22 Jun 2019
シティガール未満 vol.4 ──新宿中央公園

上京して6年目、
「それ、似合うんじゃない?」
新宿中央公園のアスファルトに敷かれたブルーシートとのコントラストに目を引かれ、鮮やかなオレンジ色のワンピースを手に取ると、出店者のおばあさんに話しかけられた。さらに少し顔を近づけて、「おばさんが多いから売れ残っちゃったのよ。ほら、細くないと着れないから」と、声をひそめて笑う。
公園で行われているようなフリーマーケットに行くと、年配の人にやたらと細い、肌が白い、などと言われることがずっと疑問だったが、なるほど、こういう場には若者が少ないから、相対的にそう見えるのだろうと思った。
ワンピースを広げてみる。ノースリーブの膝上丈で、大きく尖った襟と白いボタンが可愛い。60年代から70年代くらいのものだとしたら、この人が若い頃着ていたものなのだろうか。
いくらですか、と聞くと、400円でいいわよ、とのこと。早い者勝ちのフリーマーケットでは、悩み過ぎない方がいい。ワンピースと、それに合いそうな200円のイヤリングを買って、次に行く。
会場の端の方に移動すると、ハンガーラックに掛けられた、黒いタートルネックの半袖ニットが目に入った。胸のあたりに筆記体で“electrik”と書くように赤の糸が編み込まれていて、最後のkと繋がるように、真っ赤なルージュのアップリケが付いている。
「それお買い得よ。ソニア・リキエルが500円!」
出店者は、オレンジ色に染めたくるくるのショートヘアが印象的な、40代後半くらいの女性。高い声で歌うように喋る人だった。
「昔、このニットにこのスカートとこのバッグを合わせて着てたのよ。でももう着ないし、持ってても仕方ないから」
と、赤のタータンチェックのティアードロングスカートと、犬のアップリケが付いた小さなトートバッグを指す。スカートが掛っているハンガーには「マドモアゼル・ノンノン」、バッグのハンガーには「ドゥ・ファミリィ」と書かれた正方形のガムテープが貼られている。
すぐにピンと来た。もしかしてこの人は、元「オリーブ少女」なのではないか。
「可愛いでしょ? 他にもいろいろあったんだけどねえ、もう売れちゃったのよ〜」
他にもマドモアゼル・ノンノンやアトリエ・サブのワンピースが数着あり、どれも綺麗な状態だった。こちらが何も聞かなくても話す様子からも、大切にしてきた服なのだとわかる。
私はここ数ヶ月、オリーブにハマっている。
オリーブやオリーブに関する文献を読んだり、メルカリで元オリーブ少女らしきユーザーを探して出品一覧を眺めたりするのがマイブームだ。
特に80年代後半の、ブランドでいうとATSUKI ONISHIなどに代表される、赤やピンク、白を基調とし、大きなフリルの襟やレース、小花柄を特徴とするようなデコラティブなスタイルが多かった頃が好きだ。重ね着やアクセサリーの重ね付けが多用された、挑戦的で遊び心の効いたスタイリングも面白い。開くだけで、夢の世界にいるような気分にさせてくれる。
そう、夢のような世界なのだから、夢のままにしておくべきだったのだ。それなのに私は、現実にしたいという欲求を持ってしまった。つまり、オリーブ少女になりたいという願望である。
ソニア・リキエルのニットとマドモアゼル・ノンノンのスカートを、身体にあてがってみる。
現実の私はもう少女ですらない、23歳の女。ニットは自宅のクローゼットにあっても違和感の無いデザインだが、何層にも重なったフリルがボリューミーなシルエットを生み出しているスカートは、どう頑張っても似合う気がしない。
別に似合わなければ着てはいけないというルールはどこにも無いのだが、私は服を選ぶ際には、似合うかどうかを最重視している。その方が自信を持てるし、自分を好きになれるからだ。
もちろん好きかどうかも重要だが、どんなに好みのデザインでも、似合っていないと感じると、その服を着ている自分を好きになれないから楽しくない。
オリーブ少女への道の最大の障壁は、まさにこの、オリーブらしいガーリーでロマンチックなファッションが似合わないという問題だった。
しかしオリーブについて調べるうちに、オリーブを読みオリーブっぽいファッションやライフスタイルを実践していればオリーブ少女というわけではないと考えるようになった。
オリーブが示していたのは、自分らしくオシャレを楽しむファッションの在り方であり、人生の選択一つ一つをしっかりと自分で選び取るような、主体性のある女性像だ。
大切なのは、ただ誰かの真似をすることでもなく、モテるために装うことでもない。自分が着たい服を着たいように着ることだ。
オリーブの存在すら知らなかった少女の頃から、なんとなく同じような思想を持って生きた私は、それを無意識のうちに嗅ぎ取ってオリーブに興味を惹かれたのかもしれない。
いずれにせよ、私は既に本質的にはオリーブ少女であり、今更目指すようなものでもないのではないか。
そのことに思い至ってからはオリーブ少女になりたいという願望は薄くなり、再びオリーブやオリーブに関する文献を読んで楽しむだけにしていた。
とはいえフリーマーケットでの元オリーブ少女(らしき人)との出会いは、まだ私の心にわずかに残っていたオリーブ少女願望を再燃させた。
かつての彼女が合わせていたという、ソニア・リキエルのニットとマドモアゼル・ノンノンのスカートとドゥ・ファミリィのバッグを全部買って真似してみるのも面白い。
これらを身につけた自分を想像する。
そして問う。私はこの服を着た私を、好きになれるか。
似合うかどうかを気にせず気に入った服を自由に着ることができたら、それはそれで素敵なことだろう。
でも少なくとも今の私は、似合っていて好きな服を着ていないと、自信を持てない。それは私が自分らしくオシャレを楽しむために、必要なことなのだ。
結局、ソニア・リキエルのニットだけを買うことにした。裾に何かが引っかかって破れたような穴があるが、それも味に思える。薄手なので今の季節にも着られそうだ。
「若い人に買ってもらえて嬉しいわ」
と、元オリーブ少女は語尾の「わ」を跳ね上げるように言った。
いつか私も歳をとって今着ている服を着なくなった時、こうして若者に譲ることができたらいいなと思った。
ここからは余談だが、後日入手したオリーブ1984年1月号の「フランス女性のおとなの粋にあこがれて。」というコラムに、偶然にもこんなことが書いてあった。
「ソニア・リキエルが言ったそうです。『日本には少女と老女しかいない』って。25歳になっても少女で、それから急に老けて、大人のいい女は見当たらない、というのです。いま、オリーブ少女がおとなである必要はないのだけれど……、近い将来には、しゃれた、ソニアの服が似合うような女になりたいよね。少女と老女の間に、素敵な可能性がいっぱいあるはずで、それは一体どんな世界だろう?」
いま、少女と老女の間である私が目指すべきは、オリーブ少女ではなく、しゃれた、ソニアの服が似合うような大人のいい女……、なのかもしれない。
絶対に終電を逃さない女
1995年生まれ、都内一人暮らし。
Twitter: @YPFiGtH
Illustration: Masami Ushikubo