すこしざらついた大判の紙に「COSMIC WONDER FREE PRESS」と書かれたフリーペーパーを入手した。「静寂の未知炉、新たに光を灯すよう」というタイトルに惹かれてテキストを読んでみると、ジャーナリストの林央子さんによるインタビューで、COSMIC WONDERの主宰でもある現代美術作家の前田征紀さんが設立からの10年を振り返っている
「精神に作用する波動」として衣服や美術作品などを制作するCOSMIC WONDERは、1997年の活動開始から10年経った2007年から「FREE PRESS」として出版物の発行も行っている。初期は美術館やユトレヒトなどの書店で販売するようなアートブックの形で、近年はウェブで、文字通り自由なペース、自由なフォーマットで継続されてきた。
20周年を迎えた昨年、FREE PRESSのウェブ版で3回にわたり公開された記事は後に印刷され、2017年11月11日〜2018年1月8日に島根県立石見美術館で開催されたCOSMIC WONDERの「充溢する光」展で配布された。それが冒頭のフリーペーパーだ。
今もウェブ上で読むことができるこの記事は、詩情や神秘に満ちた新しい表現を発表し続け、私たちをひきつけてやまないCOSMIC WONDERの本質に近づく手がかりになるのではないだろうか。二人に聞いた話とあわせて、ここで改めて紹介したい。
「静寂の未知炉、新たに光を灯すよう」
——まず、このタイトル「静寂の未知炉、新たに光を灯すよう」はどこからきたのでしょうか。
前田:これを作るにあたって央子さんに送ったメールの最後に自分が添えた言葉です。「今日も素敵な日をお過ごしください」みたいなかんじで、あまり意識せず書いたのですが。
林:COSMIC WONDERについて書くときは、いつもまず前田さんたちが示したものがあって、それについて反応して聞きたいことが出てくるというキャッチボールなんです。前田さんからのメールにこの言葉を見たときも「わぁ、出た!」と思って、気にとまっていて。原稿ができて、タイトルどうしましょうとなったときに、あれしかないと。
——ボールが投げられたときの言葉だったんですね。林さんは「充溢する光」展のオープニングトークで、前田さんのちょっと引っかかるような感じの独特の言い回しについて、「前田さんのビジョンを見つけるための手助けになるもの」として触れられていました。これまでのFREE PRESSもそういう表現が中心でした。でも今回はそういったポエジーもありつつも、二人の対話によって、年代ごとに発表してきたコレクションについての具体的な説明が書かれています。こういった具体的なことを発信するのは珍しいですよね。
前田:そうですね。自分たちから発信するのは詩的なものにしたくて、具体的にするのは避けているので。それは何故かと言いますと……
林:宇宙から来たから?(笑)
前田:そう、宇宙から来たからです(笑)
林:いろんなブランドがコミュニケーションとして、出版をすることはありますけど、それはやっぱり新聞みたいな報道とは多少違う形で、自分たちはこっちを見ていくんだという視線みたいなものを示すものですよね。
前田:そうですね。コミュニケーションの方法がひとつじゃないっていうのと、受け止めてくれる方の感性を面白がるというか。だけど今回は、具体的に残していかないと消えてしまうということもあるんじゃないかと央子さんに言ってもらって。
林:最初は20周年のお祝いのコメントを寄せてほしいと言われたんですけど、20年を振り返りたいという気持ちを聞いて考えたんです。前田さんたちは常に新しくあって、同じものが時代にあわせてちょっとずつ変わっていくというよりずっと変革があるので、特に最初の頃のことはすごく貴重になっているのかなと。その記憶は私も共有してるので、ただ20周年おめでとうというよりも、その消えちゃうかもしれない大事なものを残せたらと思いました。でもそれは一人ではできなくて、前田さんとの対話でできたらやりたいと。前田さんが京都の美山にいて私が東京にいたので、スカイプでやることになりました。
写真は林さんの原稿をもとに前田さんがセレクトしたものが掲載されている。中には林さんが撮影したものも。
——今回の記事には、ブランド設立当初の話から、1999年に写真集という形で発表された最初のコレクション、2000年のパリコレ初参加時のこと、「空間」や「アート」をより強く意識するようになったときのこと、9.11を機に個人的な表現から少し離れて精神世界への憧れを明示するようになったことなど、現在のCOSMIC WONDERを形作るうえで大事だったであろう要素が詰まっています。初期から見続けてきた林さんだからその対話が成立したのだと思いますが、林さんがCOSMIC WONDERを知るきっかけは何だったんでしょう。
林:『花椿』の編集部にいたころ、インビテーションとしてビデオテープが送られてきて。大阪から東京に来られて最初の展示会だったと思います。
前田:懐かしい……。央子さんは『Paris Collection Individuals』という本を出されていて、それがすごく素敵だったんです。
林:私は93年ぐらいからパリコレに行っていて、98年春からはパリコレレポートの新人担当として、ちょうどその時出てきたヴェロニク・ブランキーノ、オリヴィエ・ティスケンス、ベルンハルト・ウィルヘルム、ジェレミー・スコットのショーや展示会とか、ブレスがコレットでプロダクトを発表してたりとか、アンチコレットみたいな店ができたりっていう新しい動きを取材していて、それが雑誌が出ている一ヶ月間しか読まれないで終わっちゃうのは惜しいなと思って本にする企画を立てたんです。そのころCOSMIC WONDERは会社組織になっていって、後にポンピドゥー・センターに招待されてパリに行かれたんですよね。
前田:今回振り返ってみて、自分の記憶と央子さんの記憶がけっこう違うということがあったんです。というのは、自分の頭の中で発表の年代が結構むちゃくちゃになっていたみたいで、それ違いますよって言われて。今思えば記憶も入れ替わるぐらいにものすごく慌ただしかったのかなと。
——それを紡ぎ直す作業でもあったんですね。そうしてできたこの記事をまた印刷物にするということには、特別な思いがあったんでしょうか。
前田:もともと紙や印刷が好きで、今回振り返ったあの頃はけっこう印刷物をたくさん作っていました。最近はウェブで発信することも多くなったので、印刷物は以前ほどは作っていなくて、今回の記事もはじめはウェブ用ということだったんですけど。内容が当時のことなので、インタビューは今だけど見せ方は当時よくやっていた形にしたら面白いんじゃないかと。ただ一枚の紙なんですけど、後にも先にもない、すごく特別なものになったと感じています。
——これを作ったことはなにかに影響していますか。
前田:自分たちっていつもすごくスローなんです。3〜4年経ってから、こういうこともあったね、と改めて気づく、みたいな時間の流れなので、やっている時には次にどうなるとか実は分かっていないということがほとんどなんです。全然宣伝にもならないようなものを作ってしまったりとか。でもどこかでそれがないと次のことができないというか、自分の中で途切れてしまうから、必要なことでやってるんですけど。何のためかすぐにはわからない。ただこういうことをすることによって深く戻っていけるので、実際の制作の時に思い返すことができると思います。
林:前田さん、またやりましょうって言ってましたよね。
前田:そう、これまだ最初の10年なので、途中なんですよね(笑)