大人気の詩人、最果タヒ。彼女の言葉が空間と入り混じったらどうなるか?これまでも幅広い表現活動をしてきた彼女の、美術館での初の個展が横浜美術館で開催されている。
最果タヒの作品や活動は、これを読んでいる人なら一度は目にしているだろう。瑞々しく、等身大な言葉づかい、ひりひりとした感情、くるくると変わる気持ち。ネットやSNSを通した活動もしている彼女の活動は、私たちの詩や詩人に対するイメージを一新してくれたように思う。
最果タヒ
《氷になる直前の、氷点下の水は、
蝶になる直前の、さなぎの中は、
詩になる直前の、横浜美術館は。》
(展示風景)、2019 撮影:山城 功也
今回は、横浜美術館の3つのスペースに作品が展開されている。ひとつめは、アートギャラリー。少し暗い照明の空間に、おびただしい数の言葉が書かれたモビールがぶらさがっている。ひとつひとつのパネルには、言葉の断片。糸でつながる言葉は、もともと一体のものとして書かれたような、でもまったく関係もないような。しかも、表と裏にそれぞれ別の言葉が書かれているので、ひらひらとパネルが回転すると、文章はいきなり変わってしまう。
最果タヒ
《氷になる直前の、氷点下の水は、
蝶になる直前の、さなぎの中は、
詩になる直前の、横浜美術館は。》
(展示風景)、2019 撮影:山城 功也
そんな言葉の森の中を、観客は進む。どこかに答えや終着点があるわけでもない。目立ったストーリーもない。ほんとうに、詩の世界がそのまま空間となって立ち上がったような感じ。でも、すべてを読み終えられるわけもなく(だって、言葉の組み合わせを考えたらそれは何千万通りではきかない数になってしまう)、ただその瞬間、目の前に現れる言葉を読み、何かを思い浮かべ、とぼとぼと歩いて次の言葉に出会う。その繰り返しだ。
今回の展示でデザインを担っているのは、最果の本のデザインも多く手掛ける佐々木俊。詩は小説と違って、本の形であっても、行間とか、改行とか、ページをめくるタイミングとか、空間的な要素が大きくかかわる。だからこそこの展示は、詩の言葉の可能性を文字通り空間化したように感じられる。