくださって。
M 2枚あわせたら、松任谷由実さんの『SURF&SNOW』の世界とも通じていると勝手に思ったのですが。『North Wind』はユーミンさんの『SURF&SNOW』と同じ1980年12月1日の発売なんですね。聖子さん、もっと先取りしています!!
W 時代性はあったと思いますね。スキーや夏のリゾートにみんな惹かれ始めて、僕自身、無意識に南太平洋のビーチや真っ白なゲレンデに憧れていましたから。
M 1980年は旅行代理店のHISが創立された年でもあるんですよね。
W のちに松本隆さんに書いていただいた曲では、海外の地名もたくさん出てきますし、確かに季節性やリゾート感は時代とシンクロしていましたね。
M ちなみに『白い恋人』は、聖子さんが最近行った武道館の100回記念公演でも歌っていて。初の武道館コンサートのときと同じ衣装で登場。当時の映像を背にパフォーマンスされてファンも大興奮でした。
W 82年のクリスマスコンサートですね。同時期に発売した『金色のリボン』というアルバムも私が企画したものです。クリスマスメドレーと、それこそ松任谷由実さんの『恋人がサンタクロース』もカバーして収録しました。
M その頃から多くのアーチストがクリスマスの曲を発売するようになり、ワムの『ラストクリスマス』も1984年発売ですから、こちらも先取りです。若松さんのそういったアンテナはどこから?
W 当時、女性雑誌を資料として読み込んでいました。
M その頃だと、『anan』と『non-no』と『JJ』なんかがありましたが。
W 『anan』はね、よく見てました。何かフレーズを探すということではなく、先にイメージがあってその答えがページをめくっていくと見つかるというか。
M 聖子さんの世界と『anan』がリンクするとは。『GINZA』も同じマガジンハウスの雑誌なので嬉しいです。
W 『anan』には当時から先端の情報が載ってましたから刺激を受けましたよ。
ヘアスタイルも歌い方も
すべてが聖子オリジナル!
M 『North Wind』のジャケットはアンバートーンがベースで、聖子ちゃんカットの頭には天使の輪が綺麗に。
W ヘアスタイルはね、本人がいつも行っている美容室が所属事務所のサンミュージックの近くにあって。でも誰かが考案したわけでもなく。
M 当時のオリビア・ニュートン=ジョンのヘアスタイルを意識したという説もありますが。
W どうでしょうね。美容師さんが意識していたかもしれませんが、歌い方にしても基本的に全部聖子のオリジナルなんです。
M 70年代の後半は新しいアイドルがなかなか成功しなくて、マネージメントサイドもこの時期から本人にある程度セルフプロデュースを預けていたという話を聞いたことがあります。
W そうかもしれません。結果的にヘアスタイルが流行ったりね。でも発信している本人に強い個性がないとみなさんに支持されませんから、たくさんの人が真似してくださったのは本当に嬉しいこと。僕自身は、いつもいい曲を届けたいとワクワクしながら仕事をしていました。
M 2曲目は『花時計咲いた』。帯コピーの「あの日あのとき刻みたい、聖子」はここから?
W 確かにキャッチコピーはこの曲と符合しています。アルバムタイトルもそうですが、レコードの帯はジャケット写真と同時に目に飛び込んで来ますから、一生懸命考えていましたよ。
M 3曲目の『North Wind』、4曲目の『冬のアルバム』は、声の出し方も印象的で。肩の力を抜いて歌っているのがとても美しい。
W ここも聖子の魅力ですよね。中低音もきれいなんです。でも、何度も歌いこみ過ぎず、新曲もレコーディングの直前に渡して直感的に歌ってもらう。そういうときに、いちばん歌い手の個性が出るので。
作詞家・三浦徳子が構築した
初期・松田聖子の世界観。
『風は秋色』で初のシングルチャート1位を獲得。怒涛の24曲連続1位の記録はここからスタートした。ハイトーンのサビは後半さらに転調して上昇していく。音域の広さも話題に。
M 作詞家の三浦徳子さんも、歌詞の新鮮さに気をつけていたと聞きました。
W そう。夜に書くとその日食事をした相手やいろんな人の言葉が頭に残っているので、次の朝起きてからまっさらな気分で書いていたようです。
M そこからも、聖子さんのフレッシュな魅力が出ていたんですね。5曲目は3rdシングル『風は秋色』。若松さんのYouTubeの質問コーナーに、ファンの方から『裸足の季節』と似たメロディが1か所あると指摘があった曲です。
W (笑)。作曲家には、好きなメロディラインというものがあるのでね。でも、そこまでみなさんが聴き込んでくださったことが嬉しかったですね。他にも、聖子が上京した時に小田急エースの地下の喫茶店でお父さんと3人でお茶したという話をしたら、「聖子さんがそのとき食べたのはかき氷でしたか? アイスクリームでしたか?」 という質問もあり。些細なことなのに、みなさんが本当に松田聖子を好きでいてくださるのを実感して嬉しかったです。アイスクリームだったと答えましたよ。
M いいお話です。アルバムの話に戻りますが、6曲目つまりB面の1曲目は『Only My Love』。
W コンサートのラストに欠かせないスローバラードで、B面がしっとりとスタートします。
M この時期から聖子さんのアルバムの曲をラジオで聴く機会が増えて、歌のうまさを実感したのを覚えています。
W 当初からアルバムではバラードも歌っていました。『スプーン一杯の朝』のような大人っぽい歌詞も、作詞家の三浦徳子さんがアイデアをくださるので。聖子の作品がコンセプトアルバムとしてずっと支持されている理由がそこにあります。
M 続いては『Eighteen』。年齢を歌詞に入れるのは、いかにも80年代のアイドル的でもあり。
W 平尾昌晃さんに曲を書いていただいて。平尾さんには、聖子が福岡にいたときにヴォーカルスクールでお世話になっていて、デビュー前から評価していただいた。レギュラー出演していたNHKの「レッツゴーヤング」でも平尾さんが司会をされていたので。その縁で一曲お願いしました。「18歳」というアイデアは平尾さんからで、ファンの方と共有できるいい曲をいただきました。
M 「レッツゴーヤング」は大人気でした。
W 公開放送だし、洋楽もたくさん歌うので鍛えていただいた部分も大きい。おかげで聖子の人気も出て。大変お世話になった番組です。
M 9曲目は『Winter Garden』、10曲目の『しなやかな夜』もミディアムトーンの歌声が美しい佳曲です。
W 時代的に録音予算もしっかりあったので、いい音源を残すことができました。当時は無我夢中で気づいていませんでしたが、今と比較して非常に恵まれた環境で作ることができたと思います。インペグさん(キャスティング・マネージャー)も松田聖子をおもしろがってくださり、必死になって一流のミュージシャンを集めてくださった。事前のトラック作りや音のバランスを取るミックスダウンも時間をかけてできたし。
M 今は違いますか?
W そうですね。技術的にも予算的にも、アレンジャーがデスクトップでほとんどの音を作るのが一般的ですし、スタジオではこの楽器だけ生音にしましょうといった感じで簡潔にレコーディングが終了する。そもそも音源そのものもメールで届きますからね。聖子とは関係ないのですが、昔FAXが普及した頃、作詞家の阿久悠さんが「FAXができてからクリエイティブが面白くなくなった」とおっしゃっていました。作品を見たときのディレクターの表情もわからないし、電話で「いただきました」と一言だけ。機械的になったと。
M ハードが進化するとソフトにも影響しますからね。
W CDが売れないので、今の録音予算は当時の1/10以下じゃないかな。いろんなミュージシャンが楽器を弾きながら曲調が変化したり、ヴォーカルの力でグルーヴが生まれたりといった、おもしろいもの、個性的なものが世の中に出ていきにくい環境なんです。聖子の場合で言うなら、少しくらい歌がフラットしても勢いがあるテイクを優先させていたし、それが曲の印象を強くしていた。詞の文学性、曲の洋楽的な新しさ、聖子の歌声。それぞれがぶつかりあって面白いものができていました。今はテレビにしても個性がない。
M というと?
W ネットもあるので(なんでも忖度して)バランスを取りすぎ、どんどんおもしろくなくなっていく。
M 聖子さんは、若松さんを常に信頼していたと伺いしました。
W 人気が出ると、たくさんの人がいろんなことを歌手本人に言ってくる。でも、不思議と僕の言うことだけは聞いてくれて。CMの話が事務所に来ても「若松さんはご存知なんですか?」とね。
M 福岡まで何度も足を運んでくださった意味を、誰より感じていらっしゃったからではないでしょうか?でも、そんな聖子さんも「これだけはちょっと」と難色を示したレコーディングがこの後にあったんですよね。
W そう、初めて歌入れが二日もかかってね(笑)。
続きは次回、3rdアルバム『Silhouette』について。「突然の雨」「北風」「輪郭」など、聖子さんのアルバムタイトルを翻訳すると実にリリカル。新しい才能も続々と参画して、聖子さんの快進撃はとどまることをしらず、さらに進化を遂げていきます。
Profile

若松宗雄/音楽プロデューサー わかまつ・むねお
一本のテープを頼りに松田聖子を発掘。芸能界デビューを頑なに反対する父親を約2年かけて説得。1980年4月1日に松田聖子をシングル『裸足の季節』でデビューさせ80年代の伝説的な活躍を支えた。レコード会社CBSソニーではキャンディーズ、松田聖子、PUFFY等を手がけ、その後ソニーミュージックアーティスツの社長、会長を経て、現在はエスプロレコーズの代表に。Twitter@waka_mune322、YouTube「若松宗雄チャンネル」も人気。
Text: Kuki Mizuhara Photo: Hiromi Kurokawa