31 Jul 2020
シティガール未満 vol.12──若松河田

上京して7年目、 高層ビルも満員電車もいつしか当たり前になった。 日々変わりゆく東京の街で感じたことを書き綴るエッセイ。前回はこちら。
雨の日が待ち遠しいのは初めてだった。
去年の秋、原宿の古着屋「Santa Monica」で買ったヒョウ柄のレインブーツ。いわゆる「長靴」といった感じの、膝下までのオーソドックスな形で、PVCの光沢とクリアのソールが可愛い。
買ってから初めて雨が降った日は、子供の頃大嫌いだった運動会当日の朝に雨が降っていた時くらい嬉しかった。
それからというもの、お気に入りのレインブーツを履くチャンスだと思えば、雨の日の外出もそれほど億劫ではなくなった。最近はタイトなミニスカートに合わせて、2000年前後のギャルっぽく履くのが気に入っている。
どうして今まで雨用の靴を買わなかったのだろう。足が濡れることに自覚していた以上のストレスを感じていたことに気が付いた私は後悔した。
幼い頃はちゃんとレインブーツを履いていた記憶がある。2000年前後っぽいバランスがしっくり来るのは、その頃を思い出すからだろうか。
思えば子供の頃は、雨が嫌いではなかった。
中学1年の時は「日本では一般的に晴れは『良い天気』、雨は『悪い天気』と言われるが、私は晴れよりも雨や曇りの方が落ち着くから好きだ。だから私にとって雨は良い天気だ」という内容の作文を書いたくらいだ。
思春期特有の逆張りも含まれていたとは思うが、あの頃、家から一歩出るとどこにも居場所がなかった私は、太陽光を遮るものがない田舎の通学路を歩くたびに、逃げ場がないような気がして不安になったのは本当で、だから空が暗い方が落ち着いたのだと思う。
土砂降りで靴下まで濡れるのは嫌いだったが、教室の窓から雨を眺めるのも、車のワイパーの音も、少しだけ自分のスペースができるような気がする傘も好きだった。
雨が嫌いになったのは、大学生になって東京で暮らし始めてからだ。
自宅から最寄り駅まで、徒歩10分。強めの雨の中をスニーカーで歩けば、駅に着く頃には靴下まで濡れている。雨ってこんなに足が濡れるものだったっけ、と最初は馬鹿みたいに不思議に思っていたが、よく考えてみれば地元では基本的に親が運転する車移動で、学校も近かったので、単純に雨の中を10分以上歩くことがあまりなかっただけなのだ。
もっとよく考えると、車には常時傘が置いてあったから、嵩張る上に畳むのに時間がかかる折り畳み傘を持ち歩いたり、仕方なくコンビニでビニール傘を買ったりする必要もなかった。そのせっかく買ったビニール傘を盗まれることもなかった。制服だったから雨に濡れてもいいコーディネートに悩まずに済んだ。土日なら一歩も外に出なくてもご飯を食べられて、一日中家に居られた。
東京の雨を嫌いになった時、私はいかに自分が環境に甘えていたかを思い知ったのだ。
次第に、晴れていると気分が良く、曇っていたり雨が降っていたりすると気分が沈むといった感覚にも共感できるようになり、晴れを「良い天気」、雨を「悪い天気」と呼ぶことに対する疑問も忘れていった。
しかし今年の梅雨は、また雨を好きになれそうな気がしている。レインブーツのおかげだけではない。
梅雨に入ってから、無性に階上の窓から雨の降る街をただ眺めたいという欲求に駆られていた私は、一日中雨の降りそうな日を見計らってミニスカートとヒョウ柄のレインブーツを履いた。
都営大江戸線若松河田駅から徒歩4分、ドラッグストア「CREATE」の右脇にひっそりとある階段を、ひっそりと登る。
2階のドアを開けると、壁一面が窓ガラスになった、ホテルのラウンジのような喫茶店が現れる。
喫茶店にありがちな文字や模様もなく、よく磨かれた大きな窓ガラスを前にして私は「カフェテラス小島屋」という店名の意味を理解した。外の景色を遮るものが一切ないおかげで、完全屋内ながらテラスにいるような気分を味わえるのだ。
迷わず選んだ窓際のテーブルから、「若松町」の交差点を見下ろす。
早稲田から続く夏目坂通りと大久保通りがぶつかるこの周辺は、主にマンションが立ち並び、その間にぽつぽつと飲食店や薬局が見える。新宿区のど真ん中にしてはあまり都会的ではないこの風景こそが、私の求めていたものだ。
雨の音が聴こえて窓から街を見下ろせる喫茶店なら他にもいくつか浮かんだが、繁華街はなんとなく違う気がした。
レジ袋やエコバッグを下げた買い物帰りの人。犬の散歩をしている人。チャイルドシート付きの自転車を漕ぐ人。長靴を履いて下校する小学生。公園で遊ぶ家族。マンションの部屋の窓から漏れる電気。喫茶店の常連客のたわいない会話。そんな人々がただ暮らしている様子を眺めると落ち着くのは、なぜだろうか。
注文した「ホットケーキセット」が運ばれてくる。厚めの2枚重ねにバターとメープルシロップだけのシンプルな、「パンケーキ」ではなく「ホットケーキ」。それから紅茶とミルク。ホテルのラウンジ風と書いたが、メニューはいたって普通の喫茶店である。
客の少ない店内は程よく静かで、雨の音と、ラジオから流れる米津玄師と、隣のマダム達の雑談と、ティーカップやスプーンがぶつかる音が入り交じっている。
ホットケーキを口に運ぶと、雨に洗い流されるように自分の中から何かが浄化されていくのを感じた。そうか、これが私の生活に必要なことだったのか。直感的にそう思った。
この連載のvol.5でも書いた通り、喫茶店でゆっくり過ごすことが私の趣味でありストレス発散法の一つなのだが、ここ数ヶ月は基本的に不要不急の外出を自粛していたので、喫茶店に行くこと自体が久しぶりだったのだ。もともと引きこもり体質なのでそれほど苦にならないと思っていたが、知らぬ間にストレスが溜まっていたのかもしれない。
生きることは常にストレスが付きまとう。原因を排除できればいいが、難しいことも多いし、そもそも何がストレスなのか、ストレスを感じているかどうかすら自覚できなかったりする。
そのことに気付いてから私は、変えられない状況を自分なりに楽しめる方法や、ストレス発散できる方法をなるべく多く見つけることに重きを置いている。
もちろんその方法は人それぞれだ。私の場合は可愛いレインブーツや静かな喫茶店の美味しいホットケーキだったりする。それは一見なくても生きていけるもののようで、私にとっては、ないと生きていけないものなのだ。
自分が何を好きか、何を楽しいと感じるか、何をすれば落ち着くのか。そういったものを見つけるのは意外と簡単ではないし、単調で多忙な日々の中で見失うこともある。そしてそれは、自分を見失うことでもあるのかもしれない。
外を眺めながらそんなことを考えているうちに閉店時間が迫っていたようで、客は私一人になり、雨の音とひんやりした空気が店内を満たした。
私は窓についた雨粒を見ながら、このまま私の上だけに穏やかな雨が降り続ければいいのに、とさえ思った。やっぱり、雨も悪くない。雨を楽しめるようになった自分も、少し好きになれそうな気がした。
絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。ひょんなことから新卒でフリーライターになってしまう。Webを中心にコラム、エッセイ、取材記事などを書いている。
Twitter: @YPFiGtH
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Illustration: Masami Ushikubo