バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
前回記事「引用との関係性〜感覚の成立〜」はこちら。
バングラデシュにルーツを持つ、シャララジマさん。見た目で容易に規定されることなく、ボーダレスな存在でありたいと、髪を金髪に染め、カラーコンタクトをつけてモデル活動をしている。“常識”を鵜呑みにしない彼女のアンテナにひっかかった日々のあれこれをつづった連載エッセイ。
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自分自身の考えと引用の違いが分からなければ、この先自分だけの審美眼を持てることは無いだろうと考えた私は、本はできる限り感覚を溜めて、量的に読まないよう、自分が咀嚼できるペースで、少しずつしか読まなかった。フィールドワークによって経験値をあげつつ、それに見合っただけの本を読むことで自分の心のバランスをとっていた。書を捨て街に出よ、ではないがその言葉を知らないままに自分の人生で実行していた。
そして19歳で自分だけの価値基準だけで作られた感覚が完成したなと感じるまで、意図的に音楽を聴かなかった。
私たちの世代はインターネットが当たり前になった世代で、パソコンは一家に一台はあった。インターネットに接続すればどんな時代のどんな音楽でも聴くことができて、どんな情報も検索することができた。私自身も小学校5年生の頃から携帯電話を持っていて、iPhoneになったのは周りと少し遅れて高校2年生の時。家族の職業柄、パソコンは常に近くにあり、小学校1年生の頃から使っていた。親戚が海外に点在していたこともあり10歳ごろからFacebookなどのSNSに触れていたが、主には音楽を聴くためによく利用していた。
中学に上がったばかりの私は、誰もが聴いたことがあるであろう、ビートルズというバンドの名前は知っていた。ビートルズがどのような音楽をやっているバンドなのかは全く知らなかったが、とにかく有名で、とっても「良い音楽」らしいということだけは聞こえてきたし、認知していた。私は基本的に人より少し遅れていて、自分はどう見られたいだろうか?ということや、恋や青春の感覚は完全に抜け落ちており、頭が硬く非常にソリッドな考え方をしていた。「良い音楽」であり、偉大なビートルズを、まだ世の中のことを何も知らない私が果たして受け止めきれるのか?憧れの著名人やあの大好きな雑誌、歴史を作った偉人が彼らのことを好きで、素晴らしいと称賛していたことを知っている時点で、私に偏り無しに、そのビートルズの音だけを聴く力は残っていないのではないか?みんなが凄いと言っているから、凄いはずだと思い込んでしまうのではないか?実際に聴いている自分自身の耳に頼らずに判断をしてしまうのではないか?と、深く壮大な疑問を抱いてしまった。
世間で良いとされているから、あの人が好きだから、流行っているからなどの情報からではなく、自分の感覚だけを頼り、音楽を探し回った。喫茶店、美術館、本屋さんや服屋さんに行った時に、あっ、この曲なんだろうと自分の耳が反応したものだけを追うように聴いてきた。意図的に自分が生活している中で、偶然出会ったものだけを聴いていたため、ジャンルを全くわかっていなかったり、物凄く有名なあのバンドは知らないのに、ニッチなものは知っていたりと、普通だったら知っているところを知らなかったりと、虫食い状態の知識だった。でも知っているその一つ一つは、自分の感覚で探し出し、人生に染み込んだものになった。誰かの眼鏡を借りずに、自分の「眼」でみることができるようになったことは私だけのものと思えるような感覚を自分の中に作り上げた。
自分の感覚が完成していく過程には、意図的に集めた知識を摂取しても、押し潰されないような地盤が少しずつ自分の中で構築されていった。高校2年性の時に読んだ三島由紀夫の『行動学入門』には、私が日々疑問に思って考えていたことが本当にそのまま書かれていて、彼の引力のある秀逸な文章の力に飲み込まれることなく、自分の考えと照らし合わせて並行して少しずつ読むことが出来るようになっていた。彼の思想には読んでみないと、能動的に関わらなければ、メディアで見かけた情報だけで判断するだけではとても追いつけない。そんな能動性を求めるような理解を段々と出来るようになっていった。もののけ姫の「曇りなき眼で見定める」を地でやっていた。思考のこの部分は引用だなと自分なりに違いを区別できるようになっていたし、何よりも自分の考えを平易な言葉で表現することが出来るようになっていたのが一番の収穫だ。
自分の感覚で物事を判断することは、そう簡単なことではないかもしれない。誰しも審美眼を持ち、自分の感覚で物事を判断すべきだとは思っていないが、自分の感覚を大切にすることは人生を豊かにし、何よりも現代社会でじわじわと病んでいく私たちの救いになる可能性を秘めている。感覚を置き去りにせず、麻痺してしまわないようにする営みが常に必要だ。沢山のカルチャーに出合って見て、その物事について五感を使って本当に好きかどうか考えてみたり、自分が好きなものに立ち返って物事を観察することは、血の通った知識や経験となり、自分の自信に繋がる。私たちは影響し合い、されながら生きているが、情報過多による自覚のない影響ほど怖いものはない。自分がどの方向に進んでいるのかさえわからなくなってしまう。自分に影響していることを自覚するだけで、見ている世界はもっと明確に豊かになると私は信じる。
バングラデシュをルーツに持ち、東京で育つ。国籍や人種の区別にとらわれない存在感で、モデルとして、雑誌や広告、ランウェイなどに登場。2020年には〈LOEWE〉のキャンペーンモデルに抜擢された。最近では文筆業も盛ん。
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