毎日、たくさんの本と出会う書店員と読書カフェの店主がよりすぐりの1冊をセレクト。
『フガフガ闘病記』『私はあなたの瞳の林檎』街の本屋のこの一冊 Vol.8
岩渕宏美
『私はあなたの瞳の林檎』
舞城王太郎/講談社/¥1,500
「瞳の林檎」をそのまま英語に訳すと「目に入れても痛くないほど愛している」という意味の慣用句になるらしい。主人公、直紀の好きな女の子の名前は林檎。それならタイトルは「きみは僕の瞳の林檎」じゃないの?と思うかもしれないけれど、そこがこの物語の美味しいところなのだ。
物語は中学2年の秋に、林檎への恋心に気づいた僕が告白するも曖昧に流されるところから始まる。その後も何度も告白する僕、される林檎。一見すると脈なし、なのだがそうでもないのが中学生の複雑な恋心。15歳で現実的に想像できる「永遠の愛」なんて、せいぜい3年ほどではないだろうか。いつか燃え尽きてしまうなら、私はいつまでもあなたの瞳の林檎でいたい。振り回され続ける僕に同情してしまうけれど、実は林檎の冒険譚でもある。
表題作に2編を加え、全3編からなるこの短編集のテーマは「恋」。いずれも微妙なすれ違いから発展する甘酸っぱくてもどかしい物語だ。あなたの瞳を占領したいつかの林檎たちを思い出しながら読むのもいいかもしれない。
≫いわぶち・ひろみ=渋谷のジュンク堂で文芸書を担当。
阿久津 隆
『マーティン・イーデン』
ジャック・ロンドン/訳・辻井栄滋/白水社/¥3,600
マーティン・イーデンという名の船乗りの青年が、金持ちの家に招かれる。自分のでかい図体やゴツゴツした手が高価そうなあれこれを壊してはしまわないかと、緊張でふらふらふわふわしながら廊下を進む。物語はその場面から始まる。その日、彼の人生が変わる。上流社会の人々の知性と品性に触れ、なによりも素晴らしい女性と出会って、彼女にふさわしい人間になろうと、勉強を始め、そして、文章を紡ぎ始める。それで、すごくがんばる。
これは、1人の男が、ものすごくがんばる、そういう小説です。百年前の「ものするひと」を描いた、そういう小説です。ブランニューしようとする人、なにかを成し遂げようとする人、つかみ取ろうとする人、そのためにストラグルする人、その苦しい闘いを描いた、そういう小説です。
「美を君は目的にするんだよ」という言葉があった。愛でも富でも名声でもなく、美を目的にすること、それは多分、とっても苛烈。でも、まず美を目的にすることはできる、というか、それでなくては、と思う。胸に刻み込んだ。
≫あくつ・たかし=東京初台にある本の読める店「fuzkue」店主。『読書の日記』発売中。
花田菜々子
『フガフガ闘病記』
菊地貴公/タイフーン・ブックス・ジャパン/¥1,500
闘病を綴った本というのは少なくない。あるいは家族による最期の記録。それらはいつも偽りのない言葉と総決算のような愛で私たちを涙ぐませる。生前のその人のキャラクターによって、語られ方にも個性があるだろう。しかし、そうだとしてもこの本は異色すぎないか。何しろファッションスナップ満載なのである。読むと服を買いに行きたくなる本なのである。
これは47歳の若さで逝去した〝ナオミちゃん〟を溺愛していた夫による、スナップ多めの闘病記だ。何しろナオミちゃんの着こなしが可愛く、その過剰な洋服愛も、前向きな性格やキュートな言動も、すべてが素敵ですぐファンになってしまう。最期の日に見ている幻覚さえ愛らしく、「心が可愛いと幻覚まで可愛いのか」と打ちのめされるほど。ネガティブな感情に重きを置かず、ナオミちゃんの魅力が最大限に伝わる形で文章を書いた著者の覚悟にも心が震える。ひとつの愛の完成形を見た気がした。童話を読んだときのようなやわらかい悲しみが心に充満した。
≫はなだ・ななこ=日比谷コテージ店長。実体験を綴った自著『であすす』(略)が発売中。
Edit: Satoko Shibahara