毎日、たくさんの本と出会う書店員と読書カフェの店主がよりすぐりの1冊をセレクト。
『ののはな通信』『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』街の本屋のこの一冊 Vol.6
岩渕宏美
『わたしを空腹にしないほうがいい 改訂版』
くどうれいん/BOOK NERD/¥926
「わたしを空腹にしないほうがいい」から始まるこの本は、歌人で俳人の著者が記した1カ月と少し分のごはんと生活の記録だ。お腹がすくと覿面に怒ったり泣いたりするけれど誰より美味しそうに食べる。一人暮らしの小さな厨で毎日菜箸を握りつつ、日記に記されるのは記憶のなかの食べものが多い。
七夕給食のしゃりしゃりゼリー。恋人とひとつを分け合って食べたソフトクリーム。小学生時代もかつての恋人も今はもう過ぎ去ったものだけれど、彼女に残る食べものの記憶はとても鮮やかだ。何を食べても何かを思い出せるのはじつはとても心強いのではないか。過去の私から供される思い出の一皿に救われる日もあるだろう。
辛く悲しい日にもいつも通りお腹がすいて、あきれると同時に安堵したことがある。空腹はすごい。つぎのごはんに向かうパワーになる。彼女は今日も菜箸を握る。わたしがわたしを空腹にしないように。美味しいって思えるうちはきっと大丈夫だから。
≫いわぶち・ひろみ=渋谷のジュンク堂で文芸書を担当。
阿久津 隆
『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』
ジョーダン・ファーガソン/吉田雅史訳/DU BOOKS/¥1,800
むやみに人にすすめたくなるものがたまにあって、そのひとつが、本書がその成り立ちを丹念に読み解いていくJ・ディラのアルバム『Donuts』で、希代のビートメイカーの短い人生も、作品を巡る名声も、いかなるコンテキストも知らずに聴き、歓喜した僕は大学生、夏休み、実家に帰った際にステレオにCDをセットして大きめの音で流した。「ヒップホップを聴かない人でも、とても楽しくなるんじゃないかな!?」と思ってのことだったが母は、特に反応を示さず、「ごはんはもう食べたの?焼きそばでも作ろうか?」とでも言っていただろうか、マンション3階、複雑に入り組んだビートの鳴り響く部屋で、絹さやの筋でも取りながら。
読んだら、同じようにむやみに人にすすめたくなったので取り上げた。まずはSpotifyなりAppleMusicなりで聴いていただいて、よかったら、本書にGOしていただきたい。後半の、この作品の読解パートがとにかくワクワクする。音楽を読むってこんなに彩り豊かな世界を見せてくれるものなの!というような。なので。
≫あくつ・たかし=東京初台にある本の読める店「fuzkue」店主。『読書の日記』発売中。
花田菜々子
『ののはな通信』
三浦しをん/KADOKAWA/¥1,600
個人的に今年のベスト1かもと思う本作。物語はすべて主人公の二人による手紙形式のモノローグで、女子高生だった昭和後期から40歳を過ぎ新たな人生を選択するまでが描かれる。女同士の友情のラインをはみ出して激しく愛し合った幸福すぎる季節は短く、忘れられぬ唯一無二の愛だったことを互いに認めながらも別々の人生を生きていく。
叶わぬ同性愛の物語のように見えて、この小説の本質はそこにはない。手紙の中での再会を果たして以降の二人の人生は、読者の思いも寄らない方向に急加速して行く。忍び寄る不安な影とスリリングな展開にぐいぐい引っ張られ一気に読み終えた後は、立っていられないほどの衝撃を感じた。こんなテーマを突きつけられて、明日からどんな顔をして生きていけばいいというのか。
二人の決断・決意を前に、10代の頃の無邪気で無敵な愛は、ただの伏線でしかないようにも見えて、しかし大きな爆弾のための導火線でもあり、人生を支える鉄骨のようでもある。激しく生きることの美しさに、どうか触れてほしい。
≫はなだ・ななこ=日比谷コテージ店長。実体験を綴った自著『であすす』(略)が発売中。
Illustration: Naoki Shoji Edit: Satoko Shibahara