24 Jan 2020
染みる、真冬の肉豆腐。平松洋子「小さな料理 大きな味」Vol.20

小さな料理 大きな味 20
真冬の肉豆腐
ひさしぶりに『村上朝日堂』(村上春樹、安西水丸著/新潮文庫)を書棚から取り出して読んでいると、「『豆腐』について」と題した続き物のエッセイ四編があった。村上春樹が豆腐について書こうと思ったのは、単純な線のテーマを提出してイラストレーターを困らせようと思ったからだとあるのだが、そのうち豆腐について書きたいことがあれこれ出てきたらしい。
「『豆腐』について(1)」のなかにこう書かれている。
「本当においしい豆腐というのは余計な味つけをする必要なんてなにもない。英語でいうとsimple as it must beというのかな」
本当にその通りだ。でも、べつの側面もある。
味の染みた豆腐、これもすばらしい。さっきの「余計な味つけをする必要がない」とは逆のことを言うようだが、純粋素朴だからこそうまみを引き込む力も強いのだ。
真冬のお楽しみは肉豆腐である。湯豆腐も温まるけれど、甘辛い風味や肉のうまさが染みこんだぶん、豆腐が抱きこむ熱量が多い。煮えばなをよそった熱いのを箸の先でちびちび崩しながら食べていると、首筋や背中がじんわり温まってくる。
[作り方]
①鍋に水(または、だし)1カップを沸かし、醤油大さじ2、酒大さじ2、みりん大さじ1と1/2を加える。
②四分割した木綿豆腐半丁分、斜め切りにしたねぎ1本分を煮る。
③最後に、食べやすく切った牛肉150グラムを入れ、煮る。
豆腐、ねぎ、牛肉。過不足のないこの組み合わせもsimple as it must beに違いない。補い合うのではなく、三つが寄り添いながら、きれいに着地しているのが肉豆腐という料理である。
余白があるところに安心感がある。おかずにも、酒の肴にも、突き出しにも、箸休めにも。ふらりと居酒屋の暖簾をくぐったときなど、なにを頼みたいのか自分で自分を持て余して、品書きを眺めながら、目がうろうろ、そんなときに肉豆腐の三文字を見つけると、ああ助かった、とりあえず肉豆腐を注文しておけば間違いない、肉豆腐に面倒を見てもらおう、なんて思う。満足するのにおなかに余白を残してくれるところもうれしく、エプロン姿の気のいい隣のおばさんみたいだ。
ひと晩経った肉豆腐にもそそられる。いつも、豆腐の残りの半丁を余った汁で煮てひと晩置くのが習慣になっている。芯まで味が染みてあめ色に煮染まった豆腐の変貌を眺めると、昨日よりごちそう感が増しているのである。冬場は、台所に鍋をそのまま出しておけるところもありがたい。
平松洋子 ひらまつ・ようこ
エッセイスト。『味なメニュー』(新潮文庫)、『忘れない味「食べる」をめぐる27篇』(編著/講談社)など著書多数。週刊誌の人気連載をまとめた『かきバターを神田で』(文春文庫)が発売中。
Illustration: Yosuke Kobashi
GINZA2020年1月号掲載