同時代を生きるアーティストは、彼らの研ぎ澄まされた感性によって、今の社会について私たちがぼんやりと感じていることを、いち早くキャッチする人たちだと思うことがある。彼らが感じたものが形となることで、起きていることを頭ではなく体で理解できるような気がするのだ。
イケムラレイコは長くヨーロッパを拠点にして活動してきた。そのキャリアは1980年代に始まり、今日まで精力的に作品を発表し続けている。彼女の特徴として、絵画、彫刻、ドローイング、水彩、版画、写真、詩とあらゆるメディアを扱うことがある。展覧会場に入ると、それらをひとつの世界観が貫いていることに気づく。たとえば、抽象画のように見える絵画には、大地や樹々といった自然、人や動物といった具体的なモティーフを見つけることができる。自然環境と動物の境目が溶けて、ない交ぜになった不思議な光景は、古代の神話のようにも、一方でSFっぽくも見える。ユートピアかディストピアかもわからないその場所にいる人物もまた朧気。はっきりとしないぶん、観る者の心を映すのだろう。この人は、自然は、何かを憐れんでる?それとも?自分の受け止め方にドキッとする。
地球温暖化や環境汚染が深刻化するここ数年、人と自然の付き合い方の見直しが迫られている。ただ、問題から目を逸らしてしまいがち。アーティストの表現を啓示的だと感じるのは、そういう時だ。彼らは自身がメディウム=媒介となって、今現在を自分の体に通し、表す。それによって観客は、正面から向き合えなかったことを考えられたりする。イケムラの作品は〝今〟をありのまま差し出す。そして私たちに問う。その先に希望は見出せるか、と。