29 May 2018
色彩のお風呂は、いい湯だな。ブリジット・ライリー展

オプ・アートと呼ばれるジャンルがある。単純な幾何学模様をベースにした、目の錯覚を起こすような図形を描くものだ。じっと見つめると、グルグル画面が回転しているように見えたり、ある部分が飛び出して見えたり。見過ぎると、ちょっと酔ってしまう。映画を3Dで見るようなエンタメ度の高さもあって、このアートは60年代に爆発的な人気となった。
このオプ・アートの旗手として注目され、今も一線で活躍するブリジット・ライリーの個展が、DIC川村記念美術館で開催されている。
ブリジット・ライリー展 展示風景
この人の作品は、とにかく実際に絵の前に立って見てほしい。大きな画面に、きちんと計算されて色の線が何本も描かれている。ただそれだけなのに、目はあっという間に捉えられてしまう。どこかを見つめているはずなのに、いきなり焦点が合わなくなってぐらぐらする。あれ?と思って視線を外しても、色の線が生み出す時空がゆらぐ世界はどこまでも追いかけてくる。
ただ別世界に没入する体験がしたければ、IMAX3Dや4D映画もあるし、手軽なVRだってある。そういう意味でいえば、ライリーの絵はかなりアナログ。視界すべてが覆われているわけでもないし、隙だらけだ。でも、彼女の絵を見る経験には、単なる没入では得られない豊かさがなんともある。なぜだろう?
《朝の歌》1975年 アクリル、カンヴァス 211 x272cm DIC川村記念美術館
© Bridget Riley 2018, all rights reserved. Courtesy David Zwirner, New York/ London.
ライリーがこのような幾何学的な絵を描くに至った原点に、新印象派の画家、ジョルジュ・スーラがいる。スーラはおそろしく緻密な点描で風景を描いた。光の粒がそのままかたちになったような彼の絵は、「透明でゆらめく輝き」と評された。新印象派に先立つ印象派もまた、時間が止まったかのような写実性が良しとされてきたそれまでの絵画に対し、曖昧な輪郭や筆を点々と置くようなタッチで揺れ動く光や時間を写し取ろうとした。
スーラの絵に強く惹かれたライリーは、1959年、スーラの《クールブヴォワの橋》を模写し、空気の震えを画面に表すことを試みる。その後、自作を点描で描いた後、1961年には、モノクロームの線が反復する独自のスタイルがスタートする。
《波頭》1964年 乳剤、板 166.5 x 166.5 cm, ブリティッシュ・カウンシル、ロンドン
© Bridget Riley 2018, all rights reserved. Courtesy David Zwirner, New York/ London.
水面に光が揺れる姿や、風に揺れる木漏れ日といった、日常にふと顔を出すささやかな輝き。印象派が好んで描いたのはそういう瞬間だ。それから100年以上経った世界に生きる私たちもまた、そういう光景に出会うと無条件に心も体もリラックスしてしまう。目を緩めて、何も見ず光だけを感じるぽわんとした時間。あくせくとした日々のなかで、とびきり贅沢に感じるひと時だろう。
《賛歌》1973年 アクリル、カンヴァス 289.5 x 287.3㎝ 東京国立近代美術館
© Bridget Riley 2018, all rights reserved. Courtesy David Zwirner, New York/ London.
ライリーの絵を見る経験の豊かさは、これに似ている。目は捉われるけれど、何かを見ようとすればするほど、何も見ていないような気になる。そのままにしていると、ゆらゆら視界は動き始め、時折ぴくっと見えるものが変わって、あ、今眼球が動いたのかとハッと我に返る。絵を見ているはずなのに、絵の前で過ごした時間の記憶の方が残る。まるで目がお風呂に入っているみたい。湯舟の中で体が解けていくように、たゆたう色彩に満ちたイリュージョンの海をゆっくりと泳ぐ体験とでもいおうか。
VRのような最新の没入で得られるのは、あらかじめ決まった景色だ。でも、ライリーの絵には私たちの目が自由に泳ぎ回れる広がりがある。彼女の作品こそ、刺激に慣れてしまった現代の私たちに必要な眼福なのかもしれない。
《ラジャスタン》2012年 鉛筆、アクリル、壁 228.6×426.7cm シュトゥットガルト州立美術館 友の会
© Bridget Riley 2018, all rights reserved. Courtesy David Zwirner, New York/ London.
ブリジット・ライリー展 展示風景
「ゆらぎ ブリジット・ライリーの絵画」
近年世界的に再評価が高まるイギリスの画家、ブリジット・ライリー。1960年代にオプ・アート旋風を巻き起こした黒と白の抽象画からストライプや曲線で構成したカラフルな作品、近作の壁画まで国内外所蔵の約30点で 画業を振り返る。
会期: 開催中~2018年8月26日(日)
会場: DIC川村記念美術館(千葉県佐倉市)
時間: 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日: 月曜(7月16日は開館)、7月17日(火)
料金: 一般¥1,300 学生・65歳以上¥1,100 小中高生¥600
Tel: 050-5541-8600(ハローダイヤル)

柴原聡子
建築設計事務所や美術館勤務を経て、フリーランスの編集・企画・執筆・広報として活動。建築やアートにかかわる記事の執筆、印刷物やウェブサイトを制作するほか、展覧会やイベントの企画・広報も行う。企画した展覧会に「ファンタスマ――ケイト・ロードの標本室」、「スタジオ・ムンバイ 夏の家」など