デビューから28年。常に豊かな語りで読ませる物語を生み出してきた筆は、ますます円熟味を帯びてきたように思える。その恩田陸さんの最新刊『スキマワラシ』は 首都圏の端っこ、急行も停まらない私鉄の駅前のどこにでもありそうな商店街に建つ日本家屋へ、カメラがズームしていくような描写から幕を開ける。「纐纈(こうけつ)工務店」という古びた看板がかかっているその家に暮らすのは、古道具屋を営む兄弟。寡黙で記憶力抜群の兄と、古い物に触れると過去が見える特殊な能力を持つ弟が活躍するファンタジックなミステリー長編だ。この物語の着想やキャラクターは、どんなところから生まれてきたのかをじっくりと聞いてみた。
恩田 陸 『スキマワラシ』インタビュー。上質なファンタジーに耽る
『スキマワラシ』
恩田 陸
とある地方都市の解体予定の街
アートフェスで、何が起きるか
纐纈家の兄・太郎は、趣味人だった祖父の古物商を引き継ぎ、主に引手や襖、欄間などの古い建材を扱う古道具屋を営んでいる。8歳年下の弟・サンタこと散多は、調理師免許を活かし、兄を手伝いながら店の一角でバーを開いている。物語は、このサンタの語りで進む。
「美しい引手など古い金属金具にフェティッシュな愛情を注ぐ兄の太郎ほどではありませんが、私も古道具が嫌いではありません。自分でたまに買うのは昔のハンコや印章くらいですけれどね。実際に古物商を営んでいるのは男性、しかも兄弟でやっているケースはとても多いのだとか。そんなところから、纐纈兄弟を思いつきました。骨董ってカバー範囲が人によってちょっとずつ違って、東京の日本橋や京都の東山あたりにお店が固まっていても、意外と競合しないものらしいですね。むしろ情報交換も盛ん。この物語の中でも、古いものが好きな人たちの間で、さまざまなうわさや世間話が飛び交います」
ふと、話題に上ったのが《古い建物の解体現場に出る幽霊》のこと。白いワンピースに麦わら帽子の少女が、あちこちの廃ビルなどで目撃されているという。
それは、兄弟で交わされたかつての会話の記憶と重なる。サンタは中学の同窓会で言われた《おまえ、女のきょうだいいたよね》が気にかかり、兄に尋ねたことがあるのだ。兄は即座に否定したが、その後でこう言った。《「スキマワラシ」かもしれないね》。
「スキマワラシというのは、なんか音が良くて、いたら面白いかもしれないなと思い、タイトルにしました。私の場合、いつもタイトルが決まると、見切り発車ながら書き始められるというか(笑)。今回は座敷童子を彷彿させる、ちょっと不思議な話になりました」
スキマワラシがどういう存在かというのは、最初は恩田さん本人も曖昧なまま、書きながら少しずつ肉付けしていったのだそう。
「人の記憶につくとか、時代の変わり目に出てくるとか、現代に似合うのは少年より少女だろうとか。都市伝説って、みんなが無意識に感じている不安を形にしたもので、時代の隙間にふいに現れることが多いと思うんですね」
死んだ場所に出てくる幽霊ではなくて、大きな屋敷にふらりと現れていつの間にか消えている座敷童子のような存在であるのが、設定の妙。スキマワラシは本当にいるのか、その正体は何かを解き明かすことが、物語の屋台骨のひとつだ。
そしてこの物語で兄弟が追っていくもうひとつの謎になるのが、死別した両親の知られざる過去だ。その手がかりになるのが、サンタの持つ不思議な能力。モノに残っている思念を読み取ることができるサイコメトリーの力を、兄弟は《アレ》と呼んでふたりの秘密にする。
ある日、N町にある喫茶店のコーヒーテーブルや理髪店の壁に貼られていたタイルに触れたサンタは、幼い頃に死別した両親の姿ではないかと思う映像を見る。両親はリノベーションに強い関心を持つ建築家だったが、サンタの能力もまた、「転用」された古いモノに対して強く出るのだとわかってくるのだ。
「作中でも出てくる『転用』は、古いモノに新しい価値をつけるいいアイデアだと私も思っているんですね。『あいちトリエンナーレ』のような街ぐるみの現代アートフェスティバルを見るのが好きなのも、そんなところに理由があるのかもしれないです。それと、再開発。東京もいますごい勢いで進んでいますが地方も同様で、それに着手する前に、古い街並みを活かしてフェスをやるわけでしょう。古い街並みとアートってすごく異化作用があって、全然違う景色に見えてくるのが面白いなあと。そういうところからひょっこり現れる少女がいたらどうなるだろう。土地の記憶があった方が相乗効果で面白くなりそうだ。物語はそんな連想の積み重ねです」
これまで何でもスクラップ・アンド・ビルドしてきた日本社会も、この先は、あるものでなんとかやっていこう、形を変えて活かすことで最先端を実現しようという発想が求められていくだろう。
「都市のダウンサイジングが課題になっていることも含め、そういう時代だということを意識して物語に重ねています」
本書では、サンタの口を通して、変わりゆく町や建物についてのうんちくも語られる。それもまた物語に深みを与え、読者をわくわくさせてくれるのだ。
さて、物語に戻ると、先のタイルは、歴史的建造物《安久津川ホテル》と関連があったことが、第五章までに明かされる。両親はそのタイルとどこで遭遇したのか、兄弟は、さらにその来歴を探っていくことになる。その過程で、兄弟はあるアーティストと出会い、それによって、物語はさらに大きなカーブに差しかかる。
「この展開は、実は全然考えてなかったんですよね。太郎が横浜の私鉄沿線の古い町に友人を訪ねていき、ふと覗いたギャラリーは、古い日本家屋を改装したもので……というあの一軒家を描写していたら突然出てきた人物なんです。サンタの頭の中で《ハナちゃん、そこにいるの?》という声が響くところがあるでしょう? でも、それが誰のことなのか、どういう役割の人なのか、まったく見えてなかった。それが出てきてくれて『あ、この人なんだね。これで話が進みそう』と腑に落ちる感じがありました」
後半はドミノ倒しのようにパタパタと謎が回収されていき、《スキマワラシ》をめぐる美しいイマジネーションを描いたラストまで一気読み。
作中に出てくる、ホテルや消防署にはモデルがある。ホテルは兵庫・西宮にある旧「甲子園ホテル」、いまは武庫川女子大学が所有している現「甲子園会館」のこと。消防署は、東京・高輪にある高輪消防署の二本榎出張所だ。
「どちらも現存していて現役で利用されていてすばらしいですね。一方、東京・品川の原美術館がこの12月で閉館されるのが悲しかったところに、いま麻布十番の『東京さぬき倶楽部』が閉館したと聞いて、ショックを受けています……」
本書は転用を軸にした都市未来論のような趣もあり、興味深いところだ。
「自分が子どもの頃に考えていた未来はもっとバラ色でした。ところが実際にその地点に来てみたら大したことない。パソコンとか携帯電話とか発達はしているけど、でも雨が降ったときは傘をさす。便利なんだか便利じゃないんだかわからない。シールドかなにかで労せずして守られているような未来を想像していたのに、21世紀だというのに、雨をよけるのにいまだに傘ですよ(笑)」
ちなみに、近代建築や古道具、風景印、アートフェスティバルなど、物語を彩るモチーフは多彩だが、どれも恩田さん自身の趣味嗜好が反映されたものだという。
「自分が関心があったものをどんどん放り込んで、めっちゃ総力戦で書きました。レトロな喫茶店でチーズケーキを食べるのが好きだし、スタバが怖くて注文できないとかも私。生まれてくる時代は選べないとはいえ、《なんで今、この時代、「現代」に居合わせたんだろうって不思議に思うことがあるね》と兄がぼそっというあの言葉も。私の実感です」
小説そのものを楽しめる1冊であるのはもちろんだが、素の恩田さんの興味を知ってさらに親近感がいや増す要素が、本書にはぎゅうぎゅうに詰まっている。
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恩田 陸
1964年生まれ。92年に『六番目の小夜子』でデビュー。会社員生活と二足のわらじを10年続け、専業作家へ。2004〜05年『夜のピクニック』で吉川英治文学新人賞と本屋大賞、06年『ユージニア』で日本推理作家協会賞、07年『中庭の出来事』で山本周五郎賞、17年、『蜜蜂と遠雷』で直木賞と二度目の本屋大賞をそれぞれ受賞。ミステリー、SF、ホラー、ファンタジー、青春小説と、幅広い作風でファンを魅了し続ける。
Top Photo: Hiromi Kurokawa Book Photo: Natsumi Kakuto Text: Asako Miura