2004年『マインド・ゲーム』で長編監督デビューしてからコンスタントに作品を生み出してきた湯浅政明さん。アニメーターのチェ・ウニョンさんとともに立ち上げた「サイエンスSARU」の代表取締役社長の座から2020年に退任して、現在はお休み期間中という湯浅さんに、止まることなく走り続けた18年間と、これからについて聞いた。
アニメーションの可能性を拡張し、世界へと広がっていく。湯浅政明監督インタビュー
ストーリーがない!?
愛される物語に法則はあるか
『マインド・ゲーム』は、一部で熱狂的な支持を受け、文化庁メディア芸術祭や各映画賞で賞賛されながらも、観客の反応は意外なほどさまざまだったという。そこから、多くの人に愛される物語を求める湯浅さんの長い旅が始まった。
「『マインド・ゲーム』は、『全然ダメ』という人もいましたし、楽しみにしていた映画サイトのメンバーからは、『こんなの映画じゃない』と言われてしまった。その時、自分が好きなものがみんなとは違うと気づいて。〝みんな〟という存在自体も十人十色だし、映画の捉え方もそれぞれだとわかった。そこで、最大公約数のなかで面白いと受け止めてもらえるようなストーリーをどうしたら作れるのか、と考え始めたんです。〝みんな〟に愛される王道があるのなら、その法則を突き止めてみたいと思いました。なかなかすぐにわかるものではなく、今も道の途中です」
当時、もっともショックだったのが、「ストーリーがない」という意見だった。 「自分としては、あるんだけどな……と(笑)。シンプルすぎるのかなと思ってみたり。そもそも、ストーリーって何なんだ?という疑問から始まって、脚本の書き方や物語の黄金メソッドの本をたくさん読みました。それでも何もわからなかった。感想はさまざまだし、わかっていても自分ができないこと、やりたくないこともあるので、可能な範疇で照準を合わせてみる。やってみて、反応が違うなと思ったらまたまったく変えてみる、というやり方を繰り返していました」
湯浅さんが次に手がけたオリジナル作品『ケモノヅメ』(06)は、食人鬼を狩る剣士と食人鬼の女性との間の悲恋ロマンスだが、バイオレンスありコメディありと挑戦的な演出となった。 「ちょうど自分も軟弱になってきているんじゃないかという疑問を感じていた頃で、ソフトな物を望む世間の流れから外れたバイオレンスものをやりたいという気持ちがあったんです。そしたら、『絵が怖い』と言われてしまって。
それでその次には、ちょっとかわいくしてみようと、『カイバ』(08)では黎明期のアニメや初期の手塚治虫さん風のタッチにしてみたんです。自分としてはかわいらしい、懐かしくオーソドックスな絵と思ったのですが、古いアニメーションや手塚作品を知らない方からは、またもや『怖い』とか『画がよくわからない』という声が届きました(笑)」
まだウェブ上のレビューを簡単に見つけられなかった時代には、ブログを検索していた。今もエゴサーチが習慣化しているのは、感想を知りたいからだ。
「いつも関係者の反応はいいので、今度こそと期待し過ぎてしまうんですかね。蓋を開けてみると、観てくださった方と身内との温度差に『あれ…』となってしまう(笑)。いつも、世間の反応にはドキドキしながら一喜一憂しています」
さぞや好奇心旺盛な子ども時代を過ごしたかと思いきや、「仕組みを知りたい」と世の中に興味を持ち始めたのは、意外にも20歳を過ぎてからのこと。
「22でアニメ業界に入り、26でフリーランスになって、『クレヨンしんちゃん』の劇場版で設定デザインを任されたことが転機となりました。大学の時に世界の成り立ちについて180度見方が変わった瞬間があったのですが、具体的にその魅力に気づいていくのは、建物や物の設定のためにさまざまな事象を調べるようになってからで。いろんな人の手で作られている世の中って面白い!と気づけた。それに、知らなかったことが知れるとうれしくないですか?だから何かを見つけたら、それを絵にしたりアニメーションにしたりして、共有したくて」
発見があれば、どうやって上手くアニメーションにできるかをまず考えてしまうのは職業病か、いい水の跳ね方に出合えば、リピートできるようなフォルムはないかと写真を撮っておくのだそう。
「アニメーション業界に入ると、基本をまず勉強させられるんです。水に物がドボーンと落ちたら、飛沫が飛ぶパターンとか。ただ、その流用だけで絵にすると、どこか雑な感じになる。かといって、実際のように描こうとすると、複雑すぎて効果的でなく不自然に見える場合もあって。たとえば、人は普段、身体を動かしながら話しますが、それをそのまま描写すると違和感が出てきてしまう。でも、その違和感を突き詰めて上手く描けるようになれば、自然に見えてくる。やりすぎず効果的なギリギリのラインを極めたい。それができれば、そんなに大変じゃなくアニメーション表現としても深いものになると思うのですが、常に満たされないというか、次々に新しい発見があって、追い続けていくしかないですね」
作業スペース公開!
「部屋に作業システムを作ろうと思ったんですけど、パソコンを1年前に買って、まだ接続できてなくて(笑)。日常生活があまり得意ではないので、後回しにしちゃうところがあるんだと思います」と笑う湯浅さん。湯浅さんの旧パソコンと作業スペース。本棚、CD棚には、作品のインスピレーションとなる資料が詰まっている。本棚には『夜明け告げるルーのうた』に登場するワン魚のぬいぐるみなどが無造作に置かれている。(写真はすべて本人撮影)
30分では伝わりきらない広がり
揺らぎでリアリティを見せていく
シリーズの場合は各エピソードが約30分、映画なら約90分。限られた尺の中で語りきることを求められるアニメーションの世界では、伝わりやすいことが重要なファクター。とはいえ、一度観ただけでは伝わりきらない魅力が至る所に詰まっているのが湯浅作品の特徴でもある。
「世の中の多様さが面白いと思っているので、箱庭のように整然と収めたり、キャラクターをステレオタイプに描くのは嫌なんです。たとえば、怒りっぽい人は常に怒って、性格や感情のルールがわかる方が理解しやすいんだけれど、自分の作品では人物の性格を一定のわかりやすい形にしない傾向があるので、バラバラに見える人もいるかもしれない。でも、現実の人って、そうじゃないですか?怒る時もあれば怒らない理由がある時もあって。理解が深まれば、キャラとして一貫していると感じてもらえるんじゃないかとは思いますし、30分や90分では理解しきれないような広がりがあるものを作りたいという思いは常にありますね」
感情を幅広いものとして捉え、描く。そこにも、湯浅さんのこだわりが。
「単純に実写をなぞってしまうと、無味乾燥なアニメーションになってしまう。ジャッキー・チェンって表情が大きいじゃないですか。『あつー!』とか、『いたー!』という表現が豊かだから飽きさせない。感情が見えることでアクションも面白く感じるんですよね。そう考えると、手描きのアニメーションは、実写以上に描き手の感情を込められる。子どもが、画用紙に好きな花をお母さんと同じぐらい大きく描くみたいに、サイズ、アングル、多少いろんなところをひん曲げても、その人が感じたように表現すれば、見る側にそれが伝わる。『マインド・ゲーム』で、涙で目がぐずぐずになったシーンを、見えている世界を歪めて描写しましたが、カメラが撮れない絵を入れることでキャラクターの気分を生々しく感じてもらいたかったんです」
物語の舞台になっている時代や場所に、観ているこちらが実際に訪れたような没入感を与えてくれるのも、湯浅作品ならではの特徴のひとつだ。
「時代考証の先生から聞いた事実も入れつつ、そればかりではなかったんじゃないかとか、自分がそこにいたらどうするか、そこにいる人はどう思っていたかなどと想像します。『犬王』でも、『600年前は治安が悪かったので、大人が働く時間帯は子どもを集めて2階に隠していた』という話を意外で面白いと思ったので、どうにかして流れに入れ込みたくなって。犬王が町中を走っている最中に、2階に集まった子どもたちが見える展開にしました。特に映画の場合は、いろんな要素を平行して走らせると画面に密度が出てきて、世界が立体的に構築されていく感じがある。だから、走っていて楽しいという感情、風景、時代背景、次に起こる予兆といったラインをたくさん盛り込みたくなるんです」
踊り出しそうなスケッチ
©2021 “INU-OH” Film Partners
『犬王』のキャラクター原案は松本大洋さんだが、湯浅さんによる設定画(設定を説明したイラストの総称)もある。湯浅さんの面のスケッチ(1/2)を参考にアニメーターらが作り上げたのが上のアニメーションシーン。また、湯浅さんのTwitter(@masaakiyuasa)には、時代背景、文化にまつわるイラスト付き解説(2/2)が投稿され、作品をより深く楽しめる。
臨機応変でいることの醍醐味
その姿勢を学んだアニメの現場
走るシーンひとつとっても、仕上げるために膨大な作業が必要になる。そんなアニメの現場で演出を担当して以来、湯浅さんの意識は変わった。自分が作りたいものを追いかけるより、現場の人たちとどう作ったら、一番面白いことができるかを探る、というスタンスになった。
「僕は現場主義なんです。なので、あまり自分が頭で考えた正解をまわりに押しつけたくはないですし、人に頼むときも、自分がコントロールしすぎないようにしています。こういうふうに描いてほしいとびっちり描いた絵コンテを渡したところで、その通りにはならないので。ある程度、幅を与えてやってもらって、その中に収まればオッケーとしています。僕自身、難しい課題をどうやれば解説できるのかを考えたり、できないことがあっても上手く他で調整して舵取りをする作業を、意外と面白がれているのだと思います。絶体絶命という時でも、アイデアを出せば、うまく切り抜けられたりそれ以上になったりする。それが楽しかったりもするので」
演出をやり始めた当初、湯浅さんにも絶体絶命の危機があった。『ちびまる子ちゃん』のオープニングで、ぴったり音に合わせてアニメーションを作ったところ、音楽が急遽変更になっていたのだ。
「当時はすごくショックで、変えた人に対しての憤りでいっぱいで……(笑)。でも、編集の方と監督と少しでもと音に合わせて調整していったら、どうにか形になった。結局、みなさんには完成したものしか見せられないので、ベストなものを届けられるよう、臨機応変に対応することを学びました。その時の経緯は、『映像研には手を出すな!』(第12話)にエピソードとして盛り込んでいます」
『映像研〜』は、NYタイムズ紙が選ぶ「2020年もっとも優れたテレビ番組」のひとつに選出されるなど、国内外で話題となったことも記憶に新しい。
「今まで作ってきた作品の中では、たぶん一番評判がよかったかもしれない。でも、クォリティとして見ると、もっとできたなという気持ちは常にありますね」
そう語る湯浅さんの姿勢は、納得できる作品ができるまで粘り続ける『映像研〜』の登場人物、浅草氏と重なる。
「もちろん、納得して世の中に出してはいますが、大概の作り手はそう感じているんじゃないかな。本当に100%やりたいことを実現しようとしたら大変なことになってしまうのもわかってはいるんですけど(笑)。そうしたクリエイターの心をつかむ感覚をちゃんと捉えているのが、原作『映像研〜』の素晴らしいところですよね」
原作ものをアニメーションにする作業もまた面白い、と湯浅さんは言う。
「そういうケースでは、〝改変〟などと言われますけど、原作そのままではなく、そこから派生した違う媒体であることが伝わると、面白がってもらえるのかなと思う。漫画や小説は、基本的に一人の方が描(書)いているので、筋が通っていますよね。映像にするときに監督がいる意味は、作品の基準を決めることであり、つまりそれが主観になるのではないかと。もちろん、できるだけ原作には寄り添うけれど、媒体の違いによるトランスレート(翻訳)が伴うので、主観がないと味気ないというか、新たに作る意味もない気がしてしまう。それでも、観る側に原作と同じだと感じさせる方法を常に探してはいるんです。ただ、原作のファンも受け取り方はそれぞれですから。ある解釈を礎にした一人の読み手としての読書感と考えて楽しんでもらえればと思っています」
部活でアニメーション制作に没頭する女子高生3人組。できた作品に「まだまだ改善の余地ばかりだ」と監督の浅草氏(中央)。©2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
アニメーションの可能性を拡張し
世界へと広がっていく湯浅作品
『夜明け告げるルーのうた』(17)は、世界最大級のアニメーション映画祭、アヌシー国際アニメーション映画祭で、長編部門グランプリにあたるクリスタル賞を受賞。『夜は短し歩けよ乙女』(17)は、オタワ国際アニメーション映画祭長編部門グランプリを受賞した。最新作『犬王』も、世界の複数の映画祭で上映されるなど、国内外で高い評価を受けている湯浅さんだが、自身は海外を意識して作品を手がけることはないとか。
「日本の人に受け止められるように作れば、海外の人にもきっと伝わるだろうと信じています。以前、『キックハート』(13)という作品でアメリカのクラウドファンディングサイトから出資を募った際、海外を意識して作ってみたのですが、割と反応は変わらなくて。理解度に差はあっても、面白いと思うかどうかという度合いはさほど違わなくなっているんだなと思いました。日本でも海外でも、上映を重ねていくたび、少しずつノリがよくなっていく感覚は共通。良くも悪くも今はSNSの影響が強いので、いろいろな映画の見方がシェアされて、それにより盛り上がり方も変化していく。その様子自体も、面白く見ています」
海外でも、アニメーションは子どもや一部のアニメ好きだけが観るものという認識は過去のものとなりつつある。特に「様式に収まりたくはない」という湯浅さんの反骨精神は、アニメーションの枠組みを拡張しているのだろう。
「映像作品のひとつとして観てもらいたい。映画館で〝アニメ〟と意識せずに選ばれるようなアニメらしい映画になれば。アニメということがハードルになるならば、そのハードルを低くできる作品にしたいといつも思っています。アニメーションを好きな人も、映画館に行ってまでは観ない人も、自然に観られるようなものにできたらと。なので、〝アート系〟とか、〝サブカル系〟とか言われることも払拭しようと努力しています(笑)。『そういう類は圏外』というアニメファンにも観てもらいたいので、こちらから広く圏外へ向けて作っています」 『犬王』が全米公開を迎える現在、次のプロジェクトに向けての環境づくりと、自分の中にあれこれ蓄えるための時間を過ごしているという湯浅さん。
「ソフトや3Dなどのスキルも身につけたいですし、新たな人たちとも出会いたい。変革期にあるアニメーションの制作現場ですが、自分なりに、みんなが作りやすい環境も整えたい。やってみないとわからないですが、もっとうまく進められるシステムがあると思っているので、その準備ができたらなと。それから、一から考えるオリジナル作品でも、原作ものと同じスケジュール感で制作することになるので、企画の濃度を増やすためにも、この時期に内容をあらかじめきっちり詰めておこうと考えています。これからの変化する多様化したメディアに対する自分のスタンスもしっかり作っておきたいのですが、どれもまだ始められていなくて。実は、これまで割と自分の生活を蔑ろにしてきてしまったので、そちら方面も見直しています。昨日はずっと洗濯やアイロンがけをしていたんですが、生活って大変だなぁと実感しているところです(笑)」
なぜアニメーションという媒体を選ぶのか。最後に、アニメーションの可能性について湯浅さんが考えていることを語ってくれた。
「媒体として受け身になりすぎない可能性がある。絵をそのまま受け入れるのではなく、観る側が映像の中に入っていって想像したり、跳躍することができる。逆にシンプルな絵であるほど、観ている人がその余白の中に入って、感動の度合いを深められることもある。人種、ジェンダーについてもフラットにいられるし、小さい大きいも自由。弱いものも強いものに勝つことができる。そうやって、自分にとっての自由な世界を描くことができるところじゃないですかね」
熱気にあふれる海外の映画祭ツアー
『犬王』は、2021年9月、ヴェネチア国際映画祭で行われた世界初上映を皮切りに、トロント国際映画祭、アングレーム国際漫画祭、シドニー映画祭、アヌシー国際アニメーション映画祭などで上映され、どの会場でも拍手喝采を受ける。アヌシーでは、ギレルモ・デル・トロ監督と並び、新たに設置される「名声の歩道」に並ぶ、最初のクリエイター6人の一人として手形を取る姿も。映画業界を代表する監督が、若手アニメーターや学生向けに行う「MIFAキャンパスマスタークラス」の講義を担当するゴッドファーザーとしても登場した湯浅さん。「自分の考える“自由”を作品にしている」と語るその言葉が、海外の若きクリエイターたちを鼓舞した。
シドニー・オーストラリア
アングレーム・フランス
アヌシー・フランス
ヴェネチア・イタリア
ロッテルダム国際映画祭ディレクターよりメッセージ到着!
「湯浅先生は、新たなフォームやスタイルを発明し、色彩の選択や使い方が実にユニークな数少ない重要で優秀な映画監督の一人です。シュルレアリスム的なエッジを効かせつつも、ファッショナブルで並外れた表現方法で物語を伝え、常に観る側を驚かせてくれる。何より希有なのは、そのすべてが常に、人間としての優しさ、学び、共感、努力を語るためのストーリーであること。湯浅先生、『きみと、波にのれたら』に出てきた完璧なオムライスの作り方を決して忘れないで!そして、『夜は短し歩けよ乙女』の古本市の神様のような正義感があなたとともにいつもありますように!」(ロッテルダム国際映画祭ディレクター/ヴァーニャ・カルジャルシック)
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湯浅政明
1965年、福岡県生まれ。1987年からアニメ制作会社・亜細亜堂でアニメーターとして勤務後、フリーランスになり広く活躍。映画『犬王』がこの8月より全米公開し、カナダ・モントリオールで行われた「第26回ファンタジア国際映画祭」にて長編アニメ―ション作品のグランプリにあたる今敏賞を受賞した。