毎日、たくさんの本と出会う書店員と読書カフェの店主がよりすぐりの1冊をセレクト。
達人がリコメンド 街の本屋のこの一冊 Vol.4
岩渕宏美
『神様の住所』
九螺ささら/朝日出版社/¥1,700
感情があふれてどうしようもない。著者の九螺さんはこの症状に花吐き病という名前を与え、吐いた花の器に短歌を選んだ。この本では84のテーマを短歌とエッセイで解き明かしている。
たとえば「地図」の章の短歌。「地図上の果樹園の記号その中に世界の電源ひとつ混じりぬ」。ぎゅいんと上昇した視線はまるで神様のそれ。世界の再起動、電源オフ。アダムとイヴが口にした禁断の果実を思い出す。
あとがきに「短歌は言葉にならない引力を表現できる」とあるが、「世界」と「電源」に感じる力そのものも引力と呼べるだろう。「哲学」の章の短歌、「〈体積がこの世と等しいものが神〉夢の中の本のあとがき」もそう。体積、神、あとがき。こうして並ぶ日を待ちわびていたかのような周到さ。キュートなことこの上ない。
花吐き病とともに形而上的世界を愛する「宇宙酔い」の持病も持つ彼女。見えない世界を言葉で捕まえようとする姿勢はまるで哲学者のようだ。
≫いわぶち・ひろみ=渋谷のジュンク堂で海外文学を担当。
阿久津 隆
『奥のほそ道』
リチャード・フラナガン/渡辺佐智江訳/白水社/¥3,800
1943年、タイ。日本軍の捕虜として鉄道建設労働を強いられたオーストラリア兵たち。泥と糞便にまみれた痩せこけた脚。口の中の黄色い潰瘍。赤黒い太ももの断端。痙攣する体。這いつくばる体。もう動かなくなった体。燃えて、弾ける体。生還した一人は「再び煙が見え、肉が焼かれるにおいがし、突然、自分の身に起きたのはそれだけだったと知った」。50年以上が経った、死の間際のことだ。
どう、受け止めたらいいのかわからない。どこかに希望はあるだろうか。たとえば、助かる見込みのないように思える者を、身の危険を引き受けてまで救おうとする者たちの姿。あの感覚は、なんなのだろう、と思う。「生かしておくためならなんでもするつもりだった。勇気、生存、愛―これらすべては、一人の男のなかだけに生きているものではないから。それらは彼ら全員のなかで生きるか、全員を道連れに死ぬ。彼らは、一人を見捨てることは自分たち全員を見捨てることだと信じるようになっていた」。ここに希望を見出すことは可能だろうか。わからない。
≫あくつ・たかし=東京初台にある本の読める店「fuzkue」店主。『読書の日記』発売中。
花田菜々子
『一発屋芸人列伝』
山田ルイ53世/新潮社/¥1,300
これは一発屋芸人のことを笑うための本ではない。
山田ルイ53世の人物描写は、彼らをありがちな自虐の物語の型に嵌めることはしない。「スケジュールがこんなに真っ白」という話も一切させない。無理に感動秘話を引き出したりもしない。聡明な人は聡明に、クレイジーな人はクレイジーに、ありのまま、かつ魅力的にその人を描き出していく。読者は居酒屋で隣に居合わせたかのようにリアルに、彼らの人生の今を知ることになる。
読み終われば、なぜ彼らを「笑ってもいいみじめな存在」とするメディアを妄信していたのか不思議になる。たとえていうなら、ダサいと思い込んでいた実家の家具も、レトロという観点から見たら「意外といいかも」と見え方が変わってくる感覚に似ている。読むまではどうでもよかった芸人たちが、なぜか心で輝き始めるのだ。
一発屋芸人って、べつにダサくないし、むしろいい。そう思わせる筆力がまさにルネッサンス(文化革新)。
これは人間賛歌のとてもキュートな本なのだ。
≫はなだ・ななこ=日比谷コテージ店長。実体験を綴った自著『であすす』(略)が発売中。