M ところで銀座のソニービルの地下にあったフレンチ・レストラン「マキシム・ド・パリ」は、若松さんも行かれましたか?(ソニービルの解体に伴い2015年に閉店)
W もちろん。何度も。
M 毎年クリスマスは予約殺到で、階段脇の通路にまでテーブルを置いていたとか。
W ソニーの創業者の盛田昭夫さんが1966年に作った名店。海外の文化をいち早く日本に伝えてくれた大切な場所でした。そう言えば「マキシム」で聖子と一緒にビリー・ジョエルと食事したこともあったね。
M ええええええええー!?
W ビリー・ジョエルの来日コンサートの時に、ソニーの大賀典雄会長が歓迎ディナーを主催して、ご本人やツアーメンバー全員を招待したんです。聖子がちょうど彼のプロデューサーでもあるフィル・ラモーンと『SOUND OF MY HEART』というアルバムで仕事をすることが決まった時期で、1984年5月のことでした。それで私たちも洋楽スタッフと一緒に参加して。そうしたら、ビリーが聖子に「明日の夜、時間はある?」と。翌日の武道館コンサートに聖子を誘ってくれたんですよ。「コーラスとして一曲参加してみないか?」とね。曲は『あの娘にアタック(Tell Her About It)』。
M まさにビリー・ジョエルさんが聖子さんにアタック!!
W 次の日の武道館コンサートでは、3人いるコーラスのセンターが途中で聖子に変わったんですが、だんだんとお客さんたちがザワザワし始めて。当時は大きなモニターもないから、最初はよくわからなかったみたいで。でも最後にビリー・ジョエルが「SEIKO MATSUDA!」って改めて紹介すると、みんなビックリしてたよね(笑)。それを私は、ご招待した松本隆さんと二人で、舞台の袖から笑顔で見守っていました。
M まさに80年代の奇跡、クリスマスではないけど、プレミアムな一夜です。若松さんの著書『松田聖子の誕生』(新潮新書)に描かれている、デビュー当時に、聖子さんのテレビ初出演を不安げに見守っていた若松さんのエピソードから考えると、感慨深いものがあったでしょうね。
W なんといってもビリー・ジョエルとの共演だからね。グラミー賞を受賞したばかりでビルボードでも首位を獲得して、とにかく人気だったし。聖子も私も、やっぱり嬉しかったですよ。
M とりあえず今日はソニービル跡地の近くに行って、『あの娘にアタック(Tell Her About It)』を聴くことにします(笑)。
(後編へ続く)