文=小野寺 系
子ども時代が終わりを告げる瞬間の複雑な感情を繊細な感覚で切り取り、刊行から60年以上経ったいまも世界中の読者に愛されているアメリカの青春小説『ライ麦畑でつかまえて』。
この小説が世代を超え広く支持されるのは、損得で動く大人の価値観や、それに同調する周囲に対する17歳の主人公ホールデンの反抗心を、読者たちも持ち合わせているからだろう。そして管理社会の象徴である学校生活からドロップアウトする姿に自分を重ね合わせるのだ。
作家J.D.サリンジャーは、この『ライ麦畑でつかまえて』を書きあげたことによって圧倒的な名声を得た。しかし、人気が絶頂に高まった40代半ばで作品を発表しなくなり、自作の映画化や舞台化もほぼ許さず、2010年に亡くなるまで、ほとんど世捨て人として生涯を送ったという。
映画『ライ麦畑で出会ったら』は、この小説が出版されて18年後の、1969年を舞台に、伝説の作家サリンジャーを、やはり『ライ麦畑でつかまえて』に感化された、一人の冴えない男子高校生ジェイミーが捜索する物語だ。彼は小説を舞台化する脚本を書き、オフ・ブロードウェイ(ニューヨークの小さな劇場)で、自ら主人公ホールデンを演じたいという無謀な望みを持っていた。そのために権利者であるサリンジャーを捜さなくてはならないのだ。そしてそれは、学校や社会に馴染めない自分の感情を救済する行為でもある。
サリンジャーがニュー・ハンプシャー州の田舎町コーニッシュに住んでいるかもしれないという情報をもとに、ジェイミーは現地で聞き込みを始めるが、近隣の住民は誰一人彼を知らないという。サリンジャーは一体どこにいるのだろうか?
じつはこの物語、本作を監督し脚本を書いたジェームズ・サドウィズの実体験、ほとんどそのままを描いたものなのだという。彼は自分が書いた脚本を持って、本当にサリンジャーを捜しまわっていたのだ。
彼のように小説を読んで、「自分こそがホールデンだ」と思うことで、不本意な学生時代を乗り切ることができた読者が、どれほど多かったことだろうか。本作は、そんな人々を代表する、サリンジャーへの感謝のメッセージであるように思える。
本作は同時に、小説『ライ麦畑でつかまえて』は、みんなのものでありながら、サリンジャー個人のものだということも描いている。サリンジャーが自分だけの感情を小説に込めたからこそ、読者はそれが自分の物語だと思い込むことができたのだ。しかし、いつかは読者たちも、それとは異なった“自分だけの物語”を生きなくてはならない。本作『ライ麦畑で出会ったら』は、その書き出しの一文を見つけるまでの精神的な旅でもあるのだ。