文=小野寺 系
台湾の首都・台北市は観光地としても人気な都市だが、『台北暮色』で写されるのは、地下鉄駅や路地、アパートやセブンイレブンなど、そこで暮らす人々の目線に立った、よりリアルな風景だ。そこは日本の都市によく似た、しかし少しだけ異なる不思議な場所に見える。
車で生活する中年男性・フォン、鳥を飼うひとり暮らしの女性・シュー、不器用に生きる青年・リー。ときに交わりを見せる、3者それぞれの物語を通して浮かび上がってくるのは、都市生活者の言いようのない孤独感である。冒頭、フォンの車が故障し、道路で立ち往生する場面が象徴するように、彼らは過去に起こった決定的な出来事の影響によって、前向きに生きることが難しくなってしまった人々だ。
本作『台北暮色』が監督デビュー作となり、台北映画祭などで最優秀新人賞を獲得した期待の女性監督が、黃熙(ホアン・シー)である。やはり台北の街の、みずみずしくも鮮烈な「いま」をフィルムに焼き付けてきた、亡き天才監督・楊德昌(エドワード・ヤン)の作風を、彼女は受け継いでいると台湾で評価されている。
楊德昌監督の最後の完成作『ヤンヤン 夏の想い出』は、純真な少年を主人公に、子どものような自由な感性が日常の瞬間を輝かせるというメッセージを込めた傑作だった。そしてそれは、彼がなぜ圧倒的な映像を撮れたのかという種明かしでもある。本作でも、やはり純真な心を持つ青年・リーが劇中でこんなことを言う。
「動いてるものでも、瞬間的には止まって見えるよね。じゃあ飛んでいる鳥は、その一瞬の間も動いているといえるのかな?」
このユニークな疑問は、静止した写真を連続して見せることで動き出すという、映画の仕組みを思い出させると同時に、本作の登場人物の問題にもつながっていく。
人は耐えられない現実に直面したとき、前向きになれず、その場に停滞してしまう場合がある。映画やドラマでは、そこから脱して前進を始めることが正しいことだと描かれることが多い。そしてそれを見ることで、ときに観客は勇気づけられる。
だが停滞状態とは、無理をしてまで脱出しなければならないものなのだろうか。その姿は止まっているように見えて、じつは前に向かって進んでいく一瞬を切り取った姿なのかもしれないのだ。だとすれば停滞というものは、生きるために、前進するために欠かせない時間ということになるはずである。このように、孤独に生きる登場人物の尻を叩かず、受けた傷ごと包み込んで見守ろうとする優しさが、本作にはある。
そのテーマは、道路の渋滞が動き出す印象的なラストシーンによって、映像そのもので示される。黃熙監督は楊德昌監督と同じく、映画の表現の力を信じているのだ。