文=小野寺 系
村上春樹の小説は、内容の深さはもちろん、読者が日本の特殊性をとくに考慮せず読める表現で書かれているため、海外でも絶大な人気があり、映画化の企画も絶えない。だが映画化の許可を取りづらいことでも知られ、世界的な映画監督トラン・アン・ユンでさえ村上春樹本人との長いやり取りを経たうえで『ノルウェイの森』映画化にこぎつけている。
短編『納屋を焼く』を中心に、他の作品の内容をも合わせ、ひとつの長編として映画化した『バーニング 劇場版』を監督したのは、こちらも世界的な評価を得ている、韓国のイ・チャンドン。もはや村上春樹作品は世界各国の優れた才能によって映像化が目指される存在になっている。
本作は、3人の男女関係をめぐる物語を描く。作家志望のアルバイター、ジョンス(ユ・アイン)は、美しく変貌を遂げた幼なじみの女性ヘミ(チョン・ジョンソ)と再会する。ジョンスにとって彼女は、まさに地上に舞い降りた天使だ。
ヘミが旅行から帰国し、再びジョンスの前に現れたとき、彼女はベンと名乗る青年(スティーブン・ユァン)を連れていた。ベンは、若くして豪勢な邸宅や高級車を持った、ハンサムでオシャレな男性で、ジョンスは自分とのギャップに劣等感を刺激され、愛するヘミが彼と接近していくのをただ傍観するしかない。
そんな関係の3人が大麻を吸いながら夕暮れを迎えるシーンは、ただただ美しい。それはトラン・アン・ユン同様、優れて繊細な感覚を持つイ・チャンドン監督だからこそ到達し得た世界だ。
そのとき突然、ベンはジョンスに、自分は誰かの古いビニールハウスを選んでは燃やすのが趣味だと告白する。そして、ジョンスの住む場所の近くでも近々また燃やすつもりだと。その後ジョンスの身の回りでビニールハウスが燃やされるような事件は起こらなかった。だが同じ頃、ヘミは片付けられた部屋を残して、姿を消していた。
「ビニールハウスを燃やす」とは、一体何を意味していたのか。ヘミの未来を暗示していたのか。それとも燃やされたのはジョンスの心だったのか。答えを決定づける根拠は存在しない。本作は、その謎を観客に考えさせる映画なのだ。
夏目漱石『こゝろ』の登場人物が自殺した理由や、樋口一葉『たけくらべ』の主人公の変化の原因は何なのか。人生にあらかじめ答えが用意されてないように、それら近代文学に属する小説が表現してきた世界もまた、曖昧で不確かなものだ。村上春樹は、その世界観を継承した作家でもある。
そういう作品は、鑑賞した後も日々のなかで答えを考え続けることができる。それが文学の深い楽しみ方であり、また映画の楽しみ方なのではないだろうか。考えるのをやめない限り、映画はその人のなかで回り続ける。