「幼い頃からおしゃれするのが好きでデザイナーを目指した」というエピソードは、これまで数々のファッションデザイナーの口から出てきた話だが、デザイナーを目指した瞬間にその素直な想いを別の所に置いてきてしまったと話すデザイナーもいる。ファッションブランド・kotohayokozawaのデザイナー・横澤琴葉。幼い頃からファッションデザイナーを目指し、ファッション専門の道に高校から進んだ彼女に「趣味は?」と聞いてみると「テレビを観ること」と答え、実際に様々なお笑いネタやテレビ番組の話が尽きることはない。テレビ前でケタケタ笑っているのが想像できるほど一見平凡で明るい女の子なので、おそらく順当に今までの道を歩んできたのだろうと想像していた。が、その予想は今回インタビューするにあたり事前に情報を集めていった時点でもろくも崩れることとなる。本人の言葉を借りれば、専門学生時代は衣装デザイナーに憧れるほど非日常的な服作りに胸を躍らせていたというから、「では、いまの服作りに至ったのはどうして?」と疑問に思うのは当然だろう。その答えを聞くべく、アトリエでくつろぎながらインタビューを始めた。
「作品」から「既製服」へ。台風上陸の中PARCO工事現場でショーを開催した〈kotohayokozawa〉デザイナー・横澤琴葉に直撃
—幼い頃から自身が着ることやスタイリングを楽しんできた体験は、いま「kotohayokozawa」にも表れてると思う。でもあるインタビューで話してた「エスモードの最終学年の時に〈MIKIO SAKABE〉の三樹郎さんと〈writtenafterwords〉の山縣さんが担任として加わって、『この服は人が着ることを考えてない』という指摘を受けてからハッとした」というエピソードが不思議だった。幼い頃の感覚のままだったら、そのまま今に至るわけだけど、学生時代は違う思考に向いていた?
学校に入るまではもちろんファッションが好きということと、自分で着るのも好きというのはニアイコールでした。でもデザインが好きって思考はまた別のところにあったんですよね。今考えると在り来たりな考えですが、やっぱり学生時代はコンテストやショーに出ることが憧れでした。当時コンテストなどで名を馳せていた人たちの名前や作品は今でも覚えています。着る服というより、その当時かっこいいと思ってた素材とかデザインに惹かれてました。
—その頃の自分の服装は?
それまでは全身真っ黒でいわゆるモード系の服装でした。10年前高校生だった頃にパワーショルダーが流行った時期があったと思うんですが、〈BALMAIN〉などが代表的で。今でこそ〈vetements〉とかのおかげでスタイリッシュなトレンドになりましたけど、当時は80年代のボディコンっぽいけど高さはなくて肩だけ横に広いっていう丁度良い服が地元の名古屋にはなくて。友達とZARAでセールにかかってたパワショルのジャケット買ったりしながら、高校生の頃は自分でそういうバッキバキな服も作ったりしてました。いま見るとめちゃくちゃななんですけどね。(笑)あと映画の影響でフューチャリスティックなものも好きでした。そういうSF映画に出てくる衣装デザインにも強い興味がありました。
—ある意味、純粋に学校の教えに従ってたわけだ。
そうですね。いまとなって思うことですが、日本の学校は、その時代に合っているかとかウェアラブルかどうかとか置いといていわゆる構築的で奇抜なデザインを評価するように感じます。例えば、縫製の授業ではベーシックなシャツやブラウスの作り方を習う一方で、デザインの授業だと奇抜なコレクションピースみたいなデザインを求められていたり。いま思えば双方が別々のままなのが不思議に思えますが、当時は就職後にはいやでも既製服を作るので、今のうちに奇抜なコレクションピース作ろうというポジティブなモチベーションに向いてました。それで自分が表現したいことを優先してしまうと非現実的な表現になるので、実は当時は衣装デザイナーを目指していたこともありました。いまと全く真逆ですが、もちろん今も衣装のお仕事には興味があります。もし機会があれば、もう少し現実味がありつつシュールな組み合わせで作り上げたら面白いだろうなと思います。
—学生全体的に普通だと思ってたことが、卒業制作を作るタイミングで一気に方向転換したような気がする。逆にそのタームポイントがなければ、いまの〈kotohayokozawa〉の服も生まれてなさそう。
今まで正しいと思ってた方向を一気に真逆の方向に持って行ったので、軌道修正にかなり時間と慣れが必要でした。そもそも学校では服のことを「作品」って呼んでいたし、値段や日常で着ることなどは関係なくかっこいいものを目指す方向性だったので。その頃には何もかもわからなくなって、モード系の服装にもすっかり疲れてしまって、ヨレヨレTシャツとデニムにビーチサンダルみたいな服装を毎日していました。今とほぼ変わりません。(笑)でもその肩肘張らない素直な自分の姿こそが、等身大のリアルな表現だと気付き始めました。こういう服を作ればいいんだって。
—ちょうどエスモードで坂部さんと山縣さんが教えていた1年間を経て、その後一度就職してから「ここのがっこう」に入る。在学中にそういう今まで自分が信じてた既成概念を壊す体験したのに、就職することには抵抗はなかった?
卒業コレクションを発表した21歳当時は周りから「そのまま就職せずにブランドやったらいいのに」と言われましたが、正直服作り以外のブランドに必要なこと、始めるべきことが分からなくて。かと言って、就職活動の時期になんでも良いから企業に就きたいとも思ってなかったので、模索しながら素直に自分の行きたい企業しか受けませんでした。社会人になって、会社というものが一体どういうものなのか一度は経験しなくては、という思いもありました。
—それで無事自分の望んでいた企業に入れたわけだけど、デザイナーズブランドとは異なり一般に広まる大量生産の世界に惹かれた理由は?
すぐに自分のやったことが目に見えて分かる、自分の周りや家族にも可視化されることですね。働いたことに対して闇雲な数字で生産されるより、昔から自分や家族が日常的に着ている服なら貢献しがいがあると思いました。
—「ここのがっこう」は会社に勤めながら、土日だけ通っていた。やっぱり企業じゃなくて自分のブランドを立ち上げようと決心したきっかけは?
国立新美術館で開催したファッションショーが決定的な出来事になりました。ここのがっこう現役生とOGOBなども含めて数十ブランドでショーを行った中で、私は6ルック程出したんですけど、もう当時の熱量じゃないと出せない表現で。その頃まだ新しく服が全然作れていなくて、実家のベッドカバーや父の仕事着を借りて、ほぼスタイリングのみでルックを組みました。なんで作れたのか記憶にないくらい精一杯でした。今見返すとなんのこっちゃって感じもありますし、特別1体1体の精度が良いわけじゃないんですが、なぜか当時はそこにものすごいエネルギーが宿たように思えたんですよね。その後会社を辞めてブランドを立ち上げる準備をするために、エスモードのA.M.I.というコースに入りました。残念ながら今はもう無いのですが、1年後に生徒全員がそれぞれブランドを立ち上げるコースでした。
—エスモード在学中も卒業後もここのがっこうに纏わる衝撃的な体験で進化してきたんだね。それらの体験は、ここ数年のコレクション製作にどのように影響してきている?
私が普段から日常的にあるものに対して直感で好きか嫌いか判断していくので、リサーチしている時もコラージュのように目の前にあるものに対して切り貼りしていくようなやり方を取っています。でも私はすごく気が変わりやすいこともあって、毎シーズンのテーマはかなり変わります。例えば18SSのルック写真を見るだけでも17AWとは異なり、通販カタログを意識したようなわかりやすいルックブックのイメージを作っています。テーマや見せ方を変えることで色々な方法を模索していたとも言えるのですが、18SSから自分の根本にはエスモードの卒業コレクションがあると気がつきました。このコレクションも国立新美術館のショーの時と同じで何もかも分からなくなるくらい一生懸命やった結果、ナチュラルに出たコレクションで、ファッションに対する素直な向き合い方としていまだにそこは超えられていないと思ってます。結局色々と模索しつつ自分の単発的な感情で作ってしまうと、発表当時は気持ち良いんですけど、その分持ち味も愛情も長続きしないんですよね。感情の精度の高さを自分でもうまく把握しないといけないなと思います。
— ブランドを続けるにあたって内にも外に対しても様々な気づきが生まれるのは当然だと思うけど、18SSシーズンからブランドの定番アイテムのプリーツアイテムを「TODO」とシリーズ化したこと含めてビジネス的にも変化しつつある?
そうですね。前までは先ほど言ったように自分の単発的な感情に身を任せていたんですけど、独りよがりになる可能性もありました。それで最近になってようやく周りのお客さんやお店が喜ぶ姿を想像するようになりました。以前まではそんな周りのことを気にしている時点で私はダメだと思ってたんですけど、最近はクリエーションとビジネス両方を均等に考えるようにしています。何かものを生み出して、それを人に買っていただく仕事を選んだからには、そのどちらもが両立していないと意味がないと思っています。
18SSからシリーズ化した「TODO」は、好評なことにブランドの中の定番アイテムとして通年で生産しているのですが、反面みんなそれしか見てくれない危険性もありました。定番化することでブランドの入口が「TODO」だったとしても、ブランドそのものの存在も知ってもらえるように、内と外に対してもう少し効率的に動けないかなと思って、別ラインで動き始めました。
—18SSでは他にも台風直撃の中、パルコの工事現場で1年ぶりに屋外のショーを開催している。横殴りの雨でショーを行っても違和感がないのは〈kotohayokozawa〉らしかった。
〈kotohayokozawa〉を天気で例えるとすると、きっと晴天ではないんですよね。ちょっと曇りだったり、雨を含んでいる雲の感じがショーと合うだろうなあと思ってました。まさかあんなに台風に直撃するタイミングだと思ってもなかったですが。(笑)ショー当日はそんなことも考えられない程でしたが、結果的に自分自身では雨の中、女の子たちが着崩した状態で傘をさして歩いている光景は自分のブランドだからフィットしたのかなと感じました。
—様々な変化を経験する中で、次挑戦したいことは?
自分のブランドにフィットした発表形式、発表回数、販売形式などを探していきたいと思っています。既存の流通サイクルにある程度則るのも大事なんですが、そこに対する執着は全くなくて。例えば「TODO」のようにブランドを10個くらい細分化したりしたいですね。(笑)下着やコスメ、食品などにもとても興味があります。
横澤琴葉 1991年生まれ名古屋出身。2015年3月より〈kotohayokozawa〉を立ち上げる。 @kotohayokozawa Photo:Miyu Takaki https://www.takakimiyu.com/