イギリス出身ではない写真家として初めてTate Modern主催のTurner Prizeを受賞した写真家として知られているWolfgang Tillmans。Tate Modernにて回顧展「Wolfgang Tillmans: 2017」が6月11日(日)まで開催していた。
「彼の作品で印象深かったものは?」と10人に聞けば、きっと人それぞれの答えが返ってくるだろう。それほどに、彼は一般的な「写真家」というイメージを越えたアプローチとともに、それぞれの時代を切り取ってきた。その彼の歴史を物語るように展示会場も各部屋の入り口をくぐり抜ける度に、異なる年代、被写体、構成、マテリアルに巡り会うこととなり、各部屋で人々が異なる話題で議論を交わしているのだった。
ドイツ出身のWolfgang Tillmansは、少年時代の80年代〜90年代に見たロンドンのカルチャーに触発されて友人、何気ない風景などスナップ写真を撮り始め、i-D, FACEなどファッション雑誌で作品発表し始めた所から一躍人気写真家となる。
元々知覚的に物を捉えるのに好奇心を持ったのは、10代の頃に夢中になった天文学。実際に最初に撮った写真は、望遠鏡越しに見える月。そしてドイツからロンドンへ移った後少年は、スナップ写真に飽き足らず、周りのギャラリストに反対されながらも社会的問題や政治に対しての考えを写真というメディアを通して表現するようになった。中には、写真が持つ「再生可能なメディア」という役割を無くし印画紙のみに皺を付けた作品もあれば、彼の頭の中にある社会問題を少し覗けるようなコラージュ的作品もある。
会場で展示されていた過去作品からいくつか作品をピックアップしながら、タイムレスな彼の作品を簡単に紹介していこう。
車のライトはまるで鋭い目つき?資本主義の象徴?
80年代に青春を費やしたTillmansにとって現代社会で人々が協調性を失い、権威や競争社会、システムのもと生きる姿はどこか違和感を感じられずにはいられなかった。そしてその移りゆく時代感と経済活動を写す被写体として選んだのが、車であり2012年に「HEADLIGHT」シリーズが発表された。
現代社会において「車」はただの交通手段だけではなく、人間のステイタスを象徴するものとしても使われている。そしてデザインや機能性においてアップデートしていく様は、その当時のテクノロジーの進歩を物語り、業界にとっては競争基準・消費者にとっては購入基準となってきた。このような車のデザインの変遷に着眼したTillmansは、90年代の車は親しみやすいデザインが多かったように感じる一方で、現在の車は非常に好戦的に見えると語る。他作品でもアクティビストを被写体にした作品や何か社会に対して抽象的に訴えるものを制作しているが、「HEADLIGHT」は資本主義の中で益々人間が場への適応能力、規範・規則の中で管理された行動を強いられている現代社会の雰囲気を抽象的に表した作品だ。まるで感情を持った目のような車のライトデザインが「行く手を阻むな!」と叫んでるようだとも語っているが、確かに……(この考えを聞いてから街中の車デザインが気になるようになってしまったり)
ちなみに、車繋がりだとG/P Galleryで写真家・小林健太さんの個展が開催中。同様に車を資本主義の象徴として捉えているが、もちろんその先のコンセプトはTillmansとは異なっていて面白い。パリ・ColletteではBALENCIAGAの店内インスタレーションとして半分にぶった切られた車が並んでいるらしい・・・ベルリンビエンナーレに参加したこともあるアーティスト・Yngve Holenの作品だそう。
カメラは使わずに彼の思考をコラージュ(といっても接着剤を使わない方法で)
そんな社会的な問題に対して表現している彼の頭の中を少し覗くことが出来るような作品が「Truth Study Center」。入って序盤の方の部屋で彼の思考を覗けるとは・・・!とワクワクしながら見るのは、机に置いてあるニュース記事、科学についての記事、ワードで打ち込んだような言葉、何故かコインなど。常に頭に?マークが浮かぶ記事や言葉 — つまり他の作品と同様鑑賞者を考えさせる、何か動機付けさせるような作品だった。
Tate Modernのウェブサイトでは、実際に彼の音声ガイド付きでテーブルの上に並べてあるコラムを辿っていくことができる。
http://www.tate.org.uk/whats-on/tate-modern/exhibition/wolfgang-tillmans-2017/studying-truth
例えば、展示会で見て印象的だったこの2行について語る。
1969 was 24 years away from 1945
24 years back from now is 1992
「時間、タイムスパンの相対距離について綴った文章です。それは自分自身に対して、いかに今日が明日にとっての歴史であるか思い出させるために書きました。例えば、僕の人生において1992年はそんなに遠い過去ではなく、今そこから24年間のタイムスパンがあります……おそらく1992年は僕がロンドンに移った大事な年であり、マーストリヒト条約が実行された年でもあります。それはある意味完全にフリーダムな活動が始まったことも示し、ヨーロッパ中にものすごいエネルギーが漲っていた時代でもありました。そして、人々はみんな一緒に明るい未来を想像し、その未来に向かって走っていました。もちろん誰も、24年後にその夢が崩れてしまい、人々が破壊するのに興味が湧いてくるなんて考えてもなかったと思います。同じタイムスパンで見れば、1969年は社会が激動した年だったと思います。多くの都市で同性愛に対して差別が行われ、同時に女性の社会的権利が前進した時代でした。ベトナム戦争への反対デモも起きました。そして、その時代よりたった24年前に第二次世界戦争が終わったのです。当時はイデオロギーや人権に対しての考えを完全に失っていました。つまり、歴史はポジティブにもネガティブな方向にも、とても速く変化していってしまうものなのです。」
他にもなぜ壁での展示ではなく机を用いるのか、7年前に書かれた3つの記事がどれも”Post-Truth”について述べていることなど。一見無作為に並べられたように見える印刷物はそれぞれリンクしてきて、鑑賞者に新しい視点を与えてくれるのだった。
作家自身で考えていくユニークな会場構成
合計10部屋以上で構成された会場には、片隅の暗室でTillmansがひたすらパンツ一丁で飛び跳ねるナンセンスな映像も流れていたり(大体の鑑賞者は失笑して出てきてた)、写真のレイアウトもバラバラでまるで雑誌をめくっているような感覚だった。もちろんユニークな会場構成は、Tillmans本人が考えている。
サイズもレイアウトも異なる雑多とした作品の展示構成は、案外にも意図されたものだ。が、そこにはサイズはごく数種類だけと決まりも含まれている。では、どのような意図でランダムに様々な被写体が映った写真を配置しているのだろうか。
Tillmansは、ランダムに配置された写真の集合体を社会全体と重ね合わせて考えている。決してすべて何でも見ているわけでもなく、システムからものの見方や経験の仕方を覚えることなく、彼はもっと人生を受け入れ、ものごとの多様性を受け入れることに試みているのだ。そんなこと簡単に出来そうに思えるが、彼が語ることは非常に説得力のある言葉である。「人は答えがないことに耐えられず、単純な解決やコンセプト、単純なアイディアを得ようと躍起になる」(Interview Wolfgang Tillmans by Gil Blankより)いつ間にか人々は、そういうふうに単純なものを支配してしまうのかもしれない。彼の場合、支配せず、ものごとをあるがままに開放し受け入れようと試みる経験に喜びを感じながら、さらに単純な解答なんてこの社会にないんだという事実を証言している。現代において自由な道を求めるのは難しいかもしれないが、楽観的な姿勢。社会を俯瞰してただ批判するような表現ではなく、そういうふうに鑑賞者を新しい気づきへ導いてくれる。
正直Tillmansの作品すべてを知っていたわけではないけれど、被写体も展示方法も変わっても会場の各部屋をくぐりぬけていく度に何か彼の美意識に触れていくような気がした。表面的に見た彼の作品は、とてもシンプルだが(Show Studioのインタビューでも複雑にする気はないと語っていた通り)、暫く彼の作品の前でぼーっと考え込んでしまう。私たちが生きている社会、取り巻く環境、何かに向かって行動を起こしている人様々な要素が、そして同時にその瞬間を切り取ってきたTillmansの様々な作品が大きな時流を生み出してきたことに気がつく。
Tillmansのウェブサイトでは、一部過去の作品集をダウンロードできるので、ぜひ今回紹介できなかった作品の数々も見てみてほしい。