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松田聖子の80年代伝説Vol.14 女性作家たちが転機を祝福した11thアルバム『The 9th WAVE』

松田聖子の80年代伝説Vol.14 女性作家たちが転機を祝福した11thアルバム『The 9th WAVE』

昭和から令和へと変わってもトップアイドルとして輝き続ける松田聖子さん。カセットテープ1本から彼女を発見し育てた名プロデューサー・若松宗雄さんが、24曲連続チャート1位という輝かしい伝説を残した松田聖子さんのシングルと名作アルバムを語る連載。80年代カルチャーで育ったライター・水原空気がインタビューします。第14回目は時代を代表する女性作家たちが、結婚目前の聖子さんに対しエールを送ったとも言うべき1985年6月発売のアルバム『The 9th Wave』について。

前回の、オムニバス映画的に十人十色の聖子さんを描いた10thアルバム『Windy Shadow』も合わせてチェック。


『The 9th Wave』1985年6月5日発売。銀色夏生、吉田美奈子、尾崎亜美、矢野顕子、来生えつこなど豪華な女性作家陣が集結し、新しい松田聖子の詞の世界を構築。同年6月24日の結婚式を前に日本中がヒートアップするなか発売された。作曲には原田真二、甲斐祥弘、杉真理、大村雅朗らおなじみのメンバーに加えて、尾崎亜美、矢野顕子、大貫妙子も参加。サウンドプロデュースは大村雅朗。80年代中期のエッジなデジタルサウンドのなかで、松田聖子のべルベット・ヴォイスが大人の女性への成長を歌う。

ライター水原(以下M)  『The 9th Wave』はご結婚を前にして、作詞家陣がガラリと変わったことが話題になりました。しかも全員女性で。何か意図はあったんですか?

若松さん(以下W) 全くたまたまなんです。キャスティングしていくなかで偶然そうなっただけで。もちろんプロデューサーとしては作品の方向性を変えて、常に新しさも出していかなければならなかったけれど。最初にオファーしたのは尾崎亜美さんで、シングルの『天使のウィンク』でした。

M 『天使のウィンク』は年末ギリギリにお話があって、明日までに作って欲しいと若松さんから尾崎亜美さんに依頼があったと聞きました。

W 急に話が決まったからね。ちょうど亜美ちゃんが引っ越しをしている最中で、「それでもいいですか?」と言われて、ご自宅におじゃましたんです。確かにダンボールが周りにたくさんある中で、打ち合わせしたのをよく覚えています。聖子に対しての亜美ちゃんの印象を話してもらったりしながら、「自由に好きなテーマで作ってみてください」と伝えてね。

M そのあと亜美さんは、引っ越しの掃除で舞った埃が逆光で天使のように見えて。それで翌日には曲が出来上がってきたんですよね?

W さすがだと思いました。そういう閃きのままに生みだした感じが、デモテープからもキラキラと伝わってきましたから。しかも大村雅朗くんが、抜群のアレンジで仕上げてくれた。

M イントロからもう天使が見えますよね。確かに新しい聖子さんワールドでした

W 天使は聖子にもぴったりだからね。

M この曲のレコーディングのとき聖子さんの声にあまり元気がなくて、亜美さんが聞いたらお腹が空いていたらしく、食事を出前で取ったというのは本当ですか?

W (笑)なんとなく覚えてますね。それで声にも勢いが出て、うまくいったんだよね。 

M 大好きなエピソードです(笑)。レコーディングのときって、よく出前を取るものなんですか?

W いやいや、そうでもない。聖子はいつも水さえあればOK。何か特別なものを手配したりとかそういうこともなくて、本当に気を使わせない子だから。むしろ歌を自分で間違えて自分で笑って周囲も和ませるような感じ。毎回楽しい思い出ばかりでした。

M 聖子さんがいない間も作業は続くと思うのですが、そういうとき、スタッフの方たちは何を食べていたんですか?

W 長時間になるときは信濃町駅のソニーのスタジオの近くにあった洋食屋さんから、よく焼肉弁当を取ってたかな。熱々のご飯の上に上等な肉が乗っててね、これが美味かった(笑)。

M そうやって名作が完成していったんですね!!

 

風が吹き抜けるソリッドなヘアスタイルも鮮烈!!

『天使のウィンク』1985年1月30日。尾崎亜美作詞・作曲。大村雅朗編曲。オリコン・シングルチャート連続18作目の首位獲得曲。スローなイントロから疾走感溢れるデジタルサウンドへ突入。この展開は36年経った今聴いても新鮮。髪型も前作のリーゼントから、固めてサイドへ流すモードなスタイルに進化。この後世の中にムースやデップなど様々なヘアスタイリング剤が登場し、街の女の子からアスリートまでも髪をかっちり固めるように。聖子さんはヘアメークも常に時代を先取りしていた。

M 他の作家の方たちはどんなふうにキャスティングを?

W 銀色夏生さんは、私も大変尊敬している渡辺プロダクションの木﨑賢治さんが以前から紹介してくださっていて(木﨑さんは沢田研二、吉川晃司、アグネス・チャン、大沢誉志幸、槇原敬之などを手がけた名プロデューサー)。吉田美奈子さんは、お兄さんの吉田保さんがソニーのエンジニアだったから、そのツテでお願いしました。来生えつこさんは弟のたかおさんと聖子で何度も仕事していたし。矢野顕子さんも1枚前のアルバムからの縁。大貫妙子さんは大村さんの紹介でしたね。尾崎亜美さんもそうですが、みなさん私が大ファンの方ばかりだったから、即答でOKしてくださったのが嬉しかった。

M このアルバムを聴いていつも感じていたのが、詞の主人公が迷ったり悩んだりしながら成長していること。それまでの聖子さんのイメージだと、強気で明るく前に進んでいる感じが強かったと思うのですが。

W そうかもしれないね。でも聖子も人間ですから、悩むときは悩むし前に進めないときもある。そういう、人が生きていく上で必ず経験することを、このアルバムの作家の方たちは自然に描いているんですよね。女性同士だから、よくわかる部分もあったのかもしれない。

M 一曲目の銀色夏生さんが作詞した『Vacancy』の意味は「空っぽ」。斬新でした。

W 「なにもかもダメですね」で始まるんだよね。少し大人の詞だったと思うけれど、聖子の引き出しをまた一つ増やしていただいた作品でした。銀色さんはこの年、最初の詩集も出されていて、聖子にとっても新鮮な組み合わせだったと思います。 

M 矢野顕子さん作詞作曲の『両手のなかの海』もしっかり聖子さんカラーになっています。

W まさにそうですね。矢野さんのような音楽性溢れる方の曲を聖子が歌うと、最強のポップスになりますから。

M アルバムのテーマは何か決めていたんですか?

W 実はなかったんです(笑)。いろんな方に「いまの聖子に合うと思う詞や曲を書いて欲しい」とオファーしただけで、アルバムにするとか何も話していなかった。『The 9th Wave』というタイトルも最後に私がつけたものですから。

M 制作期間は、聖子さんの交際宣言や婚約発表の時期とも重なってますよね?だから『さざなみウェディングロード』や『夏の幻影』からも、どこか聖子さんを祝福するような感じが受け取れるのでしょうか。アルバムのタイトルはラスト曲『夏の幻影』の歌詞から?

W はい。そうです。

M 尾崎さんによると「9番目の波が一番高い」という伝承が外国にあるらしく。聖子さんは強いからどんな高い波も乗り越えられるという、そんなメッセージなのかと個人的に思っていました。

W 確かにそうかもしれない。

M しかも一曲目の銀色夏生さんの詞の中には「波が高すぎて少し怖い」という言葉が。 

W 最初と最後の曲が自然につながっていますね。このアルバムはね、大村雅朗さんが全曲アレンジしてくださって。最初から決めていたことではなかったけど、結果的に10曲全部お願いしてサウンド的にも実験が溢れていた。それで最後に大村くんに「サウンドプロデューサー」とクレジットを入れておくね、と伝えたんです。 

M 大村さんも喜んだでしょうね。80年代の中期らしいデジタル感が一つの軸になっています。あと歌詞でもう一つ言うなら『天使のウィンク』は、主語が途中で「私」から「天使」に変わりますよね? 聴いていると自然ですけど、よく読むと少し国語力が要ります(笑)。「僕」というのは天使であり、もしかしたら恋人でもあるのですか?

W 詞の解釈は人によって自由ですから、その捉え方もすごく面白いと思います。「僕」は天使であり恋人を意味しているのかもしれないし、自分自身の中にいる存在かもしれない。

 

日本中が注目した結婚直前、最後のシングル。

『ボーイの季節』1985年5月9日発売。前作同様、尾崎亜美作詞・作曲。大村雅朗編曲。結婚前最後のシングルとなる。歌入れは4月12日で、非常に慌ただしいスケジュールの中で録音・発売されている。缶ビールのCMからスピンアウトした6月22日公開のアニメ映画『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』の主題歌でもあった。B面は主演映画であり結婚のきっかけとなった『カリブ・愛のシンフォニー』の主題歌『Caribbean Wind』。こちらは4月13日公開。この時期の聖子さんの活躍ぶりは目を見張るものがある。

M 『ボーイの季節』は歌詞が少し抽象的で、私は恋人との距離感の話なのかと思っていました。人って相手を全部理解できるわけじゃないし、人間関係も適度な距離が必要。そういうことを学ぶ”季節”なのかと。

W 確かに結婚は「生活」ですから、お互いの協力が重要。どんなにときめいた相手でも、やがて風は吹かなくなる。そのとき、相手に対して何が残っているかですよね。お互いに理解しようとすることが大事だし。私は、この曲は初恋の人のことを歌っているんだと感じていました。

M レコーディングのときに尾崎亜美さんが聖子さんに歌詞の意味を説明したら、聖子さんが少し涙ぐんでいたと。

W 聖子も感受性が豊かだから、福岡時代からのことなど、いろいろ思い出していたのかもしれないね。

M 『ボーイの季節』で結婚前のシングルリリースはひと区切りするわけですけど、”季節”はデビュー曲の『裸足の季節』と符合させたんですか?

W 偶然です(笑)。でも亜美ちゃんの中には、何か意図はあったかもしれない。 

M 若松さんは聖子さんの結婚については、どんなふうに考えていらっしゃいましたか?人気が続くかなど、そんな心配も?

W それはなかったですね。そのときどきで聖子に合ういい曲を作っていけば、人気は衰えないと確信していたし。結婚については個人的な問題だから、他の人が何か言えるようなことじゃない。あと「聖子ちゃんはこれきりで引退するんですか?」と当時たくさんの方に聞かれたけど、あれだけ歌が好きな子だから、しばらくすると必ず戻ってくると思っていました。先の話も全くしないままだったけど、それよりはデビュー以来ずっと走り続けてきましたので、少し休養も必要だと考えていました。

M 確かに主演映画、アニメ映画、ニューヨーク録音、シングル2枚、オリジナルアルバム2枚、コンサートツアー、結婚など、85年の前半も大忙しいでしたよね。テレビをつければ毎日聖子さんの話題ばかり。まさに社会現象でした。結婚後は年末の紅白歌合戦にだけ出演されて、あとは完全にお休み。でも翌年にはアルバム『Supreme』が発売されて大ヒットして。

W 85年前半のスケジュールは綱渡りだったからね。結婚後はしばらく休養できたと思うけど、次の年の春頃かな。聖子から相談があると連絡が来て、二人で表参道のカフェで話したんです。 

M えーー!?聖子さんと若松さんが1986年の表参道で打ち合わせ??どこですかそれは?騒ぎにならなかったんですか?

W ハナエモリビルのもう少し原宿よりの地下にカフェがあったんです。表参道沿いでね。天井が高くて広かったから、そこの隅っこは誰も気づかない。それでよく私が打ち合わせで使っていたんですよ。

M そこから『Supreme』が生まれていったとは。たとえそのカフェが今はなくてもワクワクしますね。最後に一つだけ質問です。その『Supreme』で再び熱いタッグを組む松本隆さんとは、85年はあまりお仕事をされていなかった訳ですが。

W 新しいことにチャレンジする年だったんだと思います。芸ごとは、いろんな関わりの中で生まれていきます。才能溢れる多くの方々に聖子を支えていただきましたが、そのなかでも変化は必要でしたから。

M チャレンジといえば、85年はニューヨークで録音された『SOUND OF MY HEART』も8月に発売されて、聖子さんは休業中でもリリース・ラッシュでした。

W そう。日本ではまだ珍しかった12インチ・シングルも出したしね。 

M 『Dancing Shoes』ですね!!次回はそのお話もぜひ!

Profile

若松宗雄/音楽プロデューサー わかまつ・むねお

一本のテープを頼りに松田聖子を発掘。芸能界デビューを頑なに反対する父親を約2年かけて説得。1980年4月1日に松田聖子をシングル『裸足の季節』でデビューさせ80年代の伝説的な活躍を支えた。レコード会社CBSソニーではキャンディーズ、松田聖子、PUFFY等を手がけ、その後ソニーミュージックアーティスツの社長、会長を経て、現在はエスプロレコーズの代表に。Twitter@waka_mune322、YouTube「若松宗雄チャンネル」も人気。

Text: Kuki Mizuhara Photo: Miyu Yasuda

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