日本中が注目した結婚直前、最後のシングル。
『ボーイの季節』1985年5月9日発売。前作同様、尾崎亜美作詞・作曲。大村雅朗編曲。結婚前最後のシングルとなる。歌入れは4月12日で、非常に慌ただしいスケジュールの中で録音・発売されている。缶ビールのCMからスピンアウトした6月22日公開のアニメ映画『ペンギンズ・メモリー 幸福物語』の主題歌でもあった。B面は主演映画であり結婚のきっかけとなった『カリブ・愛のシンフォニー』の主題歌『Caribbean Wind』。こちらは4月13日公開。この時期の聖子さんの活躍ぶりは目を見張るものがある。
M 『ボーイの季節』は歌詞が少し抽象的で、私は恋人との距離感の話なのかと思っていました。人って相手を全部理解できるわけじゃないし、人間関係も適度な距離が必要。そういうことを学ぶ”季節”なのかと。
W 確かに結婚は「生活」ですから、お互いの協力が重要。どんなにときめいた相手でも、やがて風は吹かなくなる。そのとき、相手に対して何が残っているかですよね。お互いに理解しようとすることが大事だし。私は、この曲は初恋の人のことを歌っているんだと感じていました。
M レコーディングのときに尾崎亜美さんが聖子さんに歌詞の意味を説明したら、聖子さんが少し涙ぐんでいたと。
W 聖子も感受性が豊かだから、福岡時代からのことなど、いろいろ思い出していたのかもしれないね。
M 『ボーイの季節』で結婚前のシングルリリースはひと区切りするわけですけど、”季節”はデビュー曲の『裸足の季節』と符合させたんですか?
W 偶然です(笑)。でも亜美ちゃんの中には、何か意図はあったかもしれない。
M 若松さんは聖子さんの結婚については、どんなふうに考えていらっしゃいましたか?人気が続くかなど、そんな心配も?
W それはなかったですね。そのときどきで聖子に合ういい曲を作っていけば、人気は衰えないと確信していたし。結婚については個人的な問題だから、他の人が何か言えるようなことじゃない。あと「聖子ちゃんはこれきりで引退するんですか?」と当時たくさんの方に聞かれたけど、あれだけ歌が好きな子だから、しばらくすると必ず戻ってくると思っていました。先の話も全くしないままだったけど、それよりはデビュー以来ずっと走り続けてきましたので、少し休養も必要だと考えていました。
M 確かに主演映画、アニメ映画、ニューヨーク録音、シングル2枚、オリジナルアルバム2枚、コンサートツアー、結婚など、85年の前半も大忙しいでしたよね。テレビをつければ毎日聖子さんの話題ばかり。まさに社会現象でした。結婚後は年末の紅白歌合戦にだけ出演されて、あとは完全にお休み。でも翌年にはアルバム『Supreme』が発売されて大ヒットして。
W 85年前半のスケジュールは綱渡りだったからね。結婚後はしばらく休養できたと思うけど、次の年の春頃かな。聖子から相談があると連絡が来て、二人で表参道のカフェで話したんです。
M えーー!?聖子さんと若松さんが1986年の表参道で打ち合わせ??どこですかそれは?騒ぎにならなかったんですか?
W ハナエモリビルのもう少し原宿よりの地下にカフェがあったんです。表参道沿いでね。天井が高くて広かったから、そこの隅っこは誰も気づかない。それでよく私が打ち合わせで使っていたんですよ。
M そこから『Supreme』が生まれていったとは。たとえそのカフェが今はなくてもワクワクしますね。最後に一つだけ質問です。その『Supreme』で再び熱いタッグを組む松本隆さんとは、85年はあまりお仕事をされていなかった訳ですが。
W 新しいことにチャレンジする年だったんだと思います。芸ごとは、いろんな関わりの中で生まれていきます。才能溢れる多くの方々に聖子を支えていただきましたが、そのなかでも変化は必要でしたから。
M チャレンジといえば、85年はニューヨークで録音された『SOUND OF MY HEART』も8月に発売されて、聖子さんは休業中でもリリース・ラッシュでした。
W そう。日本ではまだ珍しかった12インチ・シングルも出したしね。
M 『Dancing Shoes』ですね!!次回はそのお話もぜひ!