ライター水原(以下M) 『Silhouette』の前に。まずは1980年末に紅白歌合戦に初出演され、レコード大賞で新人賞を獲得されたお話から。1年目から大活躍でした。
若松さん(以下W) 紅白や新人賞は本当に名誉なことで嬉しかったです。ただそれ以上に、松田聖子という存在が話題になる注目度が半端じゃなくて。
M 年明けすぐに、紅白の衣装がワイドショーをにぎわしたり。なんといっても聖子さんは「日本で雑誌にもっとも頻繁に登場した人」。ヘアスタイル含め、社会現象化していましたからね。
W それだけに忙しさもすごくて、今だから言えますが、当時よく過労で倒れていたんです。急に人気が出て、プロダクション側も昔からお世話になっている方を断るわけにもいかない。私は、福岡から聖子を連れてきて事務所に紹介した立場ですから、マネージャーと本人の間に入って、スケジュールに余裕を持たせてもらえるように、しょっちゅうお願いしていました。
M やっぱりアイドルって過酷なんですね?
W 正直、当時の芸能界ではそれが一般的なところもあって。どんなに若くても大変だったと思います。でも少しずつ余裕も作ってもらえたし、レコーディングのときはいつも明るく元気でね。
M そしてデビュー2年目。『Silhouette』の曲について。4thシングルの『チェリーブラッサム』は今もコンサートで一番盛り上がる曲です。前向きな歌詞に何度励まされたことか。
W 歌詞にもサウンドにも、メッセージがしっかりありますからね。ただ、当初この曲をレコーディングするのを聖子が嫌がりまして。それまでのシングル3枚を作曲してくださった小田裕一郎さんが曲線的なメロディなのに対し、初めてお仕事する財津和夫さんのメロディは直線的。それで最初、違和感を感じたんでしょう。結局初めて歌入れが2日間にわたって。でもね、違和感を感じるのも才能なんです。自分の軸がしっかりあるからこそ、主張も生まれる。結局、これは絶対に売れるからと私が説得して。そこから先がまた聖子の才能なんですが、パッと明るく切り替えて気持ちが固まると、もう迷わない。引きずらないんです。
M 人の意見は聞くものだと、その後聖子さんも発言されています。
W そういう素直な感性ですよね。
M 『チェリーブラッサム』はヴィヴァルディの『四季』をイメージして、若松さんがオファーされたと聞いたことがあります。
W 私がヴィヴァルディを好きだったので、財津さんにお話しして。明るい春に向けて未来が開けていくようなイメージで。
M 冒頭からのストリングスとロックサウンドの融合。若松さんは、プロデューサーになる前の営業時代に、クラシックやジャズ、歌謡曲、ニューミュージックと、あらゆる音楽を聴きこんでいたそうですね。
W 営業所の倉庫の隅にステレオがあって、休日出勤しては、ずっとサンプル盤を聴いていました。するとね、売れる曲ってどのジャンルでもわかるんです。例えば私がいいと思った洋楽のシングル(1971年発売マシュマッカーン『霧の中の二人』、後に40万枚の大ヒット)をジュークボックスの会社に持って行ったら、まだ火もついていないのに100枚オーダーしてくださったことも。*ジュークボックス 中にシングルレコードが何種類も入っており、コインを入れるとリクエストした曲が流れる機械。70~80年代に大流行しカフェなどに置かれていた。
M 大衆の心の琴線に触れる楽曲ですよね。
W そう。歌は「印象」が大切なんです。なんだかすごい! 心地いい! というね。
M 5枚目のシングル『夏の扉』も大ヒットしました。
W 曲は財津さん。この曲も大村雅朗さんのロックテイストのアレンジが最高で。サウンドの奥にメッセージがある。
M はじける初夏の景色が一瞬で目に浮かびます。イントロのシンセと間奏の今剛さんのギターもいいですよね(今さんは宇多田ヒカルや井上陽水、矢沢永吉、福山雅治などもサポートする名ギタリスト)。
W あとサビの歌詞ですよね。財津さんのシンプルなメロディに作詞家の三浦徳子さんが「フレッシュ!」という言葉を3回つけて。
M 一音に文字がたくさん乗るのは、ビートルズの『HELP!』なんかが有名ですが、洋楽的なアプローチで斬新でした。
W それでポップさが爆発し。この曲は聖子も大好きでスムーズに録音できました。
M 髪を切った女の子の気持ちや、横断歩道でのやりとりなど、今聴いてもかわいい歌詞で、GINZA読者にもぜひカラオケで歌ってほしい(笑)。