何と実に27年ぶり。8月公開の映画『パターソン』で、1989年の『ミステリー・トレイン』以来のジム・ジャームッシュ監督作品に出演した永瀬正敏さん。2人のファーストコンタクトは、当時日本で行われたオーディションの場。永瀬さんはまだ21歳だった。
「初めてお会いした監督とは好きな音楽やファッションの話ばかり。当時、僕はロカビリアンの友人たちとよく遊んでいて、ラバーソールを履いていたのに興味を持ってくれて。映画の話は全然しなくて、てっきり落ちたと思っていたら、出演依頼が来て、すごく興奮しました」
見事、主演の座を射止めて臨んだアメリカ・メンフィスでの撮影の現場は、まだ一度も海外へ出たことのない青年にとって大きな衝撃だったとか。
「監督の現場は本当に映画への愛にあふれていて、スタッフもすごく温かいんですよね。本当に居心地が良くて、毎日ワクワクして帰りたくなかったんですけど、実はその頃、親しいロカビリアンの友人が亡くなってしまったんです。2人とも貧乏で、1杯のカレーライスを分けて食べるくらいの仲で、ロックンロールの聖地メンフィスは彼の憧れの地でもあったんですね。撮影が終わった頃、ホテルのプールの脇に1人で座って彼のことを考えていたら、監督が話しかけてくれて。友人への思いを監督はじっと聞いて、『きっと彼も一緒にここに来てくれているね』と言ってくれました」
ここから始まった2人の関係は続き、撮影後には永瀬さんがニューヨークへ飛び交流を深めた。そして完成した映画『ミステリー・トレイン』は世界中で話題をさらい各地の映画祭で好評を博した。
「映画の最後に出る〝for Sara〟(ジャームッシュの妻サラ・ドライバーへの献辞)の言葉を見て、『1人の女性のために捧げた映画を世界中の人々が観る。映画ってこれでいいんだ』と思いました」
あれから四半世紀。21歳の青年は日本を代表する映画俳優になった。その永瀬さんの元へ、再びジャームッシュ監督から新作映画への出演依頼が舞い込んだ。それもワンシーン、しかし映画の肝となる、重要で象徴的な場面だった。
「監督からのメールに『君を思い浮かべて書いた役がある』と書いてあって、うれしかったですね。ジャームッシュ映画の現場は昔とちっとも変わらない、リラックスして温かい雰囲気でした。ただ、ひとつだけ違いがあって。監督が『ナガセ、すごいだろ。俺は監督になって初めて専用のモーターホームをもらったんだぜ』とニヤリと笑って。素敵ですよね。もちろん映画自体も愛があふれている作品で。人間の持つダークな面に目を向けられることが多い今の時代に、こんな静かで人間味ある映画が生まれるなんて、本当に奇跡みたいだなと思います」
海を隔てた1人の監督と俳優が、27年もの歳月を経て再び出会うこともまた奇跡のよう。風貌こそ年輪を重ねて渋味を増したけれど、心の中に持つ温かい気持ちはずっと〝あの頃〟のままだ。
「役者だけに限らず、〝本物〟はみんないい人なんですよね。監督が紹介してくれたイギー・ポップやジョー・ストラマーだって、パンクだけど人間としての愛がある。三國連太郎さんとも仕事でご一緒させていただいたことがあるんですが、三國さんも本当に優しくて、当時まだ若造だった僕にまで礼儀正しく、腰が低くて、お芝居も自由にやらせていただけた。懐の広さを感じられる方でした。僕もいつかは皆さんみたいになりたいですね」
そんな永瀬さんが気になる女性のファッションはやはり「その人の人間性がにじみ出ているもの」。服に着られていない、パーソナリティが服に表れている人を見ると、
「写真を撮りたくなる(笑)。特にゆったりした綺麗なラインの生地が風にたなびいているのを見たりすると、あぁ、撮りたいなぁと思いますね」。
コート ¥333,000、シャツ ¥259,000、ピン*5個セット ¥60,000、ブローチ〈TOUT TERRIBLEMENT〉¥60,000、パンツ ¥67,500、ベルト ¥29,000、ブーツ ¥100,000
(以上サンローラン バイ アンソニー・ヴァカレロ | イヴ・サンローラン)