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松田聖子の80年代伝説Vol.10 両A面で共に1位に輝いた『ガラスの林檎』と『SWEET MEMORIES』

松田聖子の80年代伝説Vol.10 両A面で共に1位に輝いた『ガラスの林檎』と『SWEET MEMORIES』

昭和から令和へと変わってもトップアイドルとして輝き続ける松田聖子さん。カセットテープ1本から彼女を発見し育てた名プロデューサー・若松宗雄さんが、24曲連続チャート1位という輝かしい伝説を残した松田聖子さんのシングルと名作アルバムを語る連載。80年代カルチャーで育ったライター・水原空気がインタビューします。第10回目は、ノンクレジットCMが逆に話題を呼び大ヒットした両A面シングル『ガラスの林檎』と『SWEET MEMORIES』について。

前回の、松田聖子の80年代伝説Vol.9 トロピカルブルーの向こうに夢が広がる7thアルバム『ユートピア』も合わせてチェック。


ライター水原(以下M)  初めて『SWEET MEMORIES』がテレビから流れてきたときは衝撃でした。1983年の夏、サントリーのCANビールのCMで。アニメのペンギンが酒場で歌うと、聴いていた他のペンギンたちが涙を流す。しかも歌は英語!

若松さん(以下W) 後にアニメ映画化されましたが、本当にいいコマーシャルでした。

M  最初、新しい洋楽アーティストかと思って驚き「もしかして聖子さん?」と学校でも大騒ぎに。『SWEET MEMORIES』を作られたいきさつは?

まず、英語詞をノンクレジットで聖子が歌うというCMのオファーをいただきました。サントリーのCMクリエイターの方たちはみなさん本当に有能でね。アイデアに溢れる打合せだったのをよく記憶しています。

M 作詞は松本隆さんで作曲とアレンジが大村雅朗さん。

でもなかなか大村さんの曲ができなくて。今でもはっきり覚えていますが、麻布台のサウンドシティというスタジオで、締め切りギリギリに大村さんと会って。

最初のフレーズだけはできていたと聞いたことが。

そう。でも二人で作業し始めたら1時間くらいですぐに完成したんです。こんな感じがいいんじゃないの? とお互いに言ったりしてね。

M クレジットを伏せた理由は、デビュー曲の『裸足の季節』が歌だけのCM出演で注目を浴びたのを、広告関係の方たちが鮮明に覚えていたのかと思いましたが。

W いや、純粋に謎のクラブシンガーという設定だったんじゃないかな。聖子も当初はこんな大人っぽい曲、私に歌えるかしらと言っていたけど見事に歌いきりました。

M この1年くらい前に『ザ・ベストテン』で『渚のバルコニー』を英語で歌ったのも衝撃的でしたよ。

W それは知らなかった。

M 黒柳徹子さんのご友人の翻訳で1〜2回だけ。なかなか英語詞ってフルで覚えられないですし生放送で、心から尊敬しました。あの頃を境に松田聖子という人はただ者じゃないと日本中の人が気づき始め、その後英会話もマスターされましたよね。

W やっぱり天才なんです。とにかく耳がいい。そしてタレント性がすごい。歌手は歌が上手いだけじゃダメだからね。

 

作品もCMもリリースも
全てがサプライズに溢れていた!

M 『SWEET MEMORIESを歌っていることはCMを見たお母さんもしばらく気づいていなかったと聖子さんのエッセイにありました。

W それは多少リップサービスもあるんじゃないかな? お母さんはとてもクレバーな方だから聖子の日々の仕事はきちんと把握していたと思いますよ。あ…でもそんなお母さんでも気づかないくらいCMの出来が良かったということかもしれませんね。

M 『SWEET MEMORIES』は当初、細野晴臣さんが作曲した『ガラスの林檎』のB面で。のちに両A面としてジャケット違いが発売されたのも話題でした。A面B面という概念が無い令和の世には意味が通じにくいかもしれませんが、2曲同時にベストテンにチャートインするのは前代未聞のこと。聖子さんの勢いを象徴する出来事でした。

W 確かに画期的だったかもしれません。私のYouTubeでもご指摘がありましたが、次の曲を出すのを遅らせても良かったのではないかと言われたくらい。当時は3か月に1枚シングルを発売してましたから。

結果的に次のシングル『瞳はダイアモンド』と共に1位2位を独占。レコード会社的には年末に向けてさらに売上を作らないといけなかったんでしょうか?

W (笑)大人の事情でした。

M でももう40年近くずっとヒット中みたいな感覚ですよ。大村さんはアレンジする前によく「若松さん、今回の詞の世界はどんな感じなんですか?」と尋ねていたそうですね。

とても歌詞を大切にする方でしたから。理論と感性の両方をきちんと持っていらっしゃった。だから一旦作品の骨格をつかむと思い切りがいい。そして聖子のヴォーカルも思い切りがいい。そう! 「思い切りの良さ」はヒットの条件ですね。純粋に聴いていて気持ちがいいですから。

M イントロの逆回転も、記憶が甦る詞の世界そのもの。

W あれは4人目のYMOと呼ばれた松武秀樹さんが大村さんとアイデアを出してくださって。シンセサイザーの音をテープに録って逆回転したんです。

 

大村雅朗さんとの出会いは
山口百恵さんの名曲にあった!

M 大村さんに一番最初にオファーしたのはデビュー2曲目の『青い珊瑚礁』。若松さんが山口百恵さんのシングル『謝肉祭』を聴いて衝撃を受けたことがきっかけだそうですね。

 はい。この方のアレンジは圧倒的にすごいぞと。

『謝肉祭』が1980年の3月21日発売で『青い珊瑚礁』が同年7月1日発売。大村さんが百恵さんのシングルを手がけたのはこの曲のみで、まだ駆け出しの頃。まさに即断即決!

W そんなに短期間のことでしたか。『謝肉祭』はサウンドに異様な迫力があるのにヴォーカルもしっかり引き立っていて、百恵さんの歌もアレンジに刺激され、さらに魅力を増しているんです。

大村さんはその後、佐野元春さんや大沢誉志幸さん、TMネットワーク、渡辺美里さん、大江千里さん、吉川晃司さんなど多くのアーティストとお仕事をされましたが、大村さんが構築した聖子サウンドはロックと歌謡曲の壁を取り払いましたよね。

W 間違いなく80年代の音楽に影響を与えたと思います。

百恵さんの『謝肉祭』を聴いてから聖子さんの『青い珊瑚礁』を聴くと、音の聴こえ方が全然違ってきます。例えばストリングスの重なり方とか。

確かに。でも私はいつも理論より直感なんですよ。これはいいぞ! という。

それを一瞬で感じ取った若松さんにはリスペクトしかありません。大村さんで有名なのは『ユートピア』のレコーディングのエピソード。若松さんが聖子さんに全然マイアミの抜け感がないとダメ出しをしたとき、悩んでいた聖子さんをスタジオから連れ出し「聖子ちゃんは普段なかなか行けないでしょう」と当時まだ珍しかったマクドナルドまで車で連れていってくれたという。

あー!! そんなこと、あったねー(深くうなずく若松さん)。

M マネージャーさんも一緒に?

いやいや二人だけでしたよ。大村さんはアレンジャーとして、いつもシンガーである聖子の気持ちや体調も気遣ってくれて、みんなから信頼されてましたから。それで切り替えてレコーディングできたんだよね。懐かしい。

お互いにアーティストとしてリスペクトがあったからこその信頼関係ですね。ちなみに聖子さんと大村さんのやりとりはいつも福岡弁でしたか?  すみません、聖子さんの福岡弁が大好きで(お二人とも福岡県ご出身)。

W いやいや、そこは標準語だったと思います(笑)。

 

型にハマらない
自由な感性こそヒットの秘訣

M A面の『ガラスの林檎』も本当に美しいバラードです。聖子さんがあまりにさりげなく歌っているので、カバーされるたびに聖子さんのすごさに気づかされるほど。

そうでしたね。ガラスと言えば松本隆さんの詞もガラスのような繊細さと透明感があります。角度によって光の輝きも変わるし、娯楽性溢れる聖子の声がのると極上のポップスになる。

『硝子のプリズム』という曲もありますからね。ここで大変意地悪な質問をしてもいいでしょうか…。あの頃『ガラスの林檎』と同時期に細野さんが中森明菜さんに提供した曲が発売され2人の歌姫の作曲家がかぶってしまい、子供心にそれこそ『禁区』ではと…もちろん明菜さんのことも私はずっと大好きなんですけど(笑)。

細野さんは才能溢れる方だからねー、オファーがたくさんあるのは当然でしょう。それについて我々が何か言う権利はないし、まったく気にしていなかったですよ。なぜなら私は音楽を整理したくないし、歌は娯楽だから境界線を作らず自由でないとね。整理して整えるとどんどん魅力がなくなるから。

M 前回の大滝詠一さんスペシャルでも、自由ではみ出したものに人は惹かれるとおっしゃってましたよね。ところで細野さんのおじい様が、あのハリウッド映画にもなったタイタニック号に乗っていたというお話はご存知でしたか?

いや、初耳です!

しかも、もし生きて帰ってこなかったら細野さんは誕生せず、はっぴいえんどや松本隆さんや大滝詠一さんや聖子さんとの出会いもなかったという壮大なエピソードですが。

確かにそうですね。私も細野さんとは共通点が多かったから縁を感じます。

やっぱりデビューが1980年だったことも含めて、聖子さんプロジェクトは全て偶然じゃない気がします。あとこれは完全に私の妄想なんですが、1984年に発売された明菜さんの『飾りじゃないのよ涙は』に、「ダイヤと違うの涙は」と「真珠じゃないのよ涙は」と言うフレーズがありまして、作詞作曲は井上陽水さん。これはもしや『瞳はダイアモンド』の♪涙はダイアモンド〜や『白いパラソル』の♪涙を糸でつなげは真珠の首飾り〜へのアンチテーゼだったのではないかと。

おもしろい!! もしおっしゃる通りだとしたら僕は陽水さんのそのセンス、大好きです!! すごくいい。だって歌は時代への否定感でないと。型にハマってちゃダメ。何かを否定して、はみ出してこそおもしろくなる。

M ライバルも気になりませんでしたか?

私はとにかくその時その時の聖子に合う曲を世に出すことに集中していましたからね。いかに新しい曲を最善の仕上げでみなさんにお届けするか、もう本当にそれだけでした。

今回も貴重なお話ありがとうございました! 次回は8thアルバム『Canary』について。お楽しみに。

 

参考文献 平凡Special 僕らの80年代

Profile

若松宗雄/音楽プロデューサー わかまつ・むねお

一本のテープを頼りに松田聖子を発掘。芸能界デビューを頑なに反対する父親を約2年かけて説得。1980年4月1日に松田聖子をシングル『裸足の季節』でデビューさせ80年代の伝説的な活躍を支えた。レコード会社CBSソニーではキャンディーズ、松田聖子、PUFFY等を手がけ、その後ソニーミュージックアーティスツの社長、会長を経て、現在はエスプロレコーズの代表に。Twitter@waka_mune322、YouTube「若松宗雄チャンネル」も人気。

Text: Kuki Mizuhara Photo: Hiromi Kurokawa

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