戻ってきたタートルネックは普通に着てはいけない。
ちょっと気取って危なく着るべき!
昔からタートルネックを着ている男に心惹かれる。黒いタートルネックを着て、一人で本など開いていれば完璧だ。
イメージとしては、村上春樹の『ノルウェイの森』に出てくる「永沢」………言わずと知れた、“びっくりするほどの高貴な精神を持つ反面、どうしようもない俗物”。東大生で、実家は病院なのに、外務省試験に合格していて、恋人がいるのに、他の女性とも普通に関係している男………。
男のタートルネックには、なんだかそういう、危ないけれど高級な、ある種の二面性を見てしまうのだ。だから心惹かれるというより、近づいたら危険、そんな魅力を感じるのである。
少なくとも、タートルネックを着ると何だかそれだけで頭がよく見える。しかも、勉強漬けではなく、ちゃんと文化度も高い頭の良さ。それが、洗練された知性の香りを作るわけだ。
でもそれ、一体なぜなのか?とタートルネックの起源を調べてみると、もともとは中世の戦士が鉄製の鎧を身に付ける時に、首元を保護するためのものだったとか。でもそれが16世紀以降は、ファッションとしての“洗える付け襟”となっていく。
エリザベス一世が、大量のフリルを寄せた白い付け襟をつけている肖像画は、見たことがあるはずだ。あれはデンプンで今の糊のようにハリを与えていたと言うから、全く以て上流階級の特権だったことがうかがえる。高級感はどうもそこから来ているようだ。
やがてそれが、シャツとネクタイを一体化させた男の“よそいき”となり、いわゆるプレッピースタイルを構成する1アイテムとなっていく。プレッピーはアメリカの名門スクールをベースにしているが、リセ風ファッションにも多用されていたはずだ。例えば黒のタートルに千鳥格子のスカート、黒のロングブーツ………みたいに。
そして大人の女性が着るタートルネックの最初のお手本となったのが、やはりオードリー・ヘプバーンだったのだろう。黒のタートルに、黒のサブリナパンツは、「麗しのサブリナ」はもちろん、「パリの恋人」にも登場する。タートルネックには、やっぱり育ちの良い男子学生のイメージが生き続けているから、そうした中性的で小粋なファッションがよく映えるのだ。
今、タートルネックのセーターが改めて1つのトレンドとなっている。もちろん、あったかファッションブームに乗っての、防寒の意味もあるのだろう。
でも防寒に重宝なアイテムほど、野暮ったくなりがちだから要注意。いや普通に着てしまうだけで、平凡すぎるファッションになりがちだからこそ、タートルネックはプレッピーやリセエンヌ、あるいはまたオードリー・ヘプバーンをどこかで意識してコーディネートしてほしい。
そうちょうど、ノルウェーの森の「永沢」のように、どこか危険なオーラを放つ、特別な存在感までを、わざわざ意識しながら着て欲しいのだ。とことんカジュアルなのに、ちょっと危ういほどの高貴さをも併せ持つアイテムであること、頭の片隅に入れながら、丁寧に思い入れたっぷりに、着て欲しいのである。