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松田聖子の80年代伝説Vol.15 全曲英語、NYで米国のトップ・アーティストと録音した12thアルバム『SOUND OF MY HEART』前編

松田聖子の80年代伝説Vol.15 全曲英語、NYで米国のトップ・アーティストと録音した12thアルバム『SOUND OF MY HEART』前編

昭和から令和へと変わってもトップアイドルとして輝き続ける松田聖子さん。カセットテープ1本から彼女を発見し育てた名プロデューサー・若松宗雄さんが、24曲連続チャート1位という輝かしい伝説を残した聖子さんのシングルと名作アルバムを語る連載。80年代カルチャーで育ったライター・水原空気がインタビューします。第15回目は、全曲ニューヨークで録音した1985年8月発売の『SOUND OF MY HEART』について。その前編です!

前回の、女性作家たちが新しい門出を祝福した11thアルバム『The 9th Wave』も合わせてチェック。


英語の曲を歌っても聖子ワールドは全開!

ライター水原(以下M)  トップアイドルが全曲英語のアルバムを出すのは画期的でした。聖子さんが洋楽アーテイストになったような新鮮さがあって。

若松さん(以下W)  確かに聖子のキャリアにとって大変プラスになった作品だと思います。海外の一流クリエイターと一緒にニューヨーク・レコーディングをしましたから。でも聖子は当初「若松さん、どうして私アメリカに行くんですか?」と成田で言っていたくらい、あまり関心がなかった。当時私が厳しかったから、最初は仕方なく行く感じだったのかもしれません。

M そうだったんですね? でも行ってみたら楽しかったんでしょうね。

W このアルバムをきっかけに、いろんなチャレンジを始めていきました。

M お話はどうやって決まったんですか?

前年の春くらいに私がふと思いついて。信濃町のスタジオでアルバムをレコーディングしているときに、聖子がアメリカで歌いながら踊ってるイメージがパッと思い浮かんだんです。いま出したら面白いんじゃないかとね。聖子はアクティブでキュート、アメリカっぽいところもあるから。

もしかしたら『Tinker Bell』のレコーディング中でしょうか? アップテンポなら『密林少女』?

W  だったかもしれない(笑)。すぐにCBS・ソニーの洋楽部長だった大西泰輔さんに相談したら、フィル・ラモーンが合うんじゃないかと推薦されて。

ビリー・ジョエル、アレサ・フランクリン、サイモン&ガーファンクル、ポール・マッカートニーも手がけた方ですよね。

ビリー・ジョエルとも大ヒットアルバムを何枚も作っていましたから。そしたら、あまり時間を置かずして返事が来たんです。「若松ちゃん! フィル・ラモーン、やってくれそうな雰囲気なのよ」と大西さんから。

M 80年代の業界話は聞いてるだけでワクワクします。何回くらいニューヨークに行かれたんですか?

W 4〜5回かな。最初に私だけフィルに会いに行って、一緒に曲を選んだんです。彼がボストンバッグいっぱいにカセットテープを持ってきてくれて。裸のままでプラスチックケースにも入っていないテープを。どれもいい曲だったから、いま思うとある程度選んでくれていたのかもしれない。

フィル・ラモーンはどんな方でしたか?

穏やかでインテリジェンスに溢れ、鋭く、懐も深い人でした。でも英語の発音には厳しかったよねー。だからレコーディングもじっくり時間をかけて。聖子もよく頑張った。もともと聖子は耳がいいんだけど。『imagination』という曲でも、「イマジネーション」と発音すると「No No! イマジュネイション」という感じで指摘がある。単に発音だけでなく歌の中での自然な節回しもフィル自身が指導してくれていました。

M 聖子さんは1984年の夏にハワイに短期留学されていましたよね?

W その前から実は英会話スクールに通っていたんです。勉強になるからと私が薦めてね。あと、私の知り合いにインターナショナルスクールに行っていた女の子がいて。学校帰りによく聖子のところに遊びにきてくれていたんですよ。だから話しているうちに自然と英語も上達して。その辺の勘の良さも聖子の才能でした。

M 当時は『フラッシュダンス』や『フットルース』といった洋画のサントラが大ヒットしたり、マイケル・ジャクソンの『スリラー』と共にMTVが台頭して。今でこそ一般的ですが、映像が音楽に欠かせなくなっていった時代でした。何かそこから刺激を受けたことはありましたか?

W いや、それはなかったね。ただただ、そのときどきの聖子に合う曲を考えていたから。本当にそれだけだったんです。

 

アルバムのトップを飾るシングルはPVも必見!

M このとき聖子さんは初めてのプロモーション・ビデオを作られていますよね?

W 海外進出を見据えていたので、PVを作るのが必須でしたから。意識してはいなかったけど、そういう意味では時代の影響はあったのかもしれない。『Dancing Shoes』のPVはマンハッタンにある体育館みたいに大きなホールで撮ったんですよ。撮影スタッフだけでなくダンサーの方も本当にたくさんいて。

聖子さんはパフォーマンスもパーフェクトでした。

W デビュー前からしっかりレッスンを受けて基本を学んでいましたから、演出をすぐに理解していました。大人数で群舞のシーンがあるので夜中まで撮影時間はかかったけど、その分思い出深い作品になりました。

聖子さんがMTVの中にいるみたいで、初めて観たときすごく感動したんですよ。フィル・ラモーンとのレコーディングで、他によく覚えていることは?

W 「ヒットファクトリー」はトップ・アーティストに人気のスタジオなので、ふらっとシンディ・ローパーやポール・サイモンが遊びに来るんです。それでフィルに挨拶していくんだけど、彼はレコーディングで忙しいから、廊下で1時間くらいシンディが私たちスタッフに、音楽や好きなプロレスラーの話なんかをしていったり。ポール・サイモンもジーパンにTシャツでさりげなく現れる。ニューヨークはカフェで生演奏をしていたり、ストリート・ミュージシャンも街角にたくさんいるでしょう。生活の中に音楽があるから、彼らの存在も自然に街に溶け込んでいた。聖子はそういう部分も見て勉強になったと思います。東京だと同じレコーディングでもたくさんの関係者がいて、どうしても気持ちがよそゆきになるからね。

M 何人くらいでレコーディングしていたんですか?

W ブース内に聖子がいて、こちらにはフィルとアレンジャーのデヴィッド・マシュー、聖子のお母さんと私だけ。それで聖子の歌に合わせて、アレンジャーが少しずつサウンドを調整していく。で、一曲完成するたびにフィルがカセットテープに曲を落として隣の小さな部屋に行き、小型ラジカセで音を聴かせてくれるんです。私も「GOOD!」と応えながらね。

M 実際のリスナーの部屋の音響を想定していたんですね?

W まさにそうでした!  その徹底ぶりも勉強になりました。

M あの頃、みんなラジカセやウォークマンで聖子さんの曲を聴いていましたからね。まだまだ貴重なお話が続きますが、この先は後編で! 70年代や90年代の話も登場しますよ。

Profile

若松宗雄/音楽プロデューサー わかまつ・むねお

一本のテープを頼りに松田聖子を発掘。芸能界デビューを頑なに反対する父親を約2年かけて説得。1980年4月1日に松田聖子をシングル『裸足の季節』でデビューさせ80年代の伝説的な活躍を支えた。レコード会社CBSソニーではキャンディーズ、松田聖子、PUFFY等を手がけ、その後ソニーミュージックアーティスツの社長、会長を経て、現在はエスプロレコーズの代表に。Twitter@waka_mune322、YouTube「若松宗雄チャンネル」も人気。

Text: Kuuki Mizuhara Photo: Miyu Yasuda

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