夏目漱石はエンタメです! 芥川賞作家・奥泉光さんに聞く古典の楽しみ方

夏目漱石はエンタメです! 芥川賞作家・奥泉光さんに聞く古典の楽しみ方

1世紀以上もの間、読み継がれ愛されてきた古典文学。 その魅力について、作家、書評家、本好きスタイリストが語る。


奥泉光さんと考える

夏目漱石の魅力

文豪・漱石をマニアックかつカジュアルに。小説家の奥泉光さんにその楽しみ方を教えてもらった。

 

先入観を手放して読もう 夏目漱石はエンタメだ!

100年前に書かれた夏目漱石の作品が今も読まれ続けている。その理由のひとつには、漱石自身のエンターテイメント性への意識があると思います。漱石は38歳で小説『吾輩は猫である』を書き始めて作家としてデビューするんですが、それがちょうど、日本語のリアリズム小説の文体ができあがって洗練されていく時期に重なっている。通俗な読み物から離れて、文学としての自立性を達成しようとした日本文学の動向に対して、最先端の文学の知識があり、それを書けるだけの力を持っている漱石が、エンターテイメントを強く意識して小説を書いたんですね。

漱石は1907年に朝日新聞に入社して、『虞美人草』『坑夫』を書き、試行錯誤を経て、『三四郎』『それから』くらいからかな、広く一般に読まれるテキストを作っていくようになっていきます。作品を寄稿する作家としてだけでなく、文芸欄の担当として入社しているので、実は他の作家に書いてもらう交渉なんかもやっているんですよ。その痕跡は当時の作品にも表れていて、次の作家がなかなか原稿をあげなかったために、自分の作品を引き伸ばしてフォローしたりもしている。『門』の座禅に行く場面がやけに長いのもそんな理由ではないかといわれています。『こころ』だって、構想段階では、第3部にあたる「先生と遺書」が中心で、その前はもっと短い予定だったらしい。タイトルでいえば、『彼岸過迄』なんて、彼岸過ぎくらいまで自分の連載を続けようかな、という意味でつけたんじゃないかな。新聞小説という形で世に出すことで、ひとつひとつの作品を練りに練って書くことはできなくなったし、逆にいえば、漱石にはそうする必要がなかったのかもしれません。急に書いてあんなに面白いんですからね。

漱石は、新聞小説作家になる前にも作品を発表しているんですが、僕はその時期に書かれたものが特に好きなんです。具体的には『吾輩は猫である』から『坊っちゃん』『草枕』あたり。リアリズム文学の全盛期に、リアリズムだけが文学ではない、と野心的な作品を書いてみせる。その典型が『草枕』です。同時期のヨーロッパでは、アンドレ・ジイド、ジェイムズ・ジョイス、マルセル・プルーストやフランツ・カフカなどに代表されるモダニズム文学の動向が興っていた。当時の日本で唯一、そこに鋭敏に反応して書いていたのが漱石で、『吾輩は猫である』なんてまさにそう。人生を描くのが文学だという風潮に抗って、小説とは物語ではなく《文》でありさえすればいい、《文》そのものが重要なんだ、ということを漱石は言っている。これは『草枕』で書く《非人情》にもつながる考え方ですね。


奥泉光さんが選ぶ いま、読んでおきたい3作

今読んでおきたい3作

1.『草枕』(1906)
漱石の芸術論に触れられる一作。画家の主人公が俗世から距離を置くために訪れた温泉地が舞台。「数ある作品の中でも、アートの色合いがもっとも強い小説です。漱石の言う《美くしい感じ》を味わって」(新潮文庫/¥430) 

2.『坑夫』(1908)
「ブルジョアの男の子が、失恋して坑夫になるという話。漱石のもとを訪ねてきた若者の話から発想して書かれたそうです。叙述的な作品で非常に魅力的です」。朝日新聞で発表されたふたつ目の作品。(新潮文庫/¥430) 

3.『吾輩は猫である』 (1905)
漱石のデビュー作となった長編で、人間と暮らす猫が語り手となって物語が進んでいく。「僕はこの小説と出合ったために小説家になった。小学5年生で初めて読んでから、繰り返し読み続けています」(岩波文庫/¥700) 


『草枕』は、そんな漱石の作家宣言ともいえる作品です。英文学研究者としての成果を踏まえ、自分が小説というものを書くならこれだ!と書き上げた力のこもった作品で、小説に対する思いが叩き込まれている。この作品はね、頭からおしまいまでずっと読み通してももちろんいいんだけど、詩集や歌集のようにいつも手元に置いておいて、時々開いてみるのがおすすめです。そう読まれることを作品が望んでいるし、漱石自身もこの作品について《美くしい感じが読者の頭に残りさえすれば良い》と書いている。言葉の美しさ、字面のデザイン性を感じるという意味では、旧仮名旧漢字で読めるとさらにいい。難解な漢字がたくさん出てくるので、それは飛ばしながら読んだっていいんです。もうひとつ、これは絵画をみるようにして読むべき小説でもあるんです。絵画をみるときって、全体を見たり細部を見たり、描かれた人物の表情に注目することもあれば、絵の具のタッチに目がいくこともある。通常、小説というのは、聴こえてきた順に音を聴いていく音楽に似て、冒頭から結末へ向かって線のように読み進めていく。でも漱石は、好きなところを読んだり、前に戻ったりしてもいい、線的に読む必要はない、と考えていた。絵画的に小説を捉えることを意図していたんです。その後、新聞小説を書くようになってからは、読者への配慮もあって物語性を重視するようになっていくのですが、それでも『三四郎』などの作品には、この考えが通底していると思います。

ユーモアというのも、漱石の魅力のひとつですね。作家デビューの前に書かれた掌編『自転車日記』などに見られる、対象と距離をとってユーモラスに書く感覚。『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『草枕』あたりにはそれが色濃く出ていて、僕は漱石のこの感覚が大好きです。一方、漱石の作品すべてに書かれているものとして「孤独」がある。それも、1人でいる孤独ではなくて、豊かな関係を結びたいという意欲を持っているのに、コミュニケーションに失敗した結果陥ってしまう孤独。これはテーマとして立てているというより、書いているうちに自然に出てきてしまうもの。漱石自身にとって、避けて通ることのできない問題だったんだと思います。

いろいろ言いましたが、つまるところ小説の読み方というのは読者に委ねられているものです。恋愛小説として『それから』を読んだっていいし、『こころ』に漂う濃厚なBLムードを楽しんだっていい。泣いたって笑ったっていいし、全部読まなくたっていい。『吾輩は猫である』を読んで続編を書いたっていい。僕は漱石を読んで、『「吾輩は猫である」殺人事件』と『坊ちゃん忍者幕末見聞録』という作品を書きました。漱石に限らず、小説は自由に読むのが一番!間違いないです!(談)


Profile

奥泉 光 おくいずみ・ひかる

1956年生まれの小説家。86年デビュー。芥川賞、谷崎賞など受賞多数。近著に『ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3』など。

Photo: Kaori Ouchi Illustration: Yousuke Kobashi Text: Hikari Torisawa

GINZA2019年6月号掲載

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