日常に転がっている「何かがおかしい」という違和感や問い。劇団「贅沢貧乏」の作・演出を手がける山田由梨は、現実社会で浮かんだ思想を身近な問題に置き換えることで創作をしてきた。彼女が生み出す役柄たちは、誰もが抱えるような不安や孤独を抱え、答えのないことに当たり前にモヤモヤしたりする。けれど、その語り口はどこか自嘲的で軽やかだ。はなから、完全な人間なんて存在しないし、とわりきっているかのようなカラッと感がある。
「贅沢貧乏」は、2012年、女優として活動していた山田由梨が、立教大学在学中に旗揚げした自身の劇団だ。14年、一軒家やアパートを借りきって稽古・上演を行う〝家プロジェクト〟を開始。下町で働きながら生活する若者たちの繰り返される小さな日々を、その土地の空気を交えて描き話題に。17年、第62回岸田國士戯曲賞最終候補にノミネートされた『フィクション・シティー』では、フィクションが生み出される場所=劇場に発表の舞台を移し、役割を与えられた者、与えられなかった者の物語を見せてくれた。
最近の彼女はというと、男女の性差と、〝人間のこれまでとこれから〟について考えているそうだ。「あまりに違う男と女は、どのようにわかり合えるのだろうか?」と、彼女は問いかける。これまで、女だから、男だからという以前に、一個人としての等身大の生き様を繊細に描いてきた彼女が、生まれたとたんに否応なしにカテゴリ分けされる、男と女という性差をどう受け止めていくのだろうか。新作公演のタイトルは、『わかろうとはおもっているけど』。この言い訳じみた文言も、果たして男女どちらの側を、はたまた両方を代弁しているのか、期待が膨らむ。