さて、この本は過剰な塩分摂取に警鐘を鳴らす実用書ではない。短編小説集だ。タイトルにもなった書き下ろし『私たちは塩を減らそう』に登場するのは、腐れ縁で付き合っている男と女。将来のことを言葉にしたこともないふたりが、「塩を減らすのっていいらしい」とぼんやり語りながら歩き出す。 「いいって何に?」「だから、ほら、健康全般に」。
実のところ大して興味もないだろうに、切羽詰まっていないだろうに、先々の健康の心配をしている。前田司郎さんが書く悪意のないこんな乾いた日常が好きで、クックッと笑いがこみ上げてしまう。 じつはこのふたり、男がある日偶然見つけた「いい香りのする草が生えている場所」を記憶を頼りに見つけようと歩いているのだった。お互いに言いたいことやら聞いておかなきゃいけないことやらを抱えながら、ただ歩く。
ネタバレ御免、結末でその「草」は見つかる。探していた草がなんであるか読者に分かった瞬間、それまでぬるくモノクロだった世界に鮮やかな絵の具を一色挿して、作者はばっさり筆を置く。ともに歩いて「秘密の宝物」を見つけたふたりには、背中を押す優しい追い風がきっと吹いたはず。そう思いたい。(草の名前はここでは言わずにおく)