小林カツ代さんといえば、友人との懐かしい諍いの思い出がある。 ある日友人宅で食事をご馳走になった。しかし、スープに味がついていない。変だな。もう一口。意を決して「ねぇ、塩とか入れ忘れた?」と聞いてみたら、ごめんそういえば!と友。人を招いての食事の支度にてんてこ舞いして味付けを忘れたのだ。味見しさえすばそんな失敗はないはずだけど、聞けば友人は今まで味見なしで仕上げるのが料理上級者だと思い、味見をしないように「あえて」心がけてきたというではないか。「だって料理番組では、料理家もシェフも味見してないじゃん。あれが目指ざすべき姿でしょ?」うむ。確かにそう。あらかじめ計量された調味料が小さなカップに入って綺麗に並べられて、ちゃっちゃっと入れてはい出来上がり。私はスマホに保存しておいたとっておきのカツ代さん動画を見せて、自分が美味しいと思えるものしか人にはすすめられないよとかなんとか説教くさいことを言った。スタジオの美しい照明、限られた放送時間、手品のようにできあがる料理…料理番組だけを参考にしていたらかえって料理が下手になるのではないだろうかと思った出来事だった。
さて、小林カツ代さんの本である。 頑張って働いているGINZA読者みんなに読んでほしい。女も男も、一人暮らしも、子どもがいるパパもママも、親がいる娘も息子も。結婚して子供を産んで、知人から「なんでそこまでして働くの?」と言われたとき、男は同じ質問をされないだろうに、なぜ女だけ? なぜなぜなぜ。 カツ代さんも同じように感じていた。有名人だから、プレッシャーやそれを跳ねのける努力は会社員の比ではなかったろう。しかし彼女は世間は分かってくれないと儚む代わりに、小さな疑問を取り出しては大事に眺めて、考えて、料理を作ることで自分を主張した。レシピを通してみんなの背中を押して、自分も家族も元気にして、たくさん考えて、文章に熱量をもたせた。レシピ(処方)を構成するのは手順や分量だけにあらず。提案や美意識、食べる人に対する気遣い、さらにはこうあるべきという既成概念の見直し……もはやひとつの文学ではないだろうか。レシピを発表するたびに彼女は小さな改革を起こしてきたんだ。小さなスプーンでぺろっと味見をしていたチャーミングな姿の内部に、こんなにもたくさんの戸惑いや考察があったこと、これらの本を読むまで私は考えてみたことがなかった。
印象的な一節を紹介する。 「あえぎつつ仕事を続けてきて、本当によかったと思う。なぜならば、それがないと私は目覚めなかったから。目覚めていく、気づいていく、意識していく、この三つがどんなに大事か」(『食の思想』より)
著書は200冊以上。レシピはもう、数えきれないくらい。そのすべてがキッチンからの革命であり宣言なのだ。彼女が亡くなった今も、おいしい矜持は残る。
*カツ代さんのレシピはwebでも公開されています。http://recipe.sp.findfriends.jp/