初夏の世間を夢中にさせた「紀州のドン・ファン」。その異名は、一昨年出版されていた自伝のタイトルにも。訪問販売からの出世物語と、美女4000人とのお金で結ばれた関係を披露。そういえば、元妻に、女性遍歴をせっせと記録したノート「春の歩み」を暴露された有名脚本家もいた。
ヤリチン自慢はめずらしくもない。女の場合はどうかしら。その貴重な一例が、ペギー・グッゲンハイムだ。自伝『20世紀の芸術と生きる』の原書には、『ある美術中毒者の告白』と副題がつく。現代美術のコレクターとして偉業を残したが、中毒=addictに別の対象も読み取れるほどに、自伝の大半を恋愛遍歴、性体験が占める。46年の発表当時は当然、非難や嘲笑が向けられたという。
ドキュメンタリー 『ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪』は、死後に出版された評伝のためのインタビュー音声を核に構成されている。ペギーの話しぶりには余裕と愛嬌があり、「色情魔だったわ」と自分を笑ってみせもする。
79年に亡くなった彼女のヴェネツィアの私邸とコレクションは、そのまま美術館に。ペギー・グッゲンハイム・コレクションは、現代美術において世界屈指の名品をそろえる。その名が示す通り、ニューヨークのグッゲンハイム美術館は叔父が設立、富豪一族の出身だが、彼女が相続した財産はさほど多くない。誰もしたことのない試みを重ね失敗を重ねて、美術館を実らせた。
家族には奇行、自殺が多かった。容姿のコンプレックスに悩み、当時最先端の整形手術にも挑んだという。しかし写真を見て、言われているほど、不美人ではないと私は感じた。おしゃれが好きで、変わったデザインにも率先して手を出すタイプ。時代に合わなかったのが、不運だった。 「人生は落胆の連続」と振り返る彼女だが、パリに移住すると恋愛、性のお相手をたくさん試した。一回きりでも悪びれずに自慢するそのお相手は、美術界さらには文学界の大物だらけで、2度目の夫はあのマックス・エルンスト。自身も周囲のアーティストの多くもユダヤ人で、ナチスが退廃芸術として排除キャンペーンを進める中、多くの作品とアーティストのアメリカ脱出を成功させたのは彼女だった。ルーヴル美術館も理解が及ばない、後の美術界を牽引する新しい芸術を見出し、積極的に購入。多くのアーティストを援助し、時にベッドを共にした。毛皮を敷いた床の上でも。
父親が大好きだった。帰宅すると、飛びつくほど。帰宅が遅いと、愛人のとこに寄ったのねとわけ知り顏で迎えた。その父親がタイタニック号に乗船。他の人に救命具を譲って海に沈み、同乗の愛人は生き残った。ペギー13歳のできごと。
わかったふりをしていた自分を呪ったろう。愛人のとこなんか行くなと、素直に泣けばよかった。私はこの時彼女が、「わかる」を見限ったのだと思う。「わからない」を抱きしめる。それがペギーを現代美術の守護者にもしたし、たくさんのお相手を通り過ぎる人生にも運んだのではないか。