アドルフ・ヒットラーのことを少しでも知っていれば、そのような「ノーマルでないもの」に対する差別がファシズムの根幹と大いに関わっていることくらいわかるでしょう。さらに追い打ちをかけるようにこの人は、「自民党公認候補者は、党の『男は男らしく、女は女らしく』という伝統的な価値観を広める立場にある」という暴言まで吐いて言いわけしておるのだ。だとしたら、あのゲイ臭のプンプンしている武藤議員や、岩松了さんそっくりの「やる気 元気 イワキ」の井脇ノブ子さんは、なんで自民党に入れたのかとか。あんなに男らしい女性、そうそう、町で見かけませんが。そもそも、自民党がそんな柔道部みたいな価値観を掲げているの聞いたことないし。多くの自民党員も驚いているでしょうよ。
また、この間は某中学校の校長が、全校集会で「女性にとって最も大切なのは、子供を二人以上産むこと」と発言し、さらに「男女が協力して子供を作るのが社会への恩返し、子供が産めず育てられない人は、その分、施設などに寄付すればいい」などという超差別的なことも主張している。
子供を作れない人こそ、将来、自分の老後の後始末をするとき、お金が必要になるのに。子供がいない老人に対して、行政的にまったく甘くない日本の現状を想像すらできてない。
まあ、力を持っている人が、保守的なことを主張することはわかる。
保守的な姿勢が、最も彼らの既得権益を守るからである。
僕は、心の中に野蛮人を飼っているので(拙著『現代、野蛮人入門』参照)、そういう「○○が○○するのが当たり前」という言葉ですべてを片付ける人たちのものの考え方が大嫌いだ。
この間、九州の姉から荷物が届いた。と、妻から言われた。
「なにが?」離れた場所にいた僕は、電話で聞いた。
「お父さんの、いはい」
「遺灰!? なに、お骨が?」
僕は、気が動転してスマホをとり落としそうになった。
「その遺灰じゃなくて、位牌。お位牌」
「なんだ、焦った」
「位牌でもじゅうぶん焦りますよ。今、気をまぎらわせようとして、huluで『ちびまる子ちゃん』つけっぱなしにしてるんだから」
その位牌には手紙が添えられていた。姉は、死んだ父の位牌を持っていて、「私は松尾家の人間じゃないから、松尾家を継ぐあなたが位牌の面倒を見るのが当たり前だということに気づきました。私がやっていたように、毎日、ご飯をお供えして、線香をあげてください」とのことだった。
相変わらず一方的だ。