少女の成長を通して“究極の愛”を描いた、新人女性監督による衝撃のデビュー作。第69回カンヌ国際映画祭を初め数々の賞を受賞。性的存在として抑圧される女性の位相をずらし、女性たちに変身を呼びかけているようにも思える。みる角度によってホラーにもラブロマンスにもなるのだ。文筆家・五所純子さんのレビュー。
胃液がこみ上げてきた。これは映画を見ていて久しぶりの感覚。苦痛だろうと快感だろうと生理的な反応にのっとられたまま作品を語りたくないので、ちょっと横になっていいですか。一回休み。
さて、朝起きて考えた。あの映画は何だったんだ。乱暴に要約してしまうと、女になりたくないがために人食いになった少女の話。で、その奥のほうから聞こえてくるのは、「ヘンな奴だと思われたくなければ人並みに性に目覚めよ」という耳慣れた教訓じゃなくて、「ヘイ、ガール。あなたはメタモルフォーズする」という予言めいた鼓舞だった気がする。そのメッセージを血で描くものだから激しい。とりあえず胃はきりきり舞いだし、軽く呪われたみたいになる。
16歳のベジタリアン、ジュスティーヌが全寮制の獣医科大学に入学する。すでに在校する姉アレックスに電話してもつながらず、相部屋にいたのはアドリアンという男性で、「ゲイだから」と伝えられるがなんとなく納得がいかない。しょうがねえわと夜眠っていると、覆面をかぶった暴漢たちに叩き起こされ、部屋をぐしゃぐしゃに荒らされ、新入生たちが一堂に集められる。そこから始まる怒涛のパーティーに地獄のしごき。そういえば、旧制中学出身者の御年80代の方々が懐かしそうに語っていた新入生歓迎の伝統儀式、ストームという奇習はこのことかとわかった。英米でも日本でも今もおこなう寮があるとも聞く。さて、新入生が『キャリー』さながら頭上から血を浴びせかけられたり、うざぎの生の腎臓を無理やり食べさせられたりする、ここは獣医学科。教育的にいえば、もう動物に対して甘っちょろい夢を見ることはできない、今日からは血や糞や肉にじかに触れ、ときには殺すことさえあるのだ、という訓告の儀礼だろう。だが一方では、人間と動物の境界をなくせ、自分を獣の位置まで堕とせ、という不道徳な秘儀でもある。このイニシエーションがジュスティーヌにあからさまに作用する。
肉を無理に食べさせられ、ストレスフルな環境におかれ、ジュスティーヌは心身ともに拒絶反応を起こす。赤い発疹が浮かんでは皮膚が剥がれ、避けてきたはずの肉ばかり過食しはじめる。このあたりを見ていると、変化する肉体に精神が追いつかず不安定になる、それも肉体的変化の急激な女性のほうが直面するものが大きい、という思春期をめぐる普遍的な認識がなぞられているのがわかる。
ジュスティーヌは成績優秀で、あまりに能力が高いために教官からいじめられるという理不尽きわまりないシーンもあるが、目に見えてジュスティーヌの変身に関わるのが先輩からの一言だ。セクシーなファッションをしろという命令である。ぼさついたロングヘア、生えっぱなしの眉毛、味のないスウェットにジーンズ、地味なバックパックを背負うジュスティーヌにはごく素直な好感を抱くが、この姿はのびのびと性に無関係でいられた時代の表象であり、「ヘンな奴だと思われたくなければ人並みに性に目覚めよ」というプレッシャーがかかる社会にあっては、一種の理想化された形でもあるだろう。あるいはこの後のきわめて惨たらしい展開を見るにつけ、こうも言える。女性に重くのしかかる性的な圧力には、これほどの暴力をもってしなければ釣り合いがとれない。それが本作およびジュリア・デュクルノー監督の思想だろう。『RAW~少女のめざめ~』は暴力によって性を無効化する試みだ。
だからこそジュスティーヌには、性からずれて、別のものに目覚めてもらう必要があったのだろう。ジュスティーヌは初めてセックスをする。その後もする。一見すると「性の目覚め」だが、物語にそっていえば「血の目覚め」であり、そこでおこなわれるセックスは性愛というよりも、自分の変化への処し方がわからない混乱であり、混乱がうったえかけた破壊的行為だろう。なるほど、だからアドリアンはゲイであったし、ジュスティーヌをより夢性的な存在へと近づけようとしている。性的存在として抑圧される女性の位相をずらし、まるで女性たちに変身を呼びかけているようだ。
すでに変身を遂げた後の人物がいる。「血の目覚め」と書いたが、ジュスティーヌとまさに血を分けた姉アレックスである。話が進むにつれてアレックスは存在感を増し、これは姉妹愛の物語だといよいよ気がついた。セクシーなワンピースを妹に与えるのも姉ならば、危うい生存術を教授するのも姉だ。姉がとりわけ露悪的なのは、後ろ指をさされて生きていく実存を妹にむけて過度に演じて見せているのかもしれない。反発しあうジュスティーヌとアレックスが闘犬のように輪の中で噛み合う。最初は囃し立てていた群衆は、スマホを向けつつ様子を見ているうちに、どんどん白けていく。いがみ合っていたはずの姉妹は取り残され、肩を組み、支え合い、群衆の輪から去っていく。比喩として、比喩だけなく、血を分け合い、肉を分け合う二人である。当世、女性どうしの親交を百合と呼ぶのだとか。気安く慰みものにされる百合姉妹をはるかに超えるジュスティーヌとアレックスに目にもの食らわされようという気にもなるし、高カロリーを要する姉妹愛の描写に面食らいもする。ギャランス・マリリエ(ジュスティーヌ役)とエラ・ルンプラ(アレックス役)がどんどん凄みを増していくのを見ると、女優って因果な稼業だとつくづく思う。
やっぱり同じ姉妹なら、立ち小便とブラジリアンワックスのシーンが好きだ。老女の立ち小便といえば『階段通りの人々』、水中の失禁といえば『テイク・ディス・ワルツ』というように、素敵な女の排尿場面をいくつか見てきたけど、本作もよかった。姉妹の睦み合いを開放感のある立ち小便で見せられた。思わず真似したくなる。ブラジリアンワックスの雑な親密さもなんとなく羨ましい。実はこうしたいちゃいちゃきゃらきゃらした肌合いの場面が散りばめられていて、胃酸の過剰分泌を抑えてくれていた。
学園モノであり、ボディホラーであり、少女の成長譚であり、呪われた一族の歴史であり、そのどこをとっても異色である。ラストシーンは呆気にとられたけれども、あるいはラブロマンスに見えるのかもしれない。